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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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死んでから生きるための準備1の続き

まぁちゃん: よく「信じるものは救われる」っていうけど、それは単なる気休めみたいなもののような気がする。
神や仏を、ただ信じるだけで何かが変化するとは、思えないけどなー。

霊魂: イワシは実にご神体である。

まぁちゃん: イワシって魚でしょう。

霊魂: なぜなら、仏教がどうとか、キリスト教がどうとか、何もわからなくてもイワシを神、つまり神棚に飾り、「これが私にとって神との交流の唯一の手段」と考える。

そして、日々感情をそれによって動かしていれば、それがアンテナになっている。

まぁちゃん: アンテナということは、それが何かの目印になること?

霊魂: つまり死んだ時、イワシの頭の信仰者は、普段からイワシを目印として流れてきた別の力を得ている。

これが必ず、上の世界へと向かわせる。

まぁちゃん: 幽体という霊的身体の成長、状態によって死後の世界の位置が決まるっていうことだよね。

霊魂: 例えて言えば、人の肉体は良い事をしても、悪いことをしても、善人でも悪人でも、関係ない。

まぁちゃん: 憎まれっ子世にはびこるって言うよ。

霊魂: 善とか悪とか関係がなく、健康に良い食品を食べて、適度に運動すれば体によい。

良い人でも悪い人でもなし。悪い人だけ悪くはならない。

霊的な身体も肉体とダブっているから同じ。
あの世では幽体という霊的身体を使用するから、幽体が良いか悪いかは非常に大きな問題である。

そして、幽とは何か?

肉ではない、物質ではない。
物質ではないということは、物的な次元と違うものに振動している。

つまり、どんな馬鹿でも、アホでも、真剣にイワシを信じていると、イワシを目印として幽体に良い刺激、それが入ってくる。

まぁちゃん: 幽体に良い栄養みたいなものだ。

霊魂: 彼ら彼女らは上に行ける。

ところが、立派な立派な無神論者はイワシを見て笑う。

「こんな原始人が今時いるなんて、馬鹿もいいとこだ」

しかし、その原始人が、全員神を信仰していて、なんらかの幽的なトレーニングができていたことなど、まるで知らない。

まぁちゃん: 信仰というものは押し付けであっては意味がないね。
自らが求めてこそ価値があるんだ。

霊魂: つまり、さなぎが成虫になるように、人の死は肉体の衰えと共にやってくる。
つまり、特殊な事情で、途中で切れる場合はともかくとして、普通は肉が落ちてゆく。

それに伴って肉ではないものが伸びてくる。それが脱皮である。
そして、さなぎから成虫になるのだから、肉の衰えと同時に、幽的成長がなければならない。

それが原始人には皆あった。
どんなに知性がなくても、何が善であるかわからなくても、神を信じ少しずつ幽的になって他界した。
迎えが来たら無論受け入れた。

我々霊魂は、死に際してこう言う。

新しき身体による再生なればそれも良し。
なれど、どうあっても、たとえ何があっても、最後に一言呼んで欲しい。

呼ばれれば必ずそばに行く。

それまでに、その呼びかけが届く自分になって欲しい。
違う世界であれば、普通に会話しても届くわけがない。
霊的な距離がある。

「届かない・・・」

しかし、電話すれば通じる。無線があれば通じる。
死ぬまでに無線をつくって欲しい。
それは、決して超能力や霊能力の開発ではない。

「霊力をつける」そうすれば、必ず恐くなくなる。

人食い人種のいる島に、たった一人で残されたら、みな戸惑うが、そこに別の島へ行く案内人がいたら何も恐くない。
そっちへ行ける。

霊的なものや、宗教的なものは、信じるも信じないも自由。
誰も干渉できない。

が、人が何と言おうと事実はいつも一つしかない。
もしも仮に、ひとつ事実が正しければ、すべての理論はそれで終わってしまう。
あらゆる理論がそれを否定しても、千にひとつ、万にひとつ事実があれば、あらゆるものはある。
それがすべてである。



まぁちゃんの一言

大昔の人は、現代人から見ると意識が低いように思われがちですが、果たしてそうなのでしょうか?

現代は古代の人に比べ知性もあるし、科学や文化が発達しています。

それが決して悪いことではないと思いますが、そういったものが逆に本来の信仰から遠ざけてしまうのではないでしょうか。

大昔の人は、神や仏、霊魂という見えないものへの確信、つまり霊的な感性のようなものが今の人達に比べると発達していて、もっと人間というものを良く知っていたのかも知れません。

人々が神や仏、信仰、宗教について議論している時、大昔の霊魂はため息をついていることでしょう。
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プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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