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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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キリスト教などでは「救い」という言葉が使われます。では、この救いとは一体何を指すのでしょうか。
イエスキリストの生きた時代は、現代とは異なり生きるための不安も強かったと思います。
こうした時代には、イエスキリストの力強い言葉に人々は勇気づけられたことでしょう。

現代の日本においては、生活水準も高く、生きること自体が困難な人は少ないと思います。
単純に肉体を維持するための救いであるとするなら、健康で経済力があれば、わざわざ救われなくても良いと考える人もいることでしょう。

こうして宗教とは無関係な人から見ると、神にすがりご利益を求め、他力本願的という図式が出来上がってしまいます。

しかし、それだけでなく、魂としての救いというものをイエスキリストは示されています。
聖書の詳しい内容については良く知りませんが、当時の人々に対し理解しやすいように語ったと思われます。

霊的な救いとは、自分が霊魂という存在であることを無視しては考えられません。
原罪という人類の誕生までさかのぼり、魂という大きな視点としての救いというものを唱えています。

イエスキリストは、霊魂学的には大変高度な内容を示されたと考えられます。
人間は肉体を持ってしまうと霊的なことが分かりづらく、自分の存在すら見失ってしまいます。
今ある自分の不幸は、神のせいだと考えてしまう人もいます。

ところが、人は自らの意思で不自由を求め、神という高貴な存在から遠ざかってしまったのが、地上に生まれた人達です。
今のあなたも、人類の誕生から再生を重ね生まれて来ているのです。

霊的なトレーニングもイエスキリストの精神と全く変わりません。
もちろん、イエスキリストの霊的トレーニングは残っていないようですが、幽体を強化発達させる為に欠かせないのが、高級な霊的な気というものです。

この高い気は、高貴な存在からの流れでしかありません。
どうすれば、こうした力を吸収できるのか。当然、高貴な存在を無視しては受け取ることはできません。
だからタイトル「祈りの力」にあるように「汝の神を愛せよ」と示すことで、守護霊と交流を持てたのでしょう。

当時は、霊的環境も現代に比べ良かったのではないかと思います。
今のように霊的環境が悪い時代には、確立された霊的なトレーニングが力を持ちます。

いつの時代も変わらないのが、霊的な法則です。
こうした法則を理解していたイエスキリストやお釈迦様も同様に訴えかけていたものが、霊的身体の強化発達、そして霊的カルマの解消です。

霊的な救いとは、神というような高貴な存在から遠ざかってしまったものを引き戻す、近づくことを意味します。
その手段が霊的なトレーニングというものです。

宗教という言葉が嫌がられるような昨今でありますが、霊的なトレーニングの会である契山館は宗教団体の定義には入りませんが、真面目に霊的なことを捉え、宗教的な姿勢でトレーニングを行っています。
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プロフィール

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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