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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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霊的なトレーニングというものは、昔は大衆的ではなく神主やお坊さんが行うというイメージであったと思います。

もちろん、神様や仏様を示し一般大衆の先導役となることが修行であったと考えられます。

皆、真面目な志があったからこそ、昔は神社やお寺も高い幽気が降りていたようです。

現代では、大きく変わってしまったように思えます。

神社やお寺に仕える人々の考え、捉え方も変わってしまい、一番大事なことが置き去りにされてしまった感じがします。

本来、伝統ある神社やお寺には高い気が降り得る条件があるのに、とても残念な気がします。

ただ、参拝する側の意識も大事なので、一筋縄では行かないこところがあるのでしょう。

僕自身、以前は宗教に対し偏見を持っていたように思います。

それは布教活動に対する嫌悪感が大きかったからです。
詐欺行為もありました。

そうしたことも、マスコミの取り上げ方によって、一般的な風潮が作り上げられてしまうようです。

実際には、悪いことをしているのは一部であり、真面目に信仰している人達が多いのではないでしょうか。

そうでなければ、皆お縄になっているはずです。

どの宗教が良いとか悪いという判断は人間には難しいのではないかと感じます。

批判するのは簡単です。

しかし、批判するのであれば、本当のことが分かるからこそ出来ることではないでしょうか。

神道や仏教、キリスト教により、高級霊となった霊魂はたくさんいます。

大切なのは、そうした宗教により霊的成長が得られるかです。

もちろん、人間は物質世界において生活を営むことも大事なので、そこに生き方に対する指針も必要でしょう。

多くの方はこうした哲理をもって判断材料にしてしまうと思います。

考えてみれば、伝統が長い宗教であるなら様々な時代背景や文化、環境も違い、教えという点では、異なりを持つことは当然です。

そうした部分が焦点となってしまいますが、本当の価値は肉体を持つ人間には、わかりにくい部分にあったのです。

霊的なトレーニング霊魂学を知ると、イエスキリストもお釈迦様も、人々に訴えかけたかったことは共通していたように感じます。

最近では、物質科学信仰と思えるような考えを持つ方が増えているようですが、霊的なことを真面目に探求しようという思いがあれば、道は開けて行くのではないでしょうか。

あまりにも人間というものは、無知であることに気づかされます。

今、肉体を持ち生きている間に目覚められるかどうかで、将来を分けてしまうのが実状のようです。

生き方は人それぞれで良いと思うのですが、自分が霊的な存在であることに気づいて欲しいのです。

宗教的な姿が本来の人間というものです。

死後、低い世界に入って苦しんでいる人、霊魂達は決して悪人ばかりではないこと知って頂きたいと思います。
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プロフィール

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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