HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイト霊魂としての人生の目的  »  霊魂としての人生の目的 霊的カルマ3
RSSフィード

トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
  ※イメージ画像

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ2からの続き

霊魂: 年をとり、あと2年で死ぬとする。

その人は何をすべきか?
もう人生は大半終えてしまっている。

何をすべきか?

答えはただひとつ、「すべてを捨てるべし」己は、すでに肉体をやめる。

肉を止めるのが決まったら、「肉体を持っているからこそ出てくるあらゆる思考をやめよ」である。

まぁちゃん: 人は霊魂になるにしたがい、どうなるの?

霊魂: 言うまでもなく霊魂としての本性を表現してゆく。

そのため肉体から、霊的身体へのなだらかな変換がいる。

そのために最も大切なのは、食欲や性欲はあっても良いが、肉体を保持する基本以外の諸々の物的な側面は外さねばならない。

その意味は、人が生まれた時にさかのぼる。

そして、そのまた深い意味は、地上に人類が、なぜ生まれたかにまでさかのぼる。

死んで間もないある個性が、こういった体験をした。

まず絶対に、この世しかないと思っていたらが、たまたまあの世があった。

そのために深い傷を負った。

なぜなら、死後の生命体は、自分を認めぬ者を認めないからである。

彼らの世界は、はっきりしている。

想念と想念で互いに通じ合う。地上の言葉はいらない。

が、レベルが違うと通じない。
よって、より上の存在と通信を保つには、己が必死に相手を認めないと通じない。

つまり、己より一歩でも先に行った方に手を引いてもらおうとすれば、己が頭を下げて、手を引いてもらわないことには話しにならない。

つまり、霊的個性を認めないと、人には救いが来ない。

あらゆる書物の中で、臨死なる体験が言われる。

が、人は正確には幽界になど行ったなら、戻って来ない。

彼が見ているのは、肉体の脳の延長であるし、我らの言う冥界の入り口である。

つまり、妄想の世界である。

彼らが共通した体験を持つということは、共通した妄想を持つ脳があるからである。

人が行く世界が同じ訳がない。

アメリカで死んでも、日本で死んでも、同じ幽界になど行く訳がない。

幽界はもっと遠い。

まぁちゃん: 幽界というのは死後行く世界でしょう。
臨死体験して幽界に行って来たって言う人がいるけど、違うんだ!

その前にも冥界というところがあって、その手前までしか行っていないとすると、肉体をちょっと離れただけじゃないの?

よく守護霊が迎えに来てくれるって言うよね。

でも、守護霊もひとりの個性であるから、生きている時に交流がないばかりか、守護霊という存在を馬鹿にしていたら「迎えに行ってやるもんか!」ってなるよ。

困った時だけ助けてくれなんて、やっぱり虫が良すぎるね。

霊魂: つまり、人々の実験から真実は絶対に得られない。

光の天使など迎えには来ない。
来るわけもなし。

己が認めないものを、相手もどうコミュニケーションとやらを取りようがない。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ4に続く
関連記事
Relate Entry
Comment
Trackback
Comment form
プロフィール

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



みずば霊魂学 新刊のご案内






































検索フォーム
天気予報
ブロとも申請フォーム
QRコード
カウンター

PAGE TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。