HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイト霊的パワー〈霊言講演〉  »  これが霊的パワーだ!6
RSSフィード

トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
  ※イメージ画像

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
これが霊的パワーだ!5からの続き

霊魂: 幸福というのは個人の問題なので、他者が不幸だと言っても、本人は幸福だと感じていたりもする。
その逆であったりもする。

よって、本人が幸福なら文句は言えない。

が、霊魂はそうは見てない。

「この人はこんなに幸福になるため生まれていない。もっと不幸でよい」

「その代わり、やるべきことがあった」そう考えている。

ゆえに、霊的パワーは、病気や健康、学力やお金、そういったものの全てから独立して、何が正しいのか、それだけのために働いている。

病気になって死ぬのが正しければ死ねば良い。

それを助ける必要はもうとうない。
それが、その魂にとって本当に良ければの話し。

もちろん、助けられるものなら助けてあげたいのが普通である。

しかし、高貴な霊魂は、そのくらいの次元で見ているものだと認識していないと、何でも私のもとに来れば救われるとか、何でもここへ来ればなんとかなるとか、そうしたおかしげな事になる。

もしも、神や仏を信じて、本当に誰でも、皆、幸福な人生が得られるとしたら、そこはいわゆるサタンである。

間違いのないサタンである。邪霊そのものといえる。

まぁちゃん: サンタじゃなくてサタンだね。

霊魂: 幸福の観念がそれぞれ違っているのに、自分にとっての幸福が皆、得られるとしたら、間違いなくそれは霊的に正しいことではない。

「不幸おおいに結構!」

しかし、それがその人の生まれた目的に沿っているならば、やがてもっと深い意味での、本当の意味での幸福に至るはずである。

例えば、あす死ぬとする。我らは、死ねと言う。

しかし、「3年生きたら、この世に生まれた何らかの価値や使命を自分は果たせるのです」

「だから、生かしてください」

と言うなら、霊魂は「なら生かそう!」と言う。

実際、生かせるかどうかはともかくとして、そのように働く。

そうでなければ、死んでもらえばそれで良い。
それが運命でもある。

そこでやはり、いくつになっても、人はなぜ生きているのかを、いつも考えなければならない。

やがて霊魂になって再びあの世に行く時に、自分は消滅していない。

ということは、今、何を行うか、これから何を行うかによって、何千年、いや永遠に続くであろう自分の人生が変わってしまう。

何が正しいのか。
そんなことは我々ごときにわかることではない。

ひとりひとり、全員、背負っているものが違うのに、一律に「あなたはああしなさい、こうしなさい」など言えるものではない。

我々とて決して言えない。
ただ、すれば良いのにと言えるのみである。

よって霊的パワーを日々身につけて欲しい。
そうすれば、自分で考え、自分で生きられる。


そのためには、なるべく高貴な霊的環境に自分を置いて欲しい。

もし、高貴な霊的、宗教的組織が山ほどあれば、皆、良いに決まっている。

しかし、世の中を見るに、皆、ここへ来れば救われるとか、ご利益があるとか、みな幸福になれると、甘い汁ばっかりをたらしている。

そんなところに高貴な霊魂は働くわけがないから、どこに行っても無駄である。

まぁちゃん: 悪い奴っていうのは、甘い言葉をかけて寄ってくるよね。
みんなそれに騙される。

また、うまいんだよ。

霊魂: つまり、自分で探すしかない。

日本には幸い、神秘なる山もある。
高貴な霊場もある。

我々はそういった所をフルに利用し、地上に少しでも霊的な高い気を降ろす。
それを使命と考えております。

仮に、釈迦がここに現れる。
「お前を斬る」といえば、「斬ってみろ」と私は言います。

仮にイエスが現れ、「お前が邪魔だ」と言われたら、「お前の方こそ邪魔だ」と私は言います。

なぜなら、霊力は一言の重みでもある。

仮にイエスが来ても、釈迦が来ても、今ここにいる方たちには関係ない。

ここでいま我々が話すことは、人々の運命に影響を与えてしまう。

よって下がれない。なんと言われても下がれない。

ただひたすら、正しいと今思うことを確実に話すのみ。
間違っていたら、後で腹を切るだけである。


霊的なパワーは、何もわからなくてもみな、共通してもっており、本人の努力で必ず増やしていける。
それが生きているときも、死んでいるときも、必ず力になる。


まぁちゃんの一言

もしかしたら、人が生まれてくる時に「こう生きよう」とか「こういったことをしよう」と希望をふくらませ、生まれてくるのかもしれません。

しかし、その記憶がない。

そのうえ現実社会は生きること、生活すること自体が大変です。

そういった競争社会の中で流されていると、つい本当の自分を失ってしまうのではないでしょうか。

もし死後の世界あるなら、死んでから「自分のやりたいことが果たせなかった」とならないような人生を送りたいものです。
関連記事
Relate Entry
Comment
Trackback
Comment form
プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



みずば霊魂学 新刊のご案内






































検索フォーム
天気予報
ブロとも申請フォーム
QRコード
カウンター

PAGE TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。