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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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人のこころ3からの続き

まぁちゃん: じゃぁ、昔と大きく変わった社会では、どうすれば良いの?

霊魂: これからは、仮に人が苦しみから逃れ得たとしても、そうすることが良かったかどうかを考えねばならない。

たとえば、断食をして日々瞑想し、仮に欲を少なくし、より大きな高い目的のみに欲を持つという人ばかりになったとする。

誰がご飯を作るのか?

片方で誰かが、ご飯を作っているからこそ、片方が瞑想していられる。

全員、朝から晩まで瞑想していたら、まず間違いなく、みな栄養失調の時代が来る。

つまり、インドのような大自然で生きる所とは違い、この狭い日本の国の中では、ましてビルの中では、インド的な生き方は不可能である。

必ずストレスがたまり、病気になってしまう。環境が違うからである。

まぁちゃん: 日本人は働き者だからね。
何かしてないと落ち着かないから、じっとしていられないんだよ。

霊魂: そうなると、違う考えをせざるを得ない。

全員がお悟りになって、目の前で子供が溺れているのに、一歩も動かず座禅を組んでいたら、間違いなく小さい子供は、溺れ死んでしまう。

そうなる悩み苦しみは、必ず深い深いカルマをつくる。

そこで我らは、「座禅をやめて子供を助けろ!」という。

つまり、皆が皆、苦しみから脱出し得たとしても、そのこと自体が霊的進化につながらない場合があると言いたいのである。

まぁちゃん: 目の前の現実から目をそむけるのは、良くないということ?

霊魂: 皆が苦しんでいても、そのことが霊的進化ならそれでいい。

例えていえば、この食事を食べるか否かという時、肉体のためには食べたい。
が、精神のためには食べたくないという場合がある。

逆に肉体のためにはもう飲むなといっても、精神のためには飲んだ方がいいかも知れない。

つまり、人は肉体をもっているために、苦しいことから救われることと、正しいことがいつも違っている。
となると、正しい事は多少の苦しみを伴っていることになる。


まぁちゃん: 人生の悩みや苦しみは、必要なものなんだね。

霊魂: 他人のことはどうでもよく、隣に強盗が押し入り、気にすることもなく黙って瞑想していられれば、心は騒がず苦しみは来ないかもしれない。

しかし、隣の子供が自分の子供と同じクラスで、普段から付き合っていて、その子が強盗に殺されるかも知れない。

もし、自分が行ったら、助けられるかもしれないという時、心を動かして己が苦しみ、やはり助けたほうが良い。

つまり、人は全員が全員、同じような心を持っていない限り、必ず、他人の人生に巻き込まれる。
必ず苦しみを背負う。

しかし、その苦しみは必ず必要になる。

その苦しみから脱出することばかり考えていると、絶対真の意味での進化はない。

ある信仰を持ったから、ある座禅をしたからといって、人の心が、ただ平安であってはいけない。

まぁちゃん: 自分のことだけを考えていると、気分的にすごく楽になる。

でも、家族のことや、まわりの人間関係、将来のこといろいろ考えてしまうと、悩まずにはいられなくなってしまう。

霊魂: だからこそ、他人の苦しみを感じてしまい、余計に苦しくなるで良いのである。

そういった個性しか霊的には高くなれないし、霊的に高いと呼ばれる個性は、そうした気持ちがあるからこそ、わざわざ地上に降りてくる。

人間がどうでも良ければ、降りてくるはずもなし。

まぁちゃん: 人間に生まれる必然もない高貴な魂が、人々を導こうと地上に降りて来るらしいから。

霊魂: どんなに霊的に高い世界へ行き、バラ色の人生、いや霊的な人生であったとしても、それだけで良ければ苦しみはないかもしれないが、地上の人たちが苦しんでいれば、地上に降りて来る。

となれば、その人生の苦しみを半分背負ってしまう。

なぜなら、行動そのものが縛られるからである。
好きにしたくても出来ない。

親が子を心配するがごとし。

どうしても、この人生に巻き込まれる。それを承知でなければならない。

地上の人が全員、幸福になれれば別だか、そんなことはあり得るはずもなし…

まぁちゃん: 霊的に低い霊魂は、人間を操りたいとか、仲間に引き込みたいとか、人間が辛かったり、苦しむ姿を喜んでいるけど、高級霊は本来住むべき世界にいた方が楽なんだよね。

それでも、自分を犠牲にして、地上の人々が幸福を得られるように働きかけているんだ。

霊魂: となれば、どんなに霊的に向上しても、人の心は悩み苦しみでいっぱいである。
それが、高い魂であって、悩み苦しみがなくなったらあまり高くない。


まぁちゃん: 「悟った」なんて言って、穏やかそうな顔していると霊的に向上しているような気もするけど、逆だね。

霊魂: つまり、関心を持つべきことに、関心を向けていない証拠だからである。
しかし、それでは、あまりにストレスがたまって、自分の身体がもたない。

だからこそ調和がいる。

つまり、適度な調和により、何も、全て己が背負ってしまったら当然生きられないから、どこかで外しながら、己が成すべき事は何かと考えねばならない。

それが心を少しづつ発展させ、成長させていく。

人のこころ5へ続く
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プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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