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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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幽気と幸福2からの続き

まぁちゃん: 仏教やキリスト教とは違って、神道には教えのようなものがないように思えるけど。

霊魂: 昔から神社などでは教えというのは、ないと言われてきた。
なぜなら、どんな風に生きようと本当は自由なのである。

どうでも良いというと語弊があるが、どんな生き方をしようと倫理道徳の教えは、時代と共に変わるものである。

まぁちゃん: 最近じゃぁ、倫理道徳などどうでも良くて「法律に触れなければ何でもあり」のような感じがするよ。

価値観多様などと言って、 自分さえ良ければ、というような考えを持つ人が多くなったし、人のことを、あれこれ言う割には自分を正そうとはしないからね。

霊魂: 昔は男尊女卑、今は男女平等。
昔の尺度で言えば、今の人は全員地獄へ落ちねばならん。

それがもし、時代と共に変わるのであれば、絶対的な基準など、はじめからないと言うことになる。

とすれば、大切なのは、そこにきれいな幽気があって、それを吸収することにあった。

まぁちゃん: つまり、霊的な真実とは別に、教えというもは所詮、時代と共に変化し得る流動的な部分が強いものだね。

それが普遍的なものでないとすれば、霊的にはあまり価値ないものだったりするけれども、神社やお寺、教会などに人が集まり、 そこに良い幽気が降りて来て、その幽気を吸収することが大切だったんだね。

霊魂: ところが、神様のおうちになってみたり、「ご神体は像にしないとダメだ!」と言ってみたり、神主さんからオーラが出ていなかったり、集まってくる人も誰も信じていない。

これだと、近くまで高い霊魂が来ても、目印もない、神を祈る念もない。
つまり念があればそれに作用できた。
しかし、その念もあまりない。

まぁちゃん: 高い霊魂が「地上の人間はどうしているかな?」なんて、地上近くまで来ても、目印もなければ、真面目に祈る人もいないとなれば、 良い幽気を降ろしてあげたくても、求める人がいないってことで、何も出来ないんだね。

霊魂: ご神木というのがあるだろう。
こうしたものも大切に扱い、霊的だとすれば当然目印になる。

いわゆる高い霊魂が来るための目印にもなる。
ただし、今はそうした力も失ってしまった。

まぁちゃん: 必ずしも、霊的な目印となるのは「これじゃないとダメ!」というもなのではなく、大切なことは確実に高い霊魂から見て、目印となることだったんだ。

霊魂: 「幽気を、いわば上から来る幽気を吸えるかどうか?」
「なぜ幽気が上から来るか?」当然、高級霊は上から見ているからである。

幽気と幸福4へ続く
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プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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