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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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霊魂より見た地上の正しさとは5からの続き

霊魂: イエスは、その後、神のごとし扱いを受けたが、彼は国家の秩序を乱す悪い人間だった。

それが正しかった。

まぁちゃん: そうか!今は、キリスト教と言えば世界の一大宗教だけど、当時は、今でいう新興宗教的な存在だったのか。磔にまでされてしまったんだから…

じゃぁ、どうやって霊的な高低を判断すればいいの?

霊魂: 正しく処刑したのに、あとから人類の敵といわれてしまう。

これはおかしい。

槍で突いて殺せと指示された。

正しかった。

何が正しくなかったのか?

が、あとから極悪人のごとくに嫌われる。

これはおかしい。

まぁちゃん: 「水戸黄門」を見て思うんだけど、悪いのは悪代官であっても、その下に仕えていると「懲らしめてやりなさい!」って、助さんと格さんにボコボコにされちゃうのはかわいそうだよ。

これとはちょっと違う?

霊魂: 人のいう正しいとは、常にそのとき多いというだけである。

人が人を殺すことですら、戦争に行きゃぁ、殺さにゃいかん。

死刑執行人は殺さにゃいかん。

どこが間違っている。

それを正しいという理解があっただけのことである。
間違いという理解があれば、良くないことをしたと言われる。


まぁちゃん: 日本は原爆を落とされたよね。
つい最近のこと。

戦争の悲惨さや、無意味さを知っているはず。

だから、「戦争なんて絶対してはいけない!」って言ってたでしょう。

でも、近頃は「自衛のためなら仕方がない」そんな雰囲気を感じるけど…

戦時中は、たくさんの人を殺すと勲章をもらってヒーローだけど、戦争で負けたりしようものなら犯罪者だもんな。

じゃぁ、どうすればいいの?

霊魂:
が、知的インテリなどと称する人を除き、一般の人にそんなことは何もわからない。

何が正しいかなど、その時々、大勢の人がそう言っただけ。

それだけだ。それが人だ。

人はただ欲求に生き、欲求に死ぬだけだ。

だからこそ、我々は人々の知性を超えた真実を世に出したい。

なぜなら、人は霊魂だからである。



まぁちゃんの一言

子供は、学校でウンコをすると嫌われる。適切な場所でしたにもかかわらず・・・。

いじめる側の子供のお腹の中にもウンコがつまっている。

みんなするよね。

外に出ると汚くて、お腹のなかにあるうちはきれいなのかな?

他人のウンコは汚くて自分のウンコはきれいなのかな?

最近、有機栽培ブームだよね。

有機栽培は化成肥料を使わず堆肥、鶏とか牛、豚のウンコだ。

人のウンコでもいいわけだ。

ひと昔まえは、それが当たり前だった。

じゃぁ、野菜のラベルに「わたしのウンコで育てました」と書いて、自分の笑顔とウンコの写真入りで…

誰も買わないよね。

野菜でも、本来、虫がついて当たり前。

虫がつかないのは、殺虫剤使っているから。

それなのに虫食いだと売れない。

ラベルに有機栽培、無農薬など表示されているだけで、安心する。
実際は違っていてもね。

無農薬、有機栽培は、真面目にやると手がかかるんだ。

汚い話題になってごめんなさい。

いや、きれいなんだ!?
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霊魂より見た地上の正しさとは4からの続き

霊魂: 我々、霊魂であれ、人であれ、およそ生命体に対してものを言う。

生命体は、地上の論理では生きていない。

魂の数千年の歴史の中でこの世に生まれ、大切なことを考え、大切なことを行ない、やがて蛹は成虫になってゆく。

それが正しい。

まぁちゃん: 地上の人間がどんなに偉そうなことを言っても、所詮さなぎだ。

果たして成虫になれるのかな?

霊魂: 正しいとは、そのときの多数意見にすぎず、別の国へ行けば、別の正しさがある。

イスラムへ行けば、イスラムの正しさがある。

「女は顔を出してはならん」それが正しい。

「たくさんの嫁をもってよい」それが正しい。

「サルを食ってよい」それが正しい。

人々の言う正しさは、そうしたものである。

まぁちゃん: 同じ時代であっても、外国と日本では文化、価値観、考え方が違ってるよね。

日本では当たり前のことであっても、外国人から見ると、変に思えることもたくさんあるんだろうな。

霊魂より見た地上の正しさとは6へ続く
霊魂より見た地上の正しさとは3からの続き

霊魂: エイズで死ぬだと?

死んでしまえ。
人はそのように生まれ、そのように死んでいく。

なんの問題もない。

役人が悪いだと?

そうした役人を作ったのは誰か。
そうした制度をつくったのは誰か。

なぜ、そういうことになったのか。

人はなぜ死ぬのか。
その訳は何だ。

生まれて食べて死ぬだけだ。

じゃぁ、食べねば全員死ぬというのか。

そういうことの様子…

まぁちゃん: それはちょっと言いすぎ!

人間は、死というものから避けられないけど、実際、死ぬということが良くわからないんだ。

まして、自分が死ぬなど考えたくない。

霊魂は肉体がないけど、病気になると痛いし辛いし、死ぬのは怖いんだ。

とにかく人間は、動物や植物を食べないと生きていけないんだ。
生まれた時には、社会があるから、その中で生きて行くしかない。

たしかに、食べなくて良い霊魂から見れば、人間同士が物を奪い合っているように見えるかもしれないけど…

霊魂: では、動物を愛護するわけには、いかんなぁ。

全員、食わねばならんのだ。

世の中に、犬しかいなくなったら、犬を食わずに誰が生きられる。
犬と猫しかいなくなった。

さて、豚はいない。

犬を食わねば!猫を食わねば!

それが、人ではないか!

食中毒になる危険がある。何をばかなことを。

それ以前に食えん者がおる。

それは、放っておいて良いのか。
予算はつけんのか。

まぁちゃん: 世界を見渡せば、貧困に苦しみ食べることもままならぬ人達もいる。

だから、そういった人達から見れば、食中毒の心配などしていること自体が贅沢なんだよね。

霊魂より見た地上の正しさとは5へ続く
霊魂より見た地上の正しさとは2からの続き

霊魂: 悪いことをさんざんしていると言うが、悪いことが何なのかもわからないのに、人を裁いているぞ。

わからない。
何しろわからない。人、人、人…

皆、何も知らずに他人を軽蔑し、おのれがただの欲望のために生きているだけなのに、なんとか自分を正当化しようとして生きている。

まぁちゃん: ドキッ!!

霊魂: これが霊魂としての長い人生から見ると、ほんの数十年なのに、それで人生が終わると信じ、必死になって他を蹴落としている。

教育というのは、他人にわからないことを、一刻も早く子供に教え込ませ一番になること。

ということになれば、全員がそれを目指してたら、全員が一番にはならん。

やはり、一人しか一番にならん。

あとの者は皆、落伍するしかない。

それでも、延々と繰り返す。
何も考えることがない。

何がO-157だ。ばかげている。

食中毒とは何か?

考えたことがないようだ。
人はなぜ飯を食うのか。

一度、考えてみるとよい。

栄養の良いものを食べる?

では、悪いものしか食べられない者に、それをなぜ恵んでやらん。
それは個人の私有財産だからか。

ほおぅ、私有財産?

いつお前のものになった。それは誰が決めた?

それは法律が決めただけだぞ!

その法律は十年後には変わるのだろう。

では間違いだ。
どこに絶対がある。何もない。

まぁちゃん: でも、法律のようなルールがないと、みんな好き勝手生きてしまう。

みんなが守ればより暮らしやすくなるよ。
だから、法律をつくること自体は間違いではないよね。

確かに絶対ではないけど…

霊魂より見た地上の正しさとは4へ続く
霊魂より見た地上の正しさとは1からの続き

霊魂: 皆、力ずくで獲物を獲っていた時代には、動物を愛護するなど誰も言わなかった。

正しいことをして何が悪い。

まぁちゃん: 狩猟で生活していたころは、スーパーマーケットなんて無かったもんな。
だから、自分で獲らないと食べていけなかった。

霊魂: それを、動物の首を折ってしまっても、当たり前のことなのに、なぜそれを醜い行為だという。

なぜ、悪と言う。

動物の首を折って当たり前の時代があった。

皆に喜ばれ感謝されて、神のごとしに言われたぞ。

それが人の歴史だぞ。

今ろうやにいて何が悪い。

ふざけるなと言いたいぞ。

人は皆、そういう歴史を通ってきたのであって、誰も人殺しをしないで生きてきたわけではないぞ。

過去世では皆、人を殺しているぞ。

人を殺した時代があったのだから、そのうちの殺した方のおのれも過去にあるに決まっている。

殺された側にも自分がいたに決まっている。

まぁちゃん: 今の日本で暮らしていると人を殺すなど考えもしないけど、「オレが掟だ!!」なんていう人がたくさんいる無法社会では、きっと、きれいごとなど通用しないだろうね。

霊魂: 自分は何度も殺しておきながら、今、殺していないと言って他人を裁いている。

何で裁けるのだ。

その頃は、正義といわれて裁かれてないぞ。

お前達は、一度もろうやに入らずに人を殺していたぞ。

それでも、いま裁くというのか。

わからない。人はなぜ裁くのかわからない。

まして、何が善で何が悪と誰が決めたのだ。

ふざけるな!!

お前達は皆、普通に動物を殺して食べているのだぞ。

将来、百年後に絶対動物は食わぬという人類になったら、みな殺人と同じ扱いを受けるぞ。

「昔の人は皆、魚や動物を殺していたそうだ。なんという悪人か」と言われても、今の者は「子供にタンパク質を与えねば」と言っておるぞ。

タンパク質を与えるためなら殺してもいいと言っている。

まぁちゃん: じゃぁ、ステーキのレアなんか食べていたら異常者だ。

霊魂: わからない…
何を考えているのか、さっぱりわからない??

人に善もなく悪もなく、その正体は単に欲望だぞ。

その欲望が金持ちを生み、出世を生んで、貧乏人を生んでいるのだぞ。

にもかかわらず、皆、勉強して立身出世をするのが良いなどと言っているぞ。

まぁちゃん: かといって、欲望を持つことが悪いことではないよ。
欲望がないと生きてはいけないから。

その欲望が正しいのか間違っているのか、良く考えろっていうこと?

霊魂: 誰かが社長になれば、誰かが首になるのに決まっているのに、首になる者を誰も同情せず、人生の落伍者などと言っているぞ。

わからない??

霊魂より見た地上の正しさとは3へ続く
講演会は質問形式では行っておりません。

まぁちゃん: 霊魂から地上の人間は、どのように見えますか?

霊魂: 簡単なことを説明しておく。人の魂は今のお前ではないぞ。それは断っておくが、お前ではない。

だとすれば、仮に寝ているとして、自分の行動は夢の中で、いつ普段と同じだったことがある?

が、夢の中も果たして他人か否か?
他人じゃないぞ。

自分の本当の思いもそこにあるのだぞ。

まぁちゃん: ということは、夢の中でも表面的な意識だけではなく、もっと深い意識が反映していることもあるんだね。

霊魂: たとえば、死にそうになったら、普段どんなにプライドが高くても、泣き出してわめくぞ。

それも自分だぞ。

誰も気にしてくれなくなったら、寂しくなる。

皆が側にいたらうれしい。
良いことがあったら楽しい。

腹がたったら相手を殴りたい、蹴りたい。

が、すべて自分であって、他人じゃない。

今笑っている自分は、二時間程まえに怒っていたが、それはすべて心の中にいつもあったのだ。

まぁちゃん: 人間はみんな同じなんだ。
よかった!

霊魂: いま、自分のつもりでいるが、それは、今の瞬間そうした顔になって表現されているだけだ。
本当は違うのだ。
だから、いま悪人であっても魂は違う。

今、ろうやにいたら、皆、お前のような悪党は更正せねばならぬというが、違うぞ!

ろうやにいる面を今出しただけだぞ。

まぁちゃん: 魂というのは、心とは違うんだ。
魂はいろんな面を持っているということだね。

霊魂: 皆、全員こころの奥には、同じものがあるのだ。

飯が食えねば、絶対におのれが食いたいのだぞ。

女がひとりしかいなければ、あとの者は殴っても、おのれのものにしたいのだぞ。

人はみな同じ。誰も違わない。

が、それを知らず愚かなことを叫んでいても、いま善人だというが、明日はろうやだぞ。

だから言う。

人は魂として、長い歴史をもっていた。

その歴史には醜い部分がたくさんあるが、醜いと思うのは、人がそれを醜いと名づけたからだぞ。

まぁちゃん: 自分では気がつかないけど、魂という視点から見ると連続していて、いろんなことを経験して来ているんだ。

霊魂より見た地上の正しさとは2へ続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ6からの続き

霊魂: その罪はなんとか抜かないと、あの世に行っても向上できないのであるから、そうした技をなんとか広げなければならないに決まっている。

が、それを妨害しておいて、それでもなおかつ、なぜ自分は救われないのかといって文句を言っている。

これでは、まさに、真の神がもし本当にいれば、「そういった者をまず最初に、地上から消してしまわないと仕方ありませんね」となってしまう。

それがまずいのなら、せめて人の妨害をしないことである。

ところが人は、それぞれに自由があるのにもかかわらず、他人の人生に干渉したがる。

何か霊的なことを言えば、またおかしな宗教が出現し、またおかしな信仰に入っていると言う。

大きなお世話である。

人がどう生きようと、犯罪を犯すのではなければ、他人にとやかく言われる筋合いはある訳がない。

まぁちゃん: 昔は神を真剣に求めるということは立派なことだったけど、今じゃぁ、変人扱いだから。

現実からの逃避とか、心が弱いとか言われてしまう。
まいったよー。

うっかり霊魂なんて言葉は言えないんだ。

霊魂: 邪教に入った信者はまだましである。

それは方向が間違っているだけだからである。

教義がやや間違っている、また、その教祖が間違ったことを言っているというだけのことであって、何も信じず無視している奴よりいいに決まっている。

我々霊的な人生の真の目的を「汝の神を愛せよ」と名づける。

その意味はあまりにも深いが、霊的に成長しなければ真偽はわからない。

人ひとり、「生まれて死ぬまでに、これだけはせよ」ということを己の守護霊は全員知っている。

無論、守護の霊魂クラスでは分からんこともいっぱいあるが、とりあえず、より低い人生のテーマくらいは知っている。

その霊感が降りるように生きれば、死後はとりあえず下がらない。



まぁちゃんの一言

人には自由意思というものがあります。

霊魂が言ったように、犯罪を犯すのでなければ、どう生きようと他人がとやかく言うことではありません。

霊的なことを求めるのも自由であるし、否定するのもそれぞれの自由だと思います。

だから、僕も自分の考えを押し付けるつもりはありません。

死後の世界がなければ、人間死んだらそれで終わりだし、もし死後の世界があるなら、霊的な法則にしたがって生きればいいことです。
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ5からの続き

霊魂: そこで、人はなぜ生まれて、なぜ死ぬのか?

ある個性はこう言った。

人々がエデンの園から脱出できた時、人々は生殖する存在になった。

つまり、物質の世に幽質界から下がってきた時、人々は肉の身を着た。
そのために、肉体がなければ起きない様々な殺りくが起きた。


食品を食べるためである。

その結果、ありとあらゆる格差が現れ、生活の差、地位と名誉の差が現れた。

スターとただの人を生んだ。
それがやがて激しい殺し合いになる。

そして、何も見えなくなった。

もともとあったはずの神も霊魂も消えてしまい、いつの間にやら、偽りの神と霊魂ばかりになった。

まぁちゃん: 現代の人達が神に祈るとすれば、商売繁盛、家内安全、受験合格とかそんのご利益ばかり求める人が多いよ。

小銭払ってさー。

霊魂: 人は、「神が人を殺せ」と言うはずがないと思い込む。

が、神は人を殺したいわけなどない。

なぜなら人は死ぬのが怖いし、殺されるのはいやだし、望んでもいない。

人に自由があるから、神はそんなことは望まない。

が、どうせ死ぬのなら安らかに死なせてやりたい。

皆は神に対して、おのれ自身の勝手な欲望をいつも要求している。

「神は愛ではければならない」とか「人を救ってくれなければならない」そんな馬鹿なことがあるはずがない。

別々の存在に対して、別々の個性に対して何か願うなら、代償を求めずである。

それが当たり前なのに、神はなぜ、己の心を理解しないと言っている。

つまり、神は代償など、もちろん求めていないが、代償がなければ神に祈れないというような真剣なまなざしを求めている。

病を治してくれというが、治したらすぐ忘れてしまう人間よりも、「自分は好物のこれを断つから治して欲しい」というなら、治してあげたいと思うのである。

そういう気持ちもまるで持たないのに、私に神は何もしてくれなかったという。

昔から、神そして霊魂を正しく求める人間を疎外してみたり、妨害してみたり。

それでは、人が生きる目的は、何も達成できないばかりが、誰ひとりカルマを抜くことも出来ない。

そうなれば延々、何千年地上にいても、人々のカルマは永遠に軽くはならない。

誰ひとりとして、人殺しのカルマを脱することが出来ない。

地上の人間は数千年来、ずーっと戦争してきた。

戦争までいかなくても、さんざんに人を踏みつけてきたに違いない。

まぁちゃん: 人間って今の自分しかわからないから、「法律にも触れてないし、刑務所に入ってない」だから、死後の世界が仮にあったとしも自分だけは天国に行くと思ってるよ。

霊魂: そういった歴史が人類にはある。男も女も同じ。

女であっても過去は男だったかも知れないし、その逆もある。

となれば、みんな何かやってきたから地上にいる。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ7に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ4からの続き

霊魂: さて、はじめてそこで生まれた新しい生命とされるが、実は過去を持つその子は、地上で仮に、17なら17才になった時、同じような体験に遭遇する。

言うまでもない事ながら、己の肉体がどんどん大きくなるにしたがい、肉体の脳がそうした経験をする状態を作っていくから、意識の奥にある失恋して自殺したなら、自殺した心情が表現し得る状況が生まれてくる。

そしてそれが、はじめて出てくる。

そのとき人は、また同じことを繰り返したら、生まれた意味はない。

それをカルマという。

が、なぜかまた死んでしまったり、今度はその反動で全く逆のことをしてしまったり、様々な結果を出す。

「その霊的なカルマをどうするのか?」という。

まぁちゃん: 自分では気がつかないけれども、年頃になって同じような状況になってくると、その過去世の心情になってしまい「もう、死んでしまいたい」と考えたりもするんだ。

霊魂: 我々霊魂は、それをどうすれば良いのか知っている。

無論、禊なる秘儀をもっているのでなんとかするが、しかし多くの人達は、そのまま死んでいく。

何度も生まれても、生まれた目的など一度もない。

つまり、とにかく霊的に進化するには、そうしたカルマを解消しなければならんのに、誰ひとりとして、そんなことを考えていない。

が、昔むかし、インドでクリシュナとか釈迦とか呼ばれた方々は、そうした問題をテーマにしていた。

日本でも古代から禊があったということは、そうした問題がテーマになっていた。

つまり、人類にはカルマを解消する方法はもたらされていたが、まったく気づかず数千年過ぎている。

そのうえにそうしたカルマをどう解消するかなど何も考えずに、いきなり誰か救世主人を救ってくれるなどと、勘違いしたりもしている。

所詮は、己の力でカルマを抜くしかない。

それには我らで言えば、禊をするしかないのであるが、では、そのカルマが人生のテーマであるかと言うと、必ずしもそれだけではない。

人々の浅知恵は単純に、「良い事をせよ」で終わる。

が、その個性の中の深い心情の中にどうしても、止めろと言われても、これだけは止められない。

あるいはこうしたものを見ると、どうしても手が出る。

そうした深い深い心情が眠っている場合がある。
簡単には解消できない。

だから「生まれてこない方が良い人間だ」というイエスの言葉がよーくわかる。

まぁちゃん: たとえば、人を殺したくなるような心情をもっている人もいるわけでしょう。

その人の心情が爆発してしまうと、殺人を犯してしまう可能性もあるわけだ。

そうなると、また生まれて多くの人を殺してしまった。

これじゃぁ、やっぱり生まれてこない方が良かったに違いない。

自分だけがおかしくなるならともかく、他人の自由を奪ってしまうことだからね。

霊魂: 人生の目的はカルマの解消は当然だが、もうひとつ大事なのは、そのカルマの解消がどうせ無理なら、どうせなら「神のために死ね」である。

それが「汝の神を愛せよ」である。

すべてにおいて人には限界がある。

いちばん大事なことを忘れて、人は肉体の脳で議論している。
明日どうなるか見えないのに、明日の対策がどちらが正しいのか議論している。


愚かしい。

絶対にどちらも正しくはない。
より正しい可能性を探っているのである。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ6に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ3からの続き

霊魂: そこで、人、死を迎えたら霊的になるべし。

食欲、性欲その他もろもろはやむを得ず。

が、それ以外に関しては、霊魂のみを見るべし。
それは、人が誕生してからのテーマであった。


人がこの世に生まれた唯一の目的は、2千年前にイエスが言ったごとし。

「汝の神を愛せよ」ただそれだけである。

人はそれだけのために生き、それだけのために死ぬ。
それしかない。

人は大きな心得違いをしている。

2千年も前の古代の言葉など、何の価値があろうか。

が、古代だからこそ、その程度のことしか言えなかったに過ぎない。

古代の人の知的レベルが低いからこそ、その程度の言葉しか表現できなかった。

今なら何と言う。

神イザナギの大神、禊の大神、富士の大神、これがすべてである。

つまり、地上に生まれて生きる目的は、霊魂を語らねば出てこないのは確か。
霊魂を語ると、その延長に神がある。


それを無視して何を語っても意味がない。

まぁちゃん: 自分の未熟さを思えばこそ、より高い存在に向いていないといけないんだ。

だから、守護霊も霊的な向上を目しているわけだから、地上の人間が神を求めていれば、よろこんで迎えに来てくれるんだ。

霊魂: 例えて言えば、人には過去がある。

つまり、何度か人は、生まれ変わっている。

もちろん、人の個性がそのまま生まれるのではないが、〈これは難しいので置いておいて、一部が生まれているが〉、まぁ、とにかく過去世がある。

その時に仮に大きなテーマを作ったとする。

例えて言えば、大失恋をして自殺した。

そのままあの世に行っても、その傷は忘れているが、霊魂としての進化のマイナスになる。

なぜなら、この世の肉体と肉体を持つ人がいるからこそ起きた欲望である。

失恋やその他は、あの世の肉体のない世界では経験できない。
そのためにその部分だけが、心の中にしっかりと残ってしまい、いつまでたっても消化していかない。


向上していかない。

幸いにして地上では、自分たちの子孫が延々生きている。

その子孫として、誰かの子供の中に、その意識の一部が入ってくる。

まぁちゃん: 一部が入ってくると言うなら、過去世本人は幽界に残っているんだね。

生まれ変わりっていうけど全部が生まれ変わるわけではないんだ。
再生っていうやつだね。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ5に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ2からの続き

霊魂: 年をとり、あと2年で死ぬとする。

その人は何をすべきか?
もう人生は大半終えてしまっている。

何をすべきか?

答えはただひとつ、「すべてを捨てるべし」己は、すでに肉体をやめる。

肉を止めるのが決まったら、「肉体を持っているからこそ出てくるあらゆる思考をやめよ」である。

まぁちゃん: 人は霊魂になるにしたがい、どうなるの?

霊魂: 言うまでもなく霊魂としての本性を表現してゆく。

そのため肉体から、霊的身体へのなだらかな変換がいる。

そのために最も大切なのは、食欲や性欲はあっても良いが、肉体を保持する基本以外の諸々の物的な側面は外さねばならない。

その意味は、人が生まれた時にさかのぼる。

そして、そのまた深い意味は、地上に人類が、なぜ生まれたかにまでさかのぼる。

死んで間もないある個性が、こういった体験をした。

まず絶対に、この世しかないと思っていたらが、たまたまあの世があった。

そのために深い傷を負った。

なぜなら、死後の生命体は、自分を認めぬ者を認めないからである。

彼らの世界は、はっきりしている。

想念と想念で互いに通じ合う。地上の言葉はいらない。

が、レベルが違うと通じない。
よって、より上の存在と通信を保つには、己が必死に相手を認めないと通じない。

つまり、己より一歩でも先に行った方に手を引いてもらおうとすれば、己が頭を下げて、手を引いてもらわないことには話しにならない。

つまり、霊的個性を認めないと、人には救いが来ない。

あらゆる書物の中で、臨死なる体験が言われる。

が、人は正確には幽界になど行ったなら、戻って来ない。

彼が見ているのは、肉体の脳の延長であるし、我らの言う冥界の入り口である。

つまり、妄想の世界である。

彼らが共通した体験を持つということは、共通した妄想を持つ脳があるからである。

人が行く世界が同じ訳がない。

アメリカで死んでも、日本で死んでも、同じ幽界になど行く訳がない。

幽界はもっと遠い。

まぁちゃん: 幽界というのは死後行く世界でしょう。
臨死体験して幽界に行って来たって言う人がいるけど、違うんだ!

その前にも冥界というところがあって、その手前までしか行っていないとすると、肉体をちょっと離れただけじゃないの?

よく守護霊が迎えに来てくれるって言うよね。

でも、守護霊もひとりの個性であるから、生きている時に交流がないばかりか、守護霊という存在を馬鹿にしていたら「迎えに行ってやるもんか!」ってなるよ。

困った時だけ助けてくれなんて、やっぱり虫が良すぎるね。

霊魂: つまり、人々の実験から真実は絶対に得られない。

光の天使など迎えには来ない。
来るわけもなし。

己が認めないものを、相手もどうコミュニケーションとやらを取りようがない。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ4に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ1からの続き

霊魂: 仮に、死後の世界があれば、2才で死んだとしても別に問題はない。

必要があれば、また生まれるやもしれず、物質の世界がすべてなら、2才で死んだ子は何の価値もない。

まぁちゃん: そうだよな~
生きることに価値があるとするなら、好きで死んだわけでもない赤ちゃんはかわいそうだよ。

霊魂: もしも、人に価値ありとすれば、霊的な生命を無視しては成り立たない。
つまり、人生とは何かと悩む時、人は霊魂を知る以外に救いがないのである。


それを知らずに、いかに頭をひねっても、明日死ぬかもしれないのに何を悩む。

本当に死後の世界がないなら、高校生がいくら悩んでみても、大学へ行く前に死んでいるのかもしれない。

30年先の人生設計は無意味である。

まぁちゃん: それは結果論であるけれども、自分がいつ死ぬかわかったとしても、何をやって良いのか戸惑ってしまう。

残される家族のこととか恋人のことが、気になるなー
人は先々が見えないからこそ、なるべくなら不自由がないようにと貯蓄を考えるし、保険にも入る。

それはすべて不安だから。

霊魂: つまり、今のこの世が小学校だとした時、人は小学校を出れば中学に行く。

が、中学校に行くことを知っていれば、小学校で学ぶことの意味がわかる。

中学が絶対ないと思っていたら、小学校でどう生きるかは全然違ってくる。

つまり中学がないはずなのに、中学へ無理やり行かされれば、ついていけない。
苦しむだけである。

まぁちゃん: 死後の世界が存在するなら、自分は天国に行くのか地獄に行くのか、すごく気になるよ。

霊魂: 死後の世界がもしあるとすれば、それを語らずして人生は、一切なにもわからないであろう。

そのうえで霊魂としての己がなぜ地上で生きるのか?

それを少しずつ明らかにする。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ3に続く
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 人間の人生における霊的な目的とは何でしょうか?

霊魂: 人の一生はひとりひとり異なり、死亡の時期すらばらばらであるが、それは取りも直さず、人々の人生の目的が、まさに色々な形であることを意味する。

つまり、飢えて仕方がないような国民のひとりとして生まれ、2才にもならぬうちに飢え死にして行く。

そうした人は、その人生に何の目的があったのか?

その国に生まれれば、1才ともたず、何割も死ぬも百も承知で産み、生まれ、その目的とは何か?

人が生きる上での目的は、人の考えではあらず、人がいかに頭をひねっても、己が生存していることすらわからない。

まぁちゃん: 自分の人生の目的を考えるとよくわからない。
自分にとっての満足じゃないのかな?

人それぞれだけど、やっぱり長生き!

霊魂: 仮に、人が寝ている。
人は夢を見るが、生きているつもりだし、起きているつもりで活動したと思う。

が、起きてみるとただ寝ていただけ。

人は肉を持ちうる意識体に過ぎず、生きていると本人が思っているだけ。

仮に、肉体を捨てて死んだとする。

本人の意識があれば生きているつもり。

家族が仮に集まっていたら、死んだと言って泣いている。

間違って肉体が蘇生し再び活動を始めたとする。

再び意識が戻ったら、人は死んでいたのか、生きていたのか??

人は己が生きているのかすら、正確にわかっているや否や。

まして、肉体の脳で、人が生きる目的などわかるはずがない。

仮に、3才の子供がいる。

この子が「ご飯がほしい、遊びたい」と言って泣く時、その目的は何か?

肉体の保持のみである。

が、生きる目的が、仮に肉体の保持なら、死ねば何の価値もない。

人の個性が死後も存続することがあるなら、人の価値は肉体の存続のみではない。

つまり、良い暮らしをするのであれ、地位を持つであれ、肉体の欲求に付随した思いは、これすべて肉体あっての話し。

となれば、食欲であれ、性欲であれ、肉体あってのこと。
仮に、人の胃が決して空腹をもたらさないとしたら、今ほど人は食を求めない。

腹が減るから人は食べたい。
絶対腹が減らないのなら、「そのうち食べてみよう」で終わってしまう。

よって、人は肉体の欲に伴う欲望は、どれだけ満たされたにせよ、人生の目的を持つほどのことではない。

スポーツ選手や、タレントになり頂点まで登ったにせよ、だからどうしたである。

まぁちゃん: たとえばお金持ちになろうとして一生懸命貯めたとしても、いざ使おうとしたら死んでしまった。

これじゃぁ、むなしいよね。
あの世にはお金を持って行けないの?

霊魂: 我々霊魂は、肉体が滅んでも、なおかつ意識は存続し、やがて別の世界には入ると思っている。
そうであるとすれば、人生の目的は、霊魂ぬきには語れないことになる。


神もしくは死後の世界を無視して、人生に意味はない。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ2に続く
真の霊能力とは7からの続き

まぁちゃん: 今までのは、初歩的な霊能力で、レベルが高いと思わないけど。

本当の意味でのレベルの高い霊能力はどんなの?

霊魂: 霊魂が、霊媒の知らないこと、それをしゃべろうとすると、かなり高度で難しい技術がいる。

つまり、人の脳の記憶に無いことを、口でしゃべらせるという高等テクニック。

これは、一部の霊媒のように、人間の生活を台無しにしても霊魂は入ってくる、という偏った現象を除くと、世界的に日本にある帰神法と呼ばれる秘術だけがなし得る。

鎮魂法と呼ばれる秘術をどんどん極めていくと、霊的な身体が、高級な霊魂たちに扱うにふさわしい身体になってくる。

その時に、彼らがより高貴な霊魂が、実際の霊媒候補に作用ゆく。

そうなると神に帰ることになる。

神とは、人からは遠い。

人も霊的生命である以上、そうした目とも見えよう脳をもっている。
それを高く表現し得ればそれでよい。

そのために、たとえば、より進歩した霊魂が、地上の肉をうまく用いればどうなるか?

その肉の保持者は、必然的に知らないうちに、自分の身体が進化してしまう。

また、より高き霊魂が、本当に、その人間をうまく使えば、その思想の影響がおのずとその幽体なら幽体、霊体なら霊体にしみ込んでくる。

つまり、その者自体が高貴になっていく。これが帰神法の秘術である。

(霊体…霊的身体には、肉体とダブった幽体とは別に、霊体という霊的身体もある。)

まぁちゃん: 帰神法とは逆に低い霊魂が作用した大変だ。
低い霊魂の影響を受けるわけでしょう。

低い霊魂の仲間入りだ。

霊魂: ただ単に、「はい、鳥がかかりました」とか、「はい、牛がかかりました」とか、あらぬことを言うのは霊媒術である。

霊媒術と帰神法は全く異なっている。

帰神法は神に帰る法と書く。

つまり、神がごとし幽的個性まで成長し得るための法である。

それを用いずして、そうした能力を語るのは無理である。

霊魂によりて、霊能力が起きるのは、突如としてではなく、長い長い魂の歴史を調査してからのみ行う。

ゆえに、突然、神がかかったにだまされてはならぬし、本人もそうなってはならない。



まぁちゃんの一言

霊能力を身につけることは、とにかく大変。

安易な霊能力開発は百害あって一利なし。

本物の霊能力をつけたいと思うなら、その基礎としての霊的身体の強化が不可欠です。

レベルが高くも低くも、自分の人生を犠牲にするくらいの気持ちがないなら、霊能力は求めない方がいいようです。
真の霊能力とは6からの続き

まぁちゃん: 自動書記っていう技術を訓練する人がいるけど、出来るようになるの?

霊魂: 自動書記訓練などと称して、鉛筆を持って「神様、書かせて下さい」とやる。

これは、そのうち書けるようになってくる。

最初は絵を書いていますけど、そのうち文字を書いたり、いろんなことが書けるようになりました。

しかし、そうした人を何人も見てきたが、全員、夜中に突然起こされる。
そして空に向かって書いている。

そうした状況になって、誰も日常生活をまともに送れない。
それが自動書記練習というものの姿である。


なぜなら、霊魂が外にいて、霊媒の手にエネルギーを与えて書かすというのは、莫大なエネルギーが必要になる。

手だけにエネルギーを与えて横に動かそうとするなら、人間にこうした他のエネルギーによって動かそうとすると、少しでも弱く持つと離れてしまう。

少し強く持つと動かない。
それを前提にして操らねばならない。

まぁちゃん: 霊魂も外部から人間の肉体を動かすということは難しいんだ。

霊魂: ここまで行うというのは大変なのである。

となるとどうするか?

やはり、人の脳に何らかに刺激を与えて、文字を書かせたくなる。

「まっすぐに書けよ」と脳に指示を与えて書けば、手は普通に、どの程度の力を入れて持てばペンが動くかぐらい、霊媒の体は覚えているから、絶対に書ける。

これが自動書記の初歩である。

たとえば、ある霊魂が10という数字を書かしたい。

10を書けと指示したとする。

それはただ脳に10という信号を与えただけなので、漢字であるとか、数字であるのかさっぱりわからない。

仮に富士山を書けといわれると、富士という漢字を書くかもしれないし、山の絵をそのまま書いてしまうこともある。

それは、普段から脳にインプットされているものである。

東京なら、東京というものを書くというとき、霊媒の知っている東京しか出てくることはない。

それが現実である。

つまり、霊魂がかかっていないからではなく、霊魂が人間の脳を使うから、必ず知っていること以外は出て来ないことになる。

それは、詐欺でもインチキでも何でもないのである。

しかし、多くの人たちはそうした事実をまるで知らず、自分の知的レベルで霊的な存在を判断している。

これが間違いのもとである。

真の霊能力とは8に続く
真の霊能力とは5からの続き

霊魂: しかし、完全憑依の霊能力は、どうなるかと言うと、一つの人間を二つの魂で共有することになる。
よって、自分の思い通りには絶対ならなくなる。


そうした霊魂は、人間の霊能力者の言い分を聞くことは100パーセントない。

あったら、どだい全部を占領するわけがないのである。

まぁちゃん: そういった霊魂は、悪い霊魂だね。
肉体をもてあそばれちゃうよ。

霊魂: 世の人は、あまりにも簡単に考えておるようだが、霊魂が人の身を本当に占有してしまうと、人生はまず送れない。

食事も普通に出来ない。
夜も普通に眠れん。

絶対無理。

別人が常時干渉してきて、自分の意識作用ができなくなる。

学生であれば、数学の授業に出ていても、半分自分でないのだから、まるでわからない。

会社に行って、パソコンを扱っていても、自分が気づいた時には、1行さえ打っていない。こうした状態になって行く。

まぁちゃん: それは、大変だ!

自分の意識のないところで、勝手に自分が行動することになってしまったらゾッとするね。「霊魂がやりました」なんて言っても誰も信用してくれないから。

霊魂: よって霊能力者は、いわゆる精神病患者である。

まぁちゃん: それを知ったうえで、そうしたことにならないように、どうすればいいの?

霊魂: それは、霊能力のメカニズムをもう少し知ること。

実際に初級の霊能力者で構わないが、ミスはミスと認めて、それを責めないことである。

ひとつミスをすると、やれ「こいつは詐欺師だ」では、絶対にそれ以上の能力には至ることはない。

また、それで食おうとすると、詐欺をしなければ食えん。

不適格な、まだ、そこまで行く手前の能力なのだから、やはりひとつひとつ。

「今日はこれだけわかったね」

「きょうはこれだけミスがあった」

これは、「こういう伝達のミスに違いない」とか、まわりが暖かく包んでやらないと、その人生を守ってやらないと、絶対に高級な霊能力者は誕生し得ないといえる。

それらを全て無視して、自分ひとりの力で霊的な能力をつかもうとすると、いわば人間でない意識力が必要である。

どんなに人に何かを言われても、絶対に動じない。

とか、人から無視されても「お前は、ちょっとおかしい」とか言われても、へっちゃらでないといけない。

そして、仕事が無くなっても、平気でいるようでないと務まらない。

「今日はご飯が食べられません」

それは、そうでしょう。
仕事に行くわけにはいかないから。

「きょうは霊能力訓練をしなければいけない」だから仕事には行けない。

ご飯は食べられない。家賃は払わねばならない。

となれば「まぁ、仕方がない。人が嫌がる仕事でもして、あとの20日なら20日間を、何とか飲まず食わずでやってみよう」こうした神経の持ち主しか、決して霊能力者にはなれない。

そうした現実であることを知った上で、何らかのかたちで、霊能力開発は有意義だとするなら、そうした方を二、三つくった上で、彼らの主張を確実に文字にして、分析し、ミスもあるやもしれん。

しかしミスはミスで仕方がないのだから、より高度になった時に、そのミスがそれを責めることがないように、そしてひとつの法則を見つけ出す。

そうしないと、決して霊能力開発は、人のためになることはない。

真の霊能力とは7に続く
真の霊能力とは4からの続き

まぁちゃん: 本当の霊能力を発揮にはどうすればいいの?

霊魂: ちょっと、夢を見たとか、あるいは少しばかり何かわかるということでは、到底、霊能力者は誕生し得ないのである。

もし、本当に霊能力者を誕生させたければ、ひとつひとつ関門をクリアーして行かねばならない。

学校の生徒と同じように、プロ野球の選手が、2軍から始めて1軍になるように、ひとつひとつ、まず基礎体力をつくり、それから、どうすればどんなフォームで、どうすれば玉が打てるのか、それから始めないと、正しい霊能力は一切できない。

まぁちゃん: 何にでも共通することだけど、基礎的なことは特に重要だよね。

それをやらずに、技ばかり走ると本物にはなれない。

霊魂: その他の霊能力というのは、どうしたものかと言えば、霊能力者つまり、人間の知覚、脳、これらを勝手に占領するということになる。

ここにそのまんま霊魂が見えるという時、人間は物質でないもの以外は、見えないように出来ているはず。

そのように出来ているのに、なぜ見えるかといえば、当然、その幽的なら幽的存在が見える目がこちらにあって、その目を最終的に肉体の脳がきちっと認識しているということになる。

まぁちゃん: みんな初めから、見えないのが当たり前なんだ。

肉体とダブった霊的身体、幽体は幽的なものが見えている。
その幽体の知覚を、肉体の脳にきちんと伝えるということか。

なんだか複雑で難しいなー。

霊魂: ここまでの技術は通常、五年や十年ではなかなか身につくものではない。

ということは、一番早いのが、我々人間の知的な感覚、全て別のものが占領してしまうことが一番早く見えることになる。

つまり、本当に霊魂が見たければ、いわゆる完全憑依といって、全部を霊魂にあけ渡してしまう。
そうすると見えるようになる。


これは、霊魂によっては1~2週間ですぐ行うことが出来てしまう。

まぁちゃん: エッ、そんなすぐに身についちゃうの?
じゃぁ、そっちの方が楽だよ。

真の霊能力とは6に続く
真の霊能力とは3からの続き

霊魂: ところが、そうした霊能力者に限って、あやふやなことを言う。

なぜなら、すべての伝達が、印象や象徴であったりして、言葉ではないからである。
読み取れるか否かも、その日の調子になっていく。


「薄く三本影が映った」とか、「二本は判るが、一本薄い」とかいう状態が生じたとき、霊能力者はうそをつく。

つまり、「自分は、三人兄弟の末ですが、上の二人は死にました」と相談者が言ったとすれば、「たぶん、二人は霊魂になって、もう一人は今いるが影が薄く、これはあまり寿命が長くないのか」などと先入観念を持つ。

しかし、霊魂はさらに言うと、その相談者がウソをついているのではと考える。

「三人など兄弟はいないのに」と考えている。

そして、たぶんそれは、おそらく霊能力者をだますためについたウソであった。 

霊能力者は「三人兄弟で、上二人が死んだ」と先に聞かされており、それを前提として霊魂からの信号を解釈したにすぎない。

ゆえに出てきた答えは「あなたの寿命はあまりないかもしれないけど頑張れ」であった。

無論、聞いたほうは怒る。

「こやつめ、私を脅して脅迫して、あとで大金を巻き上げるに違いない」かならずこう言う。

しかし、それは相談者をはじめとする多くの人達も、霊魂および霊能力に関する知識の無さから起きたミスである。

人は、霊能力を知らずにものを語る。

が、誰かが体験したうえで、そのメカニズムをひとつひとつ公表すると、後から来る霊魂を知る人もミスを持たなくなり、正しい霊能力を知ることになろう。

真の霊能力とは5に続く
真の霊能力とは2からの続き

まぁちゃん: 世間では、霊能力という技術はかなりあやふやな面があるけど?

霊魂: それは、そのメカニズムを誰ひとり語らぬ為である。

「ただ、見えます」と言う。なぜ見えるのかを語らない。

なぜなら、語れない。それは知らないからである。

つまり、霊能力の初歩をマスターしたくらいで有頂天になり、テレビのごとしに立候補するためである。

それには、もう少し調べる必要がある。

たとえば、霊視ひとつにしても世の霊能力者は、「そこに霊魂が見える」とか、「心の中に映った」とか、「水晶の中に見えた」とか、中には「相手のオーラにそれが映る」とか言う者さえいる。

それらは、それぞれにそれぞれの技術の事であり、そうした技術もあろうから、一概には否定できないが、著しい欠陥がある。

たとえば「そこに見える」というなら、寸分たがわぬように見えるのか否か。

あるいは、「心に映る」というとき、それは象徴であるのか、あるいは具体的な知覚であるのか、これを確かめる必要がある。

それをしないために、皆、ミスをおこす。

まぁちゃん: 霊魂は肉体がないのだから、人間に直接話しかけることはできないよね。
初歩的な霊視の方法はどうやるの?

霊魂: たとえば、心の中におじいさんらしき人を見せようとか、おばあさんらしき姿を見せようとか、あるいは二代、三代とか、数字を見せようとかする。

それは、霊能力者がしょせん人であり、人の脳と目と耳しか持っていないから、うまく伝え得ないのである。

そこで、三代前の先祖が仮に来ているなら来ているのなら、そのようにいつも信号さえ決めてあれば、例えば「三本線が見えたら三代前だよ」とか、「二本見えたら二代前だよ」だとか、霊魂は霊能力者に日ごろから練習させておき、ミスがないようにしようと考える。

縦に線が見えたら男だとか、横に線が見えたら女だとか。

つまり、霊魂は「こうすれば人がわかってくれるのではないだろうか」という段階の信号を発する。

が、霊能力者の方はそれが聞き取れないから、
「たぶん、あなたは三つ子の一人」とか、「三人兄弟ではありませんか?」と相談者に言ってしまう。

しかし、本当は間違っている。

相談者はそれを聞いたとき、こやつは間違っていると浅はかに考える。

それは、霊能力の初期においては仕方のないミスである。

ミスをミスととらえず、これを詐欺師のごとしに扱うと、その霊能力者は、人格を壊されていく。

つまり、正しい霊能力の初歩であったが、まだ、きちんとした連絡が霊魂と本人に出来ていなかったに過ぎず、今後、伸ばせば伸びるはずであった。

まぁちゃん: 人間同志でさえ、国が違えば言葉も違う。

相手に何かを伝えようとする時、言葉という約束事があるから、うまく伝わるんだ。

次元の違う霊魂が何かを伝えるということは、まず約束事を先につくれということですね。

真の霊能力とは4に続く
真の霊能力とは1からの続き

霊魂: つまり、世の霊能力者の本来の姿は、かなり実力が付けば別であろうが、大多数は今日は看板を揚げるが、明日は揚げたくないとか、あさってになれば揚げるとかが本当のところである。

しかし、人はそれでは約束とか時間があり、どうしてもその日のうちに10人なら10人こなすことになる。

そこに、ややもするとトリックが入り、インチキもはいる。

要するに、見えなくても見えることにしないと、商売として看板を掲げたからには成り立たなくなる。

そこに、はじめ見えた方も見えなくなる理由もある。

まぁちゃん: そうだね。霊能力を売り物にしているのなら、「今日は霊魂が来てくれませんのでダメです」なんて断ったら、「やっぱり、インチキだ!」と言われちゃうよ。

霊魂: まして、テレビなどて公開実験をすれば、八割がた失敗する。

それで当然。
どんな悪環境でも正しい霊視を得ることは、今の人では不可能である。

まぁちゃん: トリックやインチキは別として、本当の霊視はどうすると可能になるの?

霊魂: なぜなら、人は物質の身体を持っており、その身体に必ず知覚がある。
目、耳、鼻、口といった知覚によってしか表現しえない。

それである以上、その知覚が何らかの反応を脳に刺激を起こすために、環境が悪いと必ず高貴な霊魂は来れぬ。

ゆえに、テレビなどといった雑踏の如し。

まして「お前のインチキを見抜いてやる」式の学者の如しが側にいて、常に念波の攻撃にさらされては、いうまでもなく受けきることが大変。

人であっては無理に近い。

まぁちゃん: テレビに出演することだけでも緊張するのに。

まして大槻教授がそばにいて体に電極なんかつけられたら、たまらないよ。

霊魂: なるべく良い環境を作り、そのうえで、後からじっくり講演をしたのちに分析するならよいが、「はなから、こいつは臭い」とか、そうした目で見つめる者が2、3人いるだけで、人は目や耳でそれを感じ、心が苦しくなる。

それだけが脳に反応しただけでも、まず正しい霊視はない。

人がそれを求めるなら、環境をつくれである。

真の霊能力とは3に続く
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 霊能力ってなんですか?

霊魂: それは一口で言うと、霊魂または霊的な何かしらが関わり、起きる能力をいう。

ゆえに霊魂を無視して霊能力もなく、霊能力がないと霊魂も表現しにくい。

仮にも霊魂が霊言を行ない、人を用いるとなれば、人が何を考えているかによりて、情報の伝達は不可解になる。

たとえば、霊魂が何かを伝えんとしても、人の目が何かしらを捕らえ、たとえば、人の顔を捕らえたとき、こちらで伝えんとする情報が、人の口から漏れるときに変わる。

つまり、人の口は脳が作用しており、脳なしでは口は動かない。

まぁちゃん: 霊魂が脳に情報を伝える時に、霊媒の目や耳から入った情報も脳に伝わるわけだから、いろんな情報が一緒に入ってきてしまうわけなんだ。

霊魂: 我々は、脳と口と目の関係に常に縛られており、そこに刺激が入るだけで変化する。

ゆえに、なるべく口は閉じるがよいけれども、それではかえって話しにくくもなる。

おのれのことを何も知らず、「我、霊力がある」などと言う者が多いからと思うが、霊能力の正体がいまだ明かされていない。

まぁちゃん: 霊能力を行使するくらいなら、人間というものの霊的なメカニズムくらいわかっていないとだめだね。

霊魂: それではひとつ教える。

常に、物質の身体を見るのは物質の目であり、霊魂は物質の肉眼をもっていない。
ゆえに、霊魂は幽的身体を中心に発する光を見ている。


まぁちゃん: 霊魂は人間の肉体を見ているのではなく、肉体とダブった霊的身体、幽体と幽体から発している光、オーラっていうやつ見ているんだ。

世の中では、霊視が出来ると言う人がいるけど、どんなふうに見えるのかな?

霊魂: ややもすると、人は取り違えていようが、ここに霊魂が見えるという時、人の目を通して見る霊魂は普通ではない。

そこにいて、人と見間違うことなど決してない。

霊魂は幽的な身体しか持たず、物質の身体など、はなから無いからである。

ゆえに霊能力者の霊視がいかに、あやふやかがわかる。

人は霊視、霊聴などというが、彼らは何も見ていないに近い。

なぜなら、人であれば誰でも若干の霊感の如しはある。

年に一度ほど正夢を見ることは誰しもあろう。

が、それでは、霊能力にはならない。
年に一度はいる霊感では、霊能力者としては立てない。

ゆえに己の意志で、何かしら技術を行使しなければならい。

ということは、いま見たいとか聞きたいとか、感じたいとかに応じて、表現し得る能力を持つしかない。

ところが、人は都合のよい時に相談に来るやも知れぬが、霊魂はそうなるとは限らない。

今日は来ないとか、あす来るかもしれない。

まぁちゃん: 霊魂も忙しい時だってあるだろうしね。

真の霊能力とは2に続く
霊力と霊的なトレーニング9からの続き

霊魂: 例えて言えば、ある人が明日死ねば、たくさんの人は救われるとしたらどうであるか?

そのある人が、将来ヒトラーのようになり、全世界を滅ぼすようなことをする。

それが霊的カルマとしてわかっていた場合、無論なかなか実際にわかるものではないが、仮にそうであったら、その人があす自殺してくれた方が絶対に良いのだから。

我々霊魂は、「あなたは、よく自分の人生を考えてみて価値がないと思ったら、あす死んでも構いませんよ」と言う。

それを聞けば必ず、「あれは悪霊が言った」となるが、そんなことはない。

人の地上の肉体で霊的な正邪など、判定できるものほど甘いものではない。

霊的なトレーニングの世界も、やってみないと全然わからない。

まぁちゃん: 霊的なトレーニングやっていても、何も見えてこないし何も聞こえない。
地味なんだけど…

感覚としては気持ちがいいくらいかなー。

霊魂: 禊、鎮魂を実際に行った人達はわかるはずである。

とにかく理屈ではなかなか良くわからないが、「気持ち良かった」とか、そういった世界である。

なぜなら、肉体の脳とは別の次元を動かしたのだから、肉の脳は必ずしも、別の次元の喜びや悲しみを正確には読みとっていない。

己の心も何が良かったかも、本当は十分にわかっていない。

それが、霊的な意味でのトレーニングなのである。
それでいいのである。

もし仮に、すべてわかったとしたら、それは肉的な脳の知覚し得る範囲だったのである。

まぁちゃん: そうか、地味でいいんだ。

霊魂: そこで我らは言う。

表面の己は、まだ何も知らない。
だからこそ、真実を求めて一歩を踏み出す。


それがない限り、人は永遠に事実を掴むこともない。

まして、事実が世に出たら、皆、それは大悪霊の人だと言うに決まっている。
「頭がおかしい」とみんなに言われてしまう。

神々の世界の使者によれば、人々から見て悪の代表に見えるようなものが、真の人々の救いである。

ノストラダムスの予言ではないが、何とかという訳のわからぬ大王が降りてきて、人々がどうかなるかもしれない。

我々に言わせれば、何とかという悪の大王こそが、真のメシアかもしれない。

言うまでもなく、ただ、自分達の生存権のみを主張する人間に、霊的世界の酷さがわかるわけがない。

滅ぼす必要があれば滅ぼさなければならない。

むろん生かす必要があれば生かさねばならないが。

つまり、そうした霊的世界全体から見た人間の位置など、一度も考えてもない者達が自分だけが生きる事を中心に、いわば、日本だけが良ければ、他の国は全部死んでもかまわないとくれば、侵略戦争に行けばよいのである。

しかし、他の国のことを考えるなら、多少、耐え忍ばねばならないこともあるかもしれない。

それと同様、全霊的生命体、ありとあらゆる生命体を考えて、地上の人間は、少し反省した方が良いという事があったら、それはそれで良いかもしれない。

が、人はそうは言わない。

己にとって都合の悪い存在を、全部悪の大王にしてしまう。
我々に言わせれば、それこそが本当の意味での真実かもしれない。


それはわからぬことであるが、それを決め付けるところに人間の愚かさがある。

霊的なトレーニングをすると、それが見えてくる。
富士の頂点まで行く、と次第にそれがわかってくる。

なぜなら、人々の意識を超えたところに別の次元があり、それが実感できるからである。
それがわかってしまった時、人々の書いた本などアホらしくて読む気にもなれない。

人がもし、皆、全員、人の脳を越えたトレーニングに目覚めるならは、悪の大王は救世主かもしれない…

まぁちゃんの一言

超能力や霊能力なくても、霊力というのは誰にも必要なもののようです。

その霊力を得るために行うのが霊的なトレーニングと言えそうです。
トレーニングも霊魂の協力なしには成り立ちません。

何千年も昔から、つねに霊力というものもの大切さを、高級霊魂達は主張してきました。

それでも多くの人に受け入れられることはありませんでした。
やはり、いつの時代も人間はかわらないようです。
霊力と霊的なトレーニング8からの続き

霊魂: 昔々、ヨーガであれ、仙道であれ、古神道であれ、何であれ、みんな神や仏を意識し、神や仏に仕える天使や菩薩がいて、そういった霊魂が指導していた。

その時やっていた人達が、今、指導霊として来るのであって、みんな霊魂なのだから、それを無視した体系などある訳がない。

しかし、そうしたものばかり世の中に流行するため、本来の正しい霊力を生むためのトレーニングがなくなってしまった。

人々の願望ばかりが先にある。

もしも仮に、人は生まれて必ず死ぬのだから、死ぬに間違いないのだから、正しい死に方を教えても、それは正しい霊的な世界であるし、正しい宗教であるし、正しいトレーニングであるのに、人々の願望はそうでないとことだけに向いている。

病気で苦しんでいる人を「元気になれますように」と言う。

良い事ではあるが、宗教的世界、霊的世界の者が、皆そうするとは限らない。
正しく死なせてやってもかまわない。

にもかかわらず、事実を無視し、先に人々の願望があって、その願望にそったことを言ってくれるのが良い宗教で、そう言ってくれないのが悪い宗教だとか言っている。

まぁちゃん: 霊魂の中には善霊、悪霊がいるらしいよ。

それは人間達が勝手に判断しているんだけどね。

考えてみれば、何も知らない人間にとって、高貴な霊魂は口うるさい存在にしか映らないだろし、逆にいたずらな霊魂は、詐欺師と同じで甘い言葉で誘ってきて、みんなだまされちゃう。

霊魂: 人々は、己の価値観や倫理感で、神や仏の世界まで口出ししている。

物質界をどう生きようとそれぞれ自由だから、好きに生きればよい。

しかし、霊的次元の世界は、そんな倫理や道徳は一切通らない。
関係ない世界である。


にもかかわらず、それらを己の基準で決めつけていながら、そうした者が将来、みな極楽に行くと言い出すから笑ってしまう。

霊力は人が正しく生きる、正しく死ぬ、どちらであるかはわからないが、人間が霊魂として、正しく生存するためにある力だから、肉体を捨てた方が良ければ、あした捨てた方がいいのかもしれない。

それは地上の人間のような浅知恵ではわからないと言えよう。

それを正しく導いてくれるのが霊力というものである。

霊力と霊的なトレーニング10へ続く
霊力と霊的なトレーニング7からの続き

霊魂: 禊なるものをやって行くと、まるで違った事実が見えてくる。

つまり、人は自分達の倫理、道徳で霊的なものを見すぎている。
事実は全然違う。
まず先に事実あれである。


大槻なにがしの言うように、まず事実を先に探求すべきである。

まぁちゃん: 大槻教授の理論は立派だけどね。

物質科学で全て解明しようとしているから、霊的なことに対し、一歩も先に進めない。

超能力などないという人は、その理由が手品でも出来るからとか、霊的なものが見えるというと幻覚で起こったなどと言って片付ける。

物質科学では、霊的なことは全て否定されてしまう。

霊魂: 脚色ばかりの霊能者はいらないし、超能力者もいらない。

そこに事実があるとすれば、どれが本当の事実なのかを先に知りたい。

この本を読めばいきなり次の日から幸福になれるとか、馬鹿げたこと書いている。

「全員受験に受かります」とか、受かるわけがない。
一人受かれば、一人落ちるのは決まっている。

それがこの世の法則なのだから…

東大に受験して合格しようとしても、合格できる人数は決まっている。

受験者が全員合格する方法とやらを念じてみても、一定人数しか合格しない。

にもかかわらず、人々の願望はどんどん膨れていく。
そのため、トレーニングとやらは歪んでしまった。


まぁちゃん: 魂を進化させるとか、霊的向上のため、などと言っても、みんなそっぽを向くよ。

霊魂: ヨーガであれ、仙道であれ、霊的には驚くほど高度な体系であるが、逆に危険でもある。

そうしたことは、全く語らずにヨーガは体のためだけにいいとか、気功は治療だけに良いとか、健康になれるとか、馬鹿なことを言っている。

まぁちゃん: 霊的なトレーニングというのは、高い霊的個性の協力を得て、自分が霊的に向上するために行うものでしょう。

それなのにトレーニングの体系の一部分だけちゃっかり行おうとしている。

その目的が本来の霊力を得るためならまだいいけど、霊能力や超能力、病気を治すとか言っているんだから、霊力なんて得られるわけがないよ。

霊魂: 何であろうと、霊魂を無視して物質以外が語れる訳がない。

物質以外が「気」であるし、物質以外がヨーガの本質なのであるから、その前に霊魂を知っていなければならない。

それを知った上で、それが語られていれば、立派な体系に違いない。

が、それらを無視しているから「誰にでもできます」と言う。
となれば低い霊魂がみんなで応援に来て、全員憑依されても、誰も気がつけない。

だれもその意味がわからなくなってしまう。

まぁちゃん: 指導者と教わる側が同じレベルじゃ、何が良くて何が悪いのだかわからないでしょう。

霊力と霊的なトレーニング9へ続く
霊力と霊的なトレーニング6からの続き

霊魂: 日本の古神道は、単に神に近づくとか、そうした甘いものではなかった。
ひとつ間違えると、大悪霊にも近づける。

つまり、ぐるぐる巻きにして、首の周りに念のひもで三人くらいまとめて縛りつけて、そのまま放って置けば確実にその三人は死んでしまう。

それが禊でも出来る。

つまり、神どころか大悪霊にもなれる。
事実を先に知るべきであった。

まぁちゃん: 不真面目な人が、禊をやったら大変だよー。

霊魂: しかし、禊は良かった。

なぜなら、指導者がいないと出来なかった。

ということは、指導者がそっちに向けないように体系を初めから変えてしまえばいい。

私が、自分で行った時は、そうした事は知らなかった。

自分で行う過程で徐々に気付いていった。
だから、ミスが多かった。


まぁちゃん: 指導者や先輩がいるというのは、ありがたいよ。

霊的なことって、良くわからないから客観視できないじゃない。
そうした時に、注意してくれたり、アドバイスを聞けることは、大事だね。

ちなみに、ミスってどんなこと?

霊魂: 正しい行為をする人に、正しく高級な霊魂が来るとばっかり信じていた。

怒ってばっかりいたり、恨んでばかりいると、高貴な霊魂は、絶対己のそばには寄ってくることが出来ないと考えていた。

愚かだった。

それは事実ではなく、人々の倫理観であった。

人々の道徳や倫理がそうなのであって、霊的法則はそうではなかった。

必死に泣いていたら、泣いている人の方に寄っていたし、怒っていたら「お前が怒るのは最もだ」と言って寄ってきていたし、笑っていたら無視していた。

笑っていられるほど余裕があるのだから、「我々の力はいらない」というのが彼らの発想であった。

泣いている時こそ、何とかしようと寄ってくる。

まぁちゃん: 何があっても良い方にとらえて、暗く考えずに前向きに生きた方が良いなんて言うよ。

霊魂: つまり、マイナス思考とやら、プラス思考とやらがあって、プラス思考が良いと世の中では言っている。

しかし、高級霊魂達はそうではなかった。
マイナス思考だから救ってやりたかった。

プラス思考の人達は、放っておいて勝手に救われればいい。
そう思っている。

霊力と霊的なトレーニング8へ続く
霊力と霊的なトレーニング5からの続き

霊魂: 水素と酸素を合わせると何ができるか?

まぁちゃん: 二酸化炭素。違う、水だ!!

霊魂: 人々が仮に、それで無限の食料が欲しいとしたら、無限の食料を水素と酸素から作ったという本を出してしまう。

そして、みんなそれについて行く。

しかし、無限の食料は出来ない。
まず実験してみて、出来たものが事実である。

つまり霊的なトレーニングでいえば、まず、トレーニングしてみてどうなったかを先に知り、それからものを語らねばならない。

例えば、瞑想や何でもいい。

そうして見た結果、「なるほどこれはこうだった」という事実が先にあって、「こうすればこうなります」と言わねばならない。

ところが、人々ときたら全く逆!!

「こうなりたい」が先にある。
そのため技法を探している。


ある訳がない。それをつかんだ人は誰もいないのに…

霊能力者になりたいとか、超能力が身につくとか言って、必死に本を読んでいる人がいる。

そして、実践すればみんな霊能力が身につくだの、超能力が身につくとか信じているが、それを書いた人がぜんぜん霊能力を持っていない。

こんな馬鹿げたことに、どうして気がつかないと我々は思うが、それで何万部も売れている。

それは、人々に動機が先にある。
願いが先にあって、ものを見ているからである。

先に事実を見てない。

まぁちゃん: 甘い言葉に弱いんだよねー。

フラフラってなっちゃうんだ。
何もわからないから、「もしかして…」なんて考えてしまう。

ダメだね。

霊魂: 霊力とは人を本来生かす力であるが、トレーニングはそうではない。

霊的なトレーニングは人を殺す力である。

人はそれを間違っている。

トレーニングは、人を高貴にすると安直に言うが、そんなに甘くない。

霊的なトレーニングの本質は、人を殺すである。

まぁちゃん: エッ、霊力を得るためのトレーニングでしょう??

霊魂: 例えて言えば、私などが行っていた禊などでは、最初に「禊法と呼ばれるものは、古来日本から伝わる魂を進化させる立派な技法だ」そう思って自分で行った。

しかし、行じてみたらビックリであった。
どんどん、どんどん自分の思いとは違ってくる。

つまり、思った以上に底が抜けるほどに深かった。

ひとつ間違うと、人を殺したりさえ出来る。
それがトレーニングである。

まぁちゃん: ということは、それだけに真剣にやらないといけないものだし、道を外しやすいってことだ。

霊力と霊的なトレーニング7へ続く
霊力と霊的なトレーニング4からの続き

霊魂: つまり、人はどこまで頑張っても、絶対人間のままである。

イエスであれ、釈迦であれ、人以外の何者でもない。

魂が高貴なのは初めからである。
彼らは、霊的なトレーニングをする前から高貴であった。

なぜなら、人は霊的生命体なので、生まれたら必ず死ぬ。

が、十歳で死ぬ人と、七十歳で死ぬ人と、三十歳で死ぬ人がいる。

もしも仮に、心の発達がそのままあの世にランクを決めるというなら、十歳で死んだ子はみんな低くなってしまう。

ところがそうではない。

五歳であっても、イエスや釈迦のごとし五歳というものは、初めから人々とは質の違う個性として生まれている。

初めから出来ている土台が違う。

まぁちゃん: はじめから高貴な個性はトレーニングをしなくて良いはずなのに、霊的なトレーニングをやっているよね。

霊魂: 彼らは、トレーニングなどしなくても実は良かった。

なぜトレーニングするのか。人々の次元に落ちたためである。

そうしないと、人々の次元にまで落ちることができないからである。

ということは、人は肉の身を着ているが、その正体は肉ではない。

つまり、五歳であっても肉体とは関係なくすばらしくレベルが高く、地上に降りてきている可能性もないこともない。

肉体は、どう見てもただの子供である。
ということは、地上の人間は何も知らないのである。

まぁちゃん: 肉体を持った以上、その魂が高貴であっても表面的なものは、みんなと同じだろうけど、低い霊的カルマに振りまわされている普通の人とは逆に、成長するにつれて高い部分がどんどん自分を動かして行くのだろうな。

それだけに人一倍苦悩が多いけど、「悟った」などと言って、ふんぞり返っていないで、必ず世の中を動かすほどの影響力を持つ。

普通の人なら多くの人からいろいろ言われただけで、「もう、やーめた」ってなるけどね。

人間は霊的な高低を判断できれば、会った瞬間「おっ、この方は立派な方だ」ってなるけど、それがわからないから攻撃してしまったり、悪い存在と映ってしまうんだよね。

まぁ、それがわかるのなら、神や霊魂がいるとかいないとか、つまらない議論もすることないだろうし、唯物論なんか唱えていれば「この人、頭がおかしい」って言われるだろう。

霊魂: 驚くほど修行したといわれる人に限って、魂としては非常に質が低い場合がある。

まして、地上ではお悟りなったといわれている偉いお坊さんほど、あの世へ行くとレベルが低い。

つまり、悟りの境地とは地獄の境地である。

人々は、まず自分の願望を前提に思想を語る。

自分は救われたいという願望が先にあるから、救いの方法を求める。
自分は成功したいという願望が先にあったから、成功する方法の本を読む。

恋愛で成功したければ、恋愛で成功する本を読んでいる。

死ぬ恐怖があれば、生きる本を読んでいる。

神に救われたければ、神があるという本を読んでいる。
だが、全て動機があって結論を求めているから、事実には至れない。

事実を知るには、そうした人々の願望を全部無視した上で、事実を検証して行くしかない。

霊力と霊的なトレーニング6へ続く
霊力と霊的なトレーニング3からの続き

霊魂: 本当に霊力を知らなかったのか?

いや、教えられていなかったのではなかった。

少なくともこの日本では、数千年来ずっとそれが生き続けてきたし、いつも誰かがそれを叫んでいた。
しかし、誰もそれを話題にはしなかっただけだし、誰もそれを真面目に考えてくれなかった。


まぁちゃん: 何も知らないくせに、いろんなことを言う人がいるから、みんな惑わされちゃうんだ。

真面目に考えている人ばかりなら、自分が間違っていると気がつけば改めるだろうけど、その目的がお金儲けだったりするから最悪だね。

霊魂: 社会が良くても悪くても、所詮、一度毒を飲んだら人は死んでしまう。

後でこんな毒をつくった製造メーカーが悪いとか、厚生省が悪いとか、どれだけ叫んでも死んでしまったら戻らない。

どうにもならなくなってから、助けてくれといくら言われても、その前に、あれだけ言っておいたのに…

まぁちゃん: 霊力とは、今、生きる上でも大事であるし、肉体を失い霊的世界の住人となるための準備でもある。
その霊力を得るためにやるのが、霊的なトレーニングだね。

霊魂: 人が死を意識する時、人は生をも意識する。

なぜ生まれてきたのか?

このまま死んでいいのか?

私の人生が、このままで終わっていいのか?

深く悩む。
が、そこに真実はない。

例えて言うと、ある女性が好きだ。ある男性が好きだ。

さて、誰かに間に入って欲しいという時、必ず自分の希望は、それが良い結果を生んで欲しいという願望のもとにある。

そのために、相手が何を言っても、「うまく行けばいいのに…」という気持ちで、ものを聞いてしまう。

あるいは、悲観的になっておびえてしまう。

つまり、決して第三者的に見て、冷静な状態では聞いていない。

つまり、人は死にそうになってから、初めて生ということを考えても、絶対に事実は見えてこない。

見えるのは歪んだこと。

つまり、もう死ぬことの諦めに対して、自己をどう肯定して行くか、気持ちの整理のみである。

まぁちゃん: さすが死んだ経験があるから良くわかっていますね。

霊魂: 人は、トレーニングすると言いながら、己がまるで神、仏のごときになるなどと、平気で言う馬鹿がいる。

トレーニングは、神や仏でないから行う。
そして、最後まで神や仏になどならない。


それを霊的なトレーニングという。

霊力と霊的なトレーニング5へ続く
霊力と霊的なトレーニング2からの続き

まぁちゃん: 霊的なトレーニングというと特別な力を得るために、それを必要とする人が行えば良いと思われているようだけど、そんなに大事?

霊魂: 我々霊魂から見ると、霊力は人が学校で体育を行うのと同様、授業にあって当たり前のこと。
それほど重要である。


それなのに霊的なトレーニングの時間がない。

そして、そのためのトレーニングは、宗教的世界で生き続けたから修行と呼ばれているが、そうでなければ技術、訓練でいい。

学校に音楽や美術の時間があるというなら、霊力のための技術、訓練の時間が欲しい。

それは、遠い昔、この国では当たり前だった。

今の無神論の人達の間では、全く不思議と思われるだろう。

しかし、死んでしまえばそれが逆転する。

まぁちゃん: 今の教育というのは、とにかくいろんなことを、ただ暗記させることだから、十年も経てば忘れてしまうんだ。
(これは自分の脳に欠陥があったのか?)

必要なこともあったけど、何も役にたっていないこともたくさんあったと思う。

これから社会に出て行くのだから、その準備であって欲しいけど。

霊魂: 人が霊力を持たなければ、必ずこの世においても、あの世においても不幸になる。

なぜなら、体力がなければ地上に生きる時に、必ずハンデになる。
10分も仕事が長続きしないのでは、どんな会社も勤まらないはず。

10分も幽体が正しく活動しなければ、いわゆる幽的な個性に狙われてしまう。
もしくは、悪い空気のごとし、低い幽気と呼ばれるものを吸ってしまう。

それがやがて己のみならず、子供にまで波及していく。

「子供が高熱を出して困っています。」と母親が言っている。

我々霊魂から言わせてもらえば「何を言う、お前の幽気のせいではないか!」

つまり、はじめからそうした幽気を子に与えておいて、何ら改善することもなく、改善しろと言ったが、絶対に聞かなかったくせに、子供が高熱になったら、救ってくれと馬鹿なことを言う。

救えるはずがない。

体力がなければ困ると思うから、体育の時間を授業ですらやっている。

霊力も全く同様に、人が霊的生命体として生きて行くとは、長くても百年くらいだけ地上にいるのではなく、何百何千年と生き長らえて行かなければならないのに、今、物質という身体の中に縮こまっている幽体は、いちばん低い状態にある。

この状態の時に、正しくそれをつくらねばならない。

例えば、赤ちゃんの時に脳が正しく発達しなければ、のちにどんな訓練をしても、もともとが悪い。

仕組みが悪いのに、どれだけ記憶させようにも覚えられない。
同様に地上にいる時に正しく幽体をつくらなければ、苦しむだけである。

まぁちゃん: そんなに大事なことなら、もっと多くの人が知っていても良さそうなものだけど、そのまま死んだらどうなるの?

霊魂: 肉体を失って、あげくの果てにどうなるかと言えば、フラフラ子孫の所に来てみたり、抱きついてみたり、腰にぶら下がってみたり、その後どうなるかと言えば、霊能力者なるところへ行って処分されるだけ。

全く苦労しないが喜びもない。

それもそのはず、地上にいた時に霊力を知らなかった。

霊力と霊的なトレーニング4へ続く
霊力と霊的なトレーニング1からの続き

まぁちゃん: 霊力がつくと霊的な何かが見えたり、人にはできない超能力的なことが出来るようになるの?

霊魂: 例えば、人が通常見えないものを見ることができるとかは、視力が良いとは言わない。

遠くのものが良く見えるのであれば、視力が良いのであり、通常見えないものが見えるのは異常である。

つまり、本来の肉体の力を超えているためである。

霊力が正しく働いていたら、物質界においては、物理的なものが見えるように動かす力を霊力という。

花が咲いていたら、花の色が正しく視覚できるように、霊的な力が動き、肉体を正常化させる力でなければならない。

にもかかわらず、人の背後にいる霊的な何かが見えるとは不思議…

つまり、それは霊力ではなく、霊力が生み出す技術のひとつである。

まぁちゃん: ということは霊的な異常が、肉体の病気として現れてくるということも考えられるね。

まして突然、人には見えないものが見えるようになるのは、霊力が正しく働いていないことでしょう。

うかれている場合じゃない。

霊魂: 霊視は特殊技術である。

それは、霊力を特殊に用いたものであって、霊力ではない。

つまり、人は正常に生きようとするなら、特殊な技能を身につける必要はない。

霊力は人が人として、生きるにふさわしい状態。

やがて、あの世に行き、延々続いていくであろう己の人生を、正しく導くための力である。

まぁちゃん: 霊力は普通に生活していて、自然についてくるものでもないでしょう。

そうなると昔の山岳仏教のように、特別なトレーニングをしないとならないの?

霊魂: トレーニングは当然その霊力を正常に働かすためのトレーニングをいう。

ただ、不眠不休で千日も山歩きなどをして肉体を弱らせ、精神は鍛えたが、霊魂には憑依される。
そうしたことを言うのではない。

肉体を正しく活用し、正しく休息し、魂を正しく発展させる。

そして、霊的にも憑依などされないような状況をつくっていく。
この技術をもって霊的なトレーニングという。

大陸より仏教なるものが入り、日本の霊的なトレーニングは難行苦行と化してしまった。

それが、一概に悪とも言えないが、霊力を持つためのトレーニングではない。

霊力から得られた「加持祈祷力」を持つためには、それも良いのかもしれない。

しかし、人々は勘違いをしている。

霊力と霊的なトレーニング3へ続く
プロフィール

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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