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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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人の命と霊的世界の上下4からの続き

まぁちゃん: 人間から見ると、霊的世界や霊魂達の考えは納得いかないけど。

霊魂: 人々は己を中心にものを見るが、法則はそのように出来ていない。

法則は人がどう見ようと、最初から同じ。
原始時代でも今の時代でも法則はひとつも変わっていない。

人が飛行機を飛ばし、飛べるようになったのは、原始人から見れば、とんでもないこと。
法則をまるで変えたがごとし。

が、何も変わっていない。人は法則の利用の仕方を知っただけ。
昔から、ひとつも変わっていない。

物的法則も霊的法則も何も変わっていない。
変わったのは人々の考え方だけである。


まぁちゃん: 時代や環境により人々の考え方は異なるけど、普遍の霊的法則を知ることが、何より大切なんだね。

ところでこの霊的法則って、わかりやすく言うとどんな感じかな?

霊魂: 人の身体が通常、老年期になると、いずれは次の世界に行かざるを得なくなるのだから、自然に準備をはじめる。

そこで使う身体は当然、いずれそれが己の表面の身体になる。
それが幽の身体、幽体と呼んでいる。

この幽体が、仮にあの世に行ったとして、「どんな世界へ行くのか?」

例えば、肉体がそのままあの世に行けば、その肉の身体、その肉の脳、肉の意識がそれからの世界での全ての基本となる。

当然、肉体を持ったがゆえに行ってきた行為、それらの責任はすべて肉の心にあるが、肉の脳がなくなってしまった。

さて、「その責任はどこに?」
やってしまったことは、もう戻らない。

まぁちゃん: よく地上においての善悪というものを基準にして、あの世の行き先が決まるように言われているでしょう。

となれば霊魂となってもその罪を背負ってゆくことになるけど、人の考える善悪もコロコロ変わるけど?

霊魂: 仮に、生きている間に誰かを殺した。

とすれば、その罪はもうどう償うといっても、死んだ人が生き返えるでなし、仮に誰かの子供を殺してしまった。

さて、その親の悲しみが、どう償っても、刑務所に何年入ったからといって、それで悲しみが消えるわけもなし。

どうにもならない。

さて、人があの世に行った。もう、肉の脳はない。

「この人の罪と功はどう判断すべきか?」

さて「どんな裁判も何を判定して良いのやら…」

「もし肉体を持つことがなければ、この人が泥棒などしただろうか?」

「いや、しなかっただろう…」

「家族が食べられないので、やむを得ず私は殺しました」

「やむを得ず人の物を取りました」

「今は肉体がないので、もし最初から肉体などいらない世界だったら、私は決してそんなことはしませんでした」

「それはそうだ」

「食わねば生きて行けぬのだからな」

「では、生まれたのが悪かったということになる」

「そうです。私を生んだ親が悪いのです」

「さて、あなたはその親の所へ了解して生まれたのか?」

「いいえ」

「そんな人も世間にはいるらしいですが、それはよっぽど偉い人の話しで、われわれ庶民はそうではありません」

「気がついたら、生まれていたそうです」

「何しろ、私の知り合いなど、十五、六の男の子と女の子の間に出来てしまって、育てるも何も生まれてすぐ殺されてしまって捨てられてしまったそうですから、そんなもの約束などしている訳がありません」

「まぁ、それはそうだ」

「ですから、私は親が産んでしまったのでこの世に来ました」

「そうでなければ、あんな貧乏な家に生まれることはなかったし、泥棒に育つこともありませんでした」

「何しろ、家は貧乏だったので、小さい時からとにかく食べることに必死でした」
「人の足を引っ張らないで生きるなんて、初めから出来ませんでした」

「気がついた時には、もう私は普通の世界にはいませんでした」

「世間からは常に、あいつは犯罪者の息子だと言われていましたから、どこも就職などありませんでしたし、結局は私も同じように刑務所に入っていました」

「が、罪は十二分に刑務所で償いました」
「私は下の世界になど落ちるいわれはありません」

「なるほど・・・」
「ではお前は一つも悪いことはしていないということになる」

「そう思います」

そうなった時、果たして「上に向いているか?下に向いているか?」

人の命と霊的世界の上下6へ続く
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人の命と霊的世界の上下3からの続き

まぁちゃん: 単純に目先のことだけにとらわれてしまうのが人間というものだね。

誰でも自分では良いと思い行動しているはずなのに、結果的には不運を嘆く人が多いのだから、単純に思い通りになることが、必ずしも良いこととは言えないものだし、霊的な向上につながらないのであれば、高級霊が無視しても当然かもね。

簡単に言えば、邪霊にとって人間は遊び道具のようなものだから、消えてしまうのは困るということだよね。

霊的なことを含めた大きな視点から見ると、人類がただ生き長らえることにより、その不幸、苦しみはより深くなるのがわかっているから「消えちゃった方が良い」と考えるのが上の世界へ入った霊魂ということだ。

ここに下の世界と上の世界の霊魂との意識のギャップがあるけど、人間は何も知らないから、どちらかといえば邪霊に引き込まれやすかったり、となってしまう。

霊魂: 大切なのは「人はなぜ生きるのか?」「霊的に生きるとは何なのか?」それを知ること。

それを知らなければ、この世は一刻も早く消えた方がいいし、全員殺した方がいいに決まっている。
先輩達は皆そう考えている。誰も心配していない。

心配している人達を見ながら

「今だけ!そんなことを思っているのは」

「こっちへ来てごらん。すぐに考えが変わるから」

「そんないつもいつも病気ばっかりして、五年長く生きて何になるの?」

「痛い痛いと言いながら、何で生きているの?」
「バカじゃないの??」

これが標準的な発想で、普通の人の上にあがった人達の本音。

下の世界に落ちて多くの霊魂が苦しんでいる。
その痛みを考えてどうしよう?

あるいは、どの道人類はなかなか自滅しないだろう、いっそのこと原子爆弾で自滅してくれれば良いが、自分達の自己保存の為に爆弾はなるべく使用しないようにとするに違いない。

彼らは、そうした自己保存欲のかたまりだ!
よって爆弾は使わない。だからこそ、生き延びてしまう。

とすれば、人類の悩み、苦しみ、不幸は永遠に続き、その競争社会において相手の幽体を極端に痛めつける。
死後はどんどん下の世界に入り、どんどん更なる苦しみが生まれる。


まぁちゃん: 人が霊的に目覚めることがないと何も変わることもなく、さらなる不幸につながるけど、だからといって一度に消滅してしまうと、いろいろ問題も多いと思うけど…

霊魂: これをそのまま放っておくべきか否か?
何とか変えたいと意識をかけてくるのは、ずっと上の方の霊魂。

つまり、高級な霊魂の弟子として地上に降りてくる魂は、そうした意識を持っているが、ちょっと前まで人間であったような魂では、ちっともそんなこと全く考えていない。

まぁちゃん: 霊魂でも、ちょっと先輩の霊魂と、いわゆる高級霊とされる霊魂でも、考えが異なるわけだ。

霊魂: 良い霊ほど人の命を軽く取る。

悪い霊ほどけっして軽く取らない。とことん苦しめる。
とことん遊び尽くす。とことん意地悪をする。

そしてどうせ死ぬから、そしたら下の世界へ引っ張って行く。

それだけ霊的な交流が長ければ、高級な霊魂が入り込む余地はなく、確実に下に引っ張れる。

それが「人権」や「平和」そうしたことを尊ぶ人達の背後で暗躍する邪霊である。

まぁちゃん: 人が仲良く暮らすことや、他人をいたわる気持ちは大切だけど、邪霊はある意味では賢かったりするし、人間というものを知り尽くしているから、人間が好むようなもっともらしいことを言ってそそのかしたりするんだ。

人の命と霊的世界の上下5へ続く
人の命と霊的世界の上下2からの続き

まぁちゃん: 人間は現実しか見えないし、「死」というものが理解できないから、恐れるし不安なんだろうけど、上の世界に入れば、今までのことがフッ飛んでしまうほど過ごしやすいのか…

霊魂: さてそこにギャップがある。

つまり地上の人々は神であれ仏であれ、霊魂であれ高級霊魂であれ、すべて己の希望で相手をイメージしている。

高級な霊魂、あるいは神、仏、天使は「必ず人を救って下さるものだ」

さて「自分が死にそうだ!」

「必ずかわいそうにと思って助けて下さる」
と思い込んでいる。

まぁちゃん: 人間にとっての命は大切にしようとして当然だし、死にそうであれば「助けて欲しい」「命を救って欲しい」と考えるよ。

それじゃぁ、霊魂は人間にとって、みんな冷酷と映ってしまうけど。

霊魂: 実際その苦しみ、悲しみ、その重さを感じ得る霊魂は「何とか助けてあげたい」そう感じる。

まぁちゃん: そういえば高級霊と呼ばれている霊魂は、ただ人間の言いなりにはならないと思うけど、心から幸福を願い守護霊となったり、霊的な進歩向上に力をかけてくれるよね。

霊魂: が、先輩達はそうではない。

「自分もちょっと前まで同じだったよ」

「でも、こちらへ来てごらん」

「バカバカしくて何を思い悩んでいたのか?」

「とっとみんな死ねば本当に楽だった」

「原子爆弾でも何でも落ちて、全員死んだら本当に楽園になるよ」と、本気でそう思う。

それが人間達の先輩であり、今生きている人が仮に他界し、普通の人が上にあがったとして十年後にそう思う。

まぁちゃん: ということは、まだまだ霊的なことに対しても理解が浅いし、自分のことだけを考えれば、そのような結論になるのだろうね。

もしかしたら下の世界のことなど、知っているのかな~?

霊魂: つまりは、小学生にとって中学生は大人に見える。
幼稚園児にとって、小学生は大きい大きいお兄さんに見える。

が、おのれが小学生になってみると、どうということはない。

なぜ幼稚園の時に「あんなに小さい事にこだわっていたのか?」さっぱりわからない。
まさにそのごとし。

まぁちゃん: 霊的なことを含めて考えないと、今生きている間の努力や苦労も水の泡になる可能性もあるし、「ただ生まれて死んだだけ」となって、辛い世界に落ちたら最悪だよ。

霊魂: つまり「人はなぜ人がこの世に生きるのか?」
そういったテーマ、霊的な問題、それを知って初めてこの世を生きる意味が出る。


それがないなら、実は「全員死んでくれた方よっぽど良い」それが本当に救いだと考えている。

だから、仮に某神社に火事があったとする。
人は「あんなことをする霊魂は悪霊に違いない!」と言う。

が、そうではない。

彼らはまさに「霊的にならないのなら、生きている値打ちはないよ!」とあっさりそう思っている。

まったく悪霊でもなんでもない。

まぁちゃん: 本来神社の価値は、そこに高い霊的な力が降りてきて、それを地上の人々が受け、霊的に進歩向上するための場所だよね。

本来の意味を失ってしまったんだ…

霊魂: 一方悪霊は神社を死守する。

なぜなら、人々は単にご利益を求めたり、遊ぶだけで来るが、何ら真面目な信仰心などない。
困った時にだけ、いい加減な願いを五円玉ひとつで叶えてくれとやって来る。

その念の質量たるや邪霊、悪霊と呼ばれる類には大変ありがたい。
これを利用しない手はない。
どこにいるよりも沢山人の念がある。

まぁちゃん: 真面目な信仰心などなく、目先のご利益やくだらない願いをかける。
そうした霊的な想念というものが沢山あって、低い霊魂の思うツボってわけだ。

霊魂: 真面目な信仰心などないから、霊的には、ほとんどがレベルが低く、邪悪な霊魂に利用しやすい念ばかり。

そして邪霊は言う。
「この地を排除してどうするのですか?」

「人々の人権を守らねばなりません。人々の命と人権を守るために神社を死守します」

これがいわば低い低い世界から、たまたま地上にやって来れたラッキーな霊魂たち。
その本音。

つまり地上の人達の勝手な考えは常に霊魂の世界を己の基準でみる。

「自分にとってふさわしいこと、自分にとってこうあって欲しい」そうした存在を描いて「神だ、仏だ」と言っている。

が、現実はずいぶんと違う。

だからこそ「願いを叶えてくれた」そう思っていたら、その霊魂が邪悪だったりする。
「まったく無視した」その霊魂が高級だったりもする。

人の命と霊的世界の上下4へ続く
人の命と霊的世界の上下1からの続き

まぁちゃん: 死後の世界という幽界においては、肉体がないわけだから、実際はどのような苦しみ?

霊魂: 何しろ物質の身体にあらず。寝る必要もなければ、食事もいらない。

誰かが仮にいじめるとしたら、24時間一時の余裕もなく、ただひたすら相手がやめなければ、それこそ百年でも二百年でも、どこまで行ってもいじめられる。

逃げ場は何処にもない。

そうした世界に来た時、人はしみじみ思う。
「人の命は大切だった・・・」

「こんな世界に来るなんて、もっと生きていれば良かった」

「なんで自殺なんかしてしまったのか?」

しみじみ悔しく思う。が、もうどうにもならない。

一度死んでそうした世界に入ったら最後、もう永遠に光はない。
誰も助けてはくれない。


まぁちゃん: 肉体を持って生活していると霊魂は見えないけど、人は死後、霊的世界に入り霊魂となるのだから、守護霊に頼んで助けてもらえないの?

霊魂: その人にふさわしい世界に住むのである以上、ふさわしくない存在は近くにいない。

まわり中、同レベル。
どこにも天使もいなければ、神も仏もいない。救いはこない。

まぁちゃん: 八方ふさがりってこと?

霊魂: そこから抜け得るとすれば、どこかでおのれが自分自身を叱咤し、何とかはい上がる努力をするしかない。
無論、地上の一年はあの世では百年の努力がいる。

なぜなら、己と異なる性質を持つ、ランク違いの魂には会えないのだから、まわり中同レベルでしかないもの、どこにも助言ひとつしてくれる者はいない。

百年経っても同じ所にいる。

その苦しみに比べたら、地上の何と素晴らしいことよ。

まぁちゃん: きっと自分の力だけで真実を探るようなもので、何だか気の遠くなるような話しだね。

その点、地上においては間違いも多いけど、霊的なことをいろいろ教えてくれる人もいるし、守護、指導霊という存在も力をかけてくれるから楽なんだね。

霊魂: 一方、何とか満足し得るレベルに入った人は幸いである。

なぜなら「寝なくて良い、食べなくも良い」「仕事もしなくても良い」「上司に頭も下げなくてもいいし、生殖もないので子育てもいらない」人は魂と魂で自由に付き合っている。

愛情もあれば満足もある。

つまりその環境に応じた身体が、その環境に応じた意識をつくるのだから、満足すれば十分満足できる。
不満なら不満もできる。何ら問題はない。


そして過去を振り返り
「なぜあんなくだらない世界にいたのか?」

「毎日勉強して、仕事して、洗濯ばっかりして何の意味もない」そこに喜びもない。

「欲しくもないのに子供が出来てしまって、遊びにも行けなかった」

「いや、この家に嫁に来たら、ずっと自分は不幸だった」

「景気が悪いので一方的にリストラされてしまった」

「こんな仕事、一刻も早く辞めたいが生活のために辞めるわけにもいかず、家のローンを払わねばならず、ずっとずっとただ我慢していた」
愚かしい。

「何のために生きていたのか?」

「とっとと死んでこっちに来れば良かったのに…」

「十代の時に自殺すれば良かった」みんな真面目にそう思う。

まぁちゃん: 生きるためには、苦労や我慢が多いからね。
かといって簡単に死んで良いか迷うし、残された家族のことも気になるだろうし…

霊魂: つまり親より先に死ねば親が悲しむ。

そう思うから「死ぬなよ!」と言うだけで、「天涯孤独だというなら、実は早くこっちへくれば良いのに」

別に「小学校から中学校に行くだけで、どうということない」ということになってしまう。

つまり特別霊的なトレーニングをしたという人ではなく、一般的な人で、多少運良く上の世界に上がれた霊魂たちは、みな人の命を何とも思っていない。

それが実感で、今生きている大勢の人達の中で、幸いにも上にあがった人は、死後十年も経てば確実にそうなっている。

そうした霊魂は、誰も「命を大切に」とは思っていない。

人の命と霊的世界の上下3へ続く
講演会は、対話形式ではありません。

まぁちゃん: 人は必ず死にます。
人間は命というものを尊ぶけれども、死に際が大切ということではないよね。

そうなると生きる価値を考えないといけないけど、これがまた個々にいろんなことを言うから、漠然としたものになってしまう。

もし、肉体の消滅が終局でないとするなら、死後のことを含めて考えることになるけど、死ぬまでの間に果たしてやるべきことは一体何なのでしょう?

人の命の値打ちとは?

霊魂: おのれ自身の将来といえる、死後の世界においてのおのれ自身の考えは、地上に生きている時とはまるで異なり、常に人の命自体が石ころのごとしである。

投げれば遠くへ飛び、蹴っても飛ぶ。ダイヤのごとしの輝きは何一つなし。
ただの石…

まぁちゃん: いま地上で生活していると、生き長らえることだけに執着しているだけだから客観視することは難しいけど、実際に死後の世界に入ってしまうと、全く異なった考えになるということだね。

霊魂: 仮に、人が死後別の世界に行けば、上がいわゆる神、仏のごとし。
下がいわゆる地獄のごとし。

もともと地上の図に表せはしないけれども、便宜上わかりやすく表現するとして、ちょうど中間的、標準的世界を位置付けした場合、人は大体それよりも下の世界に最近は入りやすくなってきている。

まぁちゃん: 「それは大変だ!」などと思っても、こういったことを真面目に考える人など少ないから、それが下の世界に向かわせるのかな~?

霊魂: この場合、人の命は大変重い。
こうした暗いおぞましい世界に住むなら、その魂はみな「人のこの世の命は、こんなに重いのか?」と感じる。

が、幸い上のあたりでそこそこ満足しうる世界に入ったならば、地上の命は石ころのごとし。

まぁちゃん: つまりあの世での生活する環境において、住んでる人というか、霊魂の考えがそれぞれ異なるということだ。

霊魂: 人々は常におのれの目で相手を見る。日本人は日本人の目で外国人を見る。
外国人もしかり。

そのため、相手の考えがわからない。

仮に、日本がまだ、ちょんまげをしている時代であった時、今の現代の日本人がさて、江戸の町にやって来たらどうなるか?

その考えはぜんぜん違っている。気狂いのごとしに弾かれてしまう。
「なぜか?」

そのまわりの環境の異なりが考え方を変える。
考え方が異なれば、おのれの常識で相手を排斥する。

まぁちゃん: ちょんまげが一番カッコイイのに、茶パツで寝ぐせみたいなボサボサじゃぁ、笑われちゃうよね。

過去の歴史を振り返ると「昔の人は何をバカなことをしていたのか?」と笑い飛ばすけど、それは現代の人達の感覚や価値感というものがあって、そこにあるより多い考えが常識というものになっているだけでしょう。

人それぞれ微妙に考えは違うとしても、それでも似たような部分もあるから、何とかやって行けるんだよ。

霊魂: つまり死後の世界においても同じ。
人がそのまま肉体の身を脱ぎ捨てあの世に行く。

行った先がたまたま、おぞましく恐ろしい世界であったら、その苦しみは今の苦しみとはまるで違う。

まぁちゃん: どんなふうに違うのかな~?

霊魂: 今なら、最後は自殺するかもしれない。
しかし死後の世界においては自殺できる体がない。

幽体という霊的な身体は物質でないので、ナイフで切ろうと死にはしない。

誰かにいじめられるとしたら、際限なくいじめられる。
まったく心が休まらない。

まぁちゃん: 仏教などでは「地獄」というような所を、身体的な苦痛を味わうような世界として表現しているけど、それは人間にとって「辛いところだよ!」と教えるには理解しやすいのかもしれないね。

人の命と霊的世界の上下2に続く
幽気と幸福7からの続き

まぁちゃん: 霊的に見る人間って複雑なんだねー。
じゃぁ、幸福になるにはどうすれば良いの?

霊魂: 幸福になるのは、自分の意思のつもりでも実際はほとんど、まわりに人間関係、霊魂関係、念の関係、自分の無意識もろもろの影響である。

まぁちゃん: 人間の幸福というものを考えた場合、霊的なことがものすごく影響していて、そういったことを含めて考えないと、なかなか幸せには至らないんだ。

霊魂: 人生は己が決める。
しかし、自分は自分で決めているように見えても、実際には、ほとんど自分では決めていない。

実は自分の深い意識が強い主張をし、それに大多数は動かされている。

ところがその動かしている意識の過半数は地上に生まれる前に、もう一つ、あるいはもう二つ生まれていた過去の人生の激しい記憶、激しい心理によって動かされている。

まぁちゃん: 幽体の意識というか、過去世の記憶、心理学などでは、潜在意識とか深層心理とかいっているけど、こういったものは自分でもなかなか変えられないって言うよ。

霊魂:人間は、どっちに行って良いかわからない。
常にそういった選択に迫られる。

その時、深く考える人はほとんどいない。
「なんとなくこっちがいい」みんなこんなものである。


まぁちゃん: 人には初めから結果など見えないのだから、なにげなく判断しているようであっても、 人の言うことは耳に入らなかったり、心の深い部分には「自分はこうしたい」という思いが強くあったりして、そういった選択の積み重ねが、結果的に自分の幸、不幸を決めてしまっているんだ。

霊魂: つまり、この時にこっちに行くべきなら、こっちに行けるような自分になれば、必ず幸福になれるし、そうでなければどんどん悪くなってゆく。

ということは、ここに不幸があると、無意識が強くこちらを選べというと不幸に向かって走る可能性もある。

それを考えたうえで、守護の霊魂は霊感を送るのである。

しかし、立派なオーラをしていれば強く反応し、キャッチできるが、あまりオーラが出ていないようであれば、自然に染み込まない。

まぁちゃん: 自分の幽体に良い幽気を吸収させるようにすれば、守護霊からの霊感が受け取りやすくなるし、そうでないと低い幽気を持つ人がまわりに集まりやすくなったり、 結果的に低い方の霊魂ばかり側に寄って来て、幸福から遠ざかってしまうことだね。

霊魂: それを考えるなら、ひとつひとつ良くして行けば、必ず上手く行く。

人間関係においてはあまり過度の対立はせず、幽気を常に吸収してゆけば、自然に幸福に向けた考えが浮かんでくる。


まぁちゃんの一言

肉体にとっては、空気は非常に大切なものです。

同様に、いま肉体とダブっている幽体は幽気を必要としています。
現代は、霊的にあまり良い状態ではないので、自分から進んで良い幽気を吸収しなければ、得られない状況のようです。

「今、良い幽気をいかに摂り入れられるか?」これが、永遠と続くであろう、あの世での幸、不幸を分けるようです。

もちろん今地上で生きている間も、人は霊的な部分に影響されて生きていることを考えれば、なるべくなら良い幽気を得たいものです。
幽気と幸福6からの続き

まぁちゃん: 霊的な気の影響はわかったけど、人が生まれ変わってくるということを聞くよね。

こうしたものは、人生にどういった影響を与えているの?

霊魂: 生まれ変わりと表現すると語弊があるが、霊魂学では再生という。
仏教では業と言う。

良いことをすれば必ず良いことがあるとか、悪いことをすれば必ず悪いことがあるとか言う。

まぁちゃん: カルマなどと言って、行為は必ずその結果をもたらし,また現在の状況は必ずそれを生む行為を過去に持っているというようなことでしょう。

霊魂: が、実際はそんなに単純ではない。
単純ではないが、全く外れという訳でもない。

例えば、日本という国があり、仮に外国と戦争したとする。
仮に日本が勝つ。相手国から恨みが来る。

恨みの念幽体が傷つき、当然不幸になる人も増えるし、死後は下へ落ちる人も増えてしまう。

昔、日本でも戦争をしたのだから、他国を攻めた日本の兵隊がいる。
強い恨みが来る。

ところが今生まれてる人達は、攻めた人達ではない。

まぁちゃん: 確かに、日本という国に生まれたことにより、その国の過去を背負うような気もする。

実際の当事者でなくても、相手から見れば、 張本人が死んでしまったとなれば、その矛先が憎らしいお祖父ちゃんの子孫ということになるね。

霊魂: 「もしかしたら、日本人によって、死んだ人が日本いたらどうしよう?」

「もしかしたら、犠牲者だった方が、今生まれて恨まれて犠牲になるのは不合理ではないか?」

まぁちゃん: 「戦争で殺された、お祖父ちゃんがかわいそう」って、子孫達が強いその恨みの念出して、そのかわいそうなお祖父ちゃんが、日本という国に生まれ変わって、自分が恨まれてしまうことなんてあるの?

霊魂: 仏教の業ではこうしたことはわからんが、霊魂学でははっきり言う。

案外、こういうことがあったりする。

殺された、それも普通の戦争としては、むごい形で殺された。
不合理に殺された。

その恨み、その感情は、そうしたものは大変激しいものである。
激しいものを内に秘めて、激しい感情、念、呪いが来る国に、また生まれることは十分ある。

悲劇の繰り返し、被害者で今度は加害者といわれて、いつまで経っても、ぼろぼろになって死ぬ。
下の世界に落ちて、そのまま、はい上がって来ることができない。

もし、はい上がったとしても、今度はその激しい心の苦しみが、次の再生で再び、また不幸を生む。

不幸、不幸、不幸、これが人間の歴史。

まぁちゃん: 人が生まれ変わるということは、過去の心情が、心の奥に残っていることだから、そういった苦しみを持ちながら現代に生まれて来て、自分の苦しい心情も癒されることもないうえに、恨まれてしまうのか…

霊魂: つまり、人間は時を重ねるにつれて、千年、2千年経つにつれて、どんどん、どんどん不幸になる定めにある。

幸福になるわけがない!

普通に生きたら、特に思い残すことは何もない。
しかし、激しい怒り、激しい苦しみ、呪い、その思いだけはずっと心の奥に残って、次に生まれてもまた、よみがえってくる。

結局、人間を動かすのは常に不幸の因子ばかり。
これでは千年、2千年、3千年たつにしたがって武器も大きくなる、世の中も悪くなる。

殺人が難しい時代になれば、念を出して激しく人を差別し、わからない所で激しく人の足を引っ張る。

そして知らないうちに皆を不幸にし…

「そこで全部消えてしまった方がいいのではないか?」という考えを持つ霊魂も大勢いるそうである。

まぁちゃん: 霊的なことを含めて人間というものを考えた場合、とても複雑なんだ。

確かに、いつの時代でも必ずどこかで戦争をしているし、人々の争いは絶えないようだし、自国を守るという意味合いかも知れないけど、「目には目を・・・」ということで、武力競争も激しいから。

幽気と幸福8へ続く
幽気と幸福5からの続き

まぁちゃん: 普通に生活していても霊的に悪い影響を受けてしまうようだけど、じゃぁ、そのままにしていると、どういった影響が出ちゃうんだろう?

霊魂: するとある部分からオーラが出ていないという状況の時に、この霊的に良い人をさける。

「なんとなく気分が悪いな~」「一緒にいたくないな~」で、霊的に悪い人は寄って来る。

「何となく質が近くて側にいると気分がいいな~」となる。

そこで、結局自分のこうした付着を取らないと、やがて男女が結婚して妊娠したとする。

お母さんに低い幽気がたくさんある。
そうなると、これは親から受け継いでいるので、胎児も同じ。
強い気がない!

子供がこの世に産まれてくる。
その結果、大人と違い子供は残念ながらそれほど抵抗力がないので、産まれた時に何やら障害を持ってしまうことも考えられる。

子供が身体的障害を持ってしまえば、ずっと夫婦でケンカばかりして、一生運が悪いと嘆き続けるしかない。

こうなってしまったら、あとからの努力が大変になってしまう。

まぁちゃん: 自分の幽的な不調が子供にまで現れてしまうこともあるんだ。
子供に苦労すれば、自分が大変になってしまうのだから、 そうならない為にも霊的に良い状態を保つことが大切だね。

霊魂: こうしたことも、昔ならどこか良い神社でも探して、そこへ行って瞑想でもすれば、幽気が入ったのだが、最近ではそういったことも、全く期待できなくなってしまっている。

近頃、皆さんは気軽に考えているようである。

間気というものや、幽気といった霊的な気を体の中で意図してまわす人がいる。
その結果どっかがパンクする。

するとある部分から間気、もしくは幽気というものが流出する。
これをまた他の人が吸って、他の人に伝染してしまう。

それが産まれてくる子供に影響して、何かと病気になり、何かと不幸になる。
将来、親を恨む。

まぁちゃん: とにかく霊的不調というものは、自分のみならず、子供やまわりの人にも影響するし、逆に霊的に良い影響も同じことが言えるね。

幽気と幸福7へ続く
幽気と幸福4からの続き

まぁちゃん: 法律や倫理道徳的な規準にそって、良い人と悪い人に分けられるけど、霊的に見て、良いとか悪いの違いは別なの?

霊魂: たくさんの人がいるとする。
さて、「誰が一番良い人で、誰が一番悪い人か?」
地上の善悪、道徳では「この人が悪い」とはっきりする。

しかし霊的な良し悪しはそれとは別。

つまり低い、悪いというような霊魂に影響されている人は良くない。なぜかというと、他の人に影響が出る。

まぁちゃん: ということは、犯罪を犯すことは悪いけど、必ずしもそういった人が悪い霊魂に影響されているとも限らないし、また、いかにも立派に見える人が、必ずしも良いとも言えないんだ。

霊魂: 良い人というのは、他に良い霊的影響をもたらす。
悪い人は、悪い霊魂をたくさん引き連れている。
そして低い気を発している。

例えば、手を出したとする。低い気が沢山ある。
それに触れる。その人から低い気が沢山ついてしまう。

仮にこの人が医者だとする。患者がそこに来たとする。
「この人はかわいそうに・・・」しかし、そんなことは一般人ではわからない。

まぁちゃん: 気軽に握手などできないよね。
簡単に霊的に良い人と、悪い人など見分けることが出来ないのだから、どうしよう??

霊魂: よって、仕方がない。仕方がないけれどもついてしまう。

ただついても幽なので、別に肉体にすぐにどうこうということはない。
いわばお風呂に入る如し、幽的にリフレッシュすればもうそれで全然大丈夫。

まぁちゃん: つまり人間関係においては、仕方がないことだけれども、時々、良い幽気を吸収すれば良いってことだね。

霊魂: 大丈夫に普段からなるためには、そういった状況に自分でもってゆく必要がある。

しかし、忙しくてそうも行かない。
と、どうなるかというと、あちこちに低い気が付着する。
するとすぐにどうこうなる訳ではないが…

まぁちゃん: 自分で防御じゃないけど、予防策を講じておけば大丈夫なんだ。
祓いというのがあるけど、そういったものを定期的に受けるというのも、ひとつの手段だね。

幽気と幸福6へ続く
幽気と幸福3からの続き

まぁちゃん: 高級霊は通常、上から人間を見ているってことだけどさ、低い霊魂はどんな感じ?

霊魂: だいたい人の目線でうろうろしているような霊魂など、人間とほとんどレベルが変わらない。
つまりあまり上の方ではない霊魂である。

こうした存在が近くに寄って、人間にいろいろと悪さをする。

最近、地上は霊的にはあまり良い状態ではなくなってしまった。

地上にいると昔は、普通に神社などに出入りしていて、寺であれ教会であれ、 自然に結構幽気を吸収していたようだ。
普通の人であれば、死ぬ時にそんなに下に下がるという確率はなかったのかもしれない。

今は普通の人であれば、確実に下に下がってしまう。
なぜならこうした環境が、全部事実上ほとんどなくなったといえる。


まぁちゃん: 今では神社も寺院も、単なる観光名所のようになってしまったし、そこに仕える人達も経営のことばかり目が向いてしまって、残念だね。

霊魂: 大きな神社は権威ばかりで、実際、神社の神主さんが霊的なことを信じていない。

神社の意味すらわからない。

「これがいつ出来たものだから尊い」とか、「国宝だから尊いとか」関係ないことも知らず、ただの石で構わないのに、ただの石でも目印になるようにすれば一番尊い。

だから富士山、これは日本全国において一番高くて、いわば一番の目印、高貴な霊魂が上から見やすい所なのである。

まぁちゃん: それじゃぁ、地上の幽気が低くなってしまったと言うのなら、同じ霊的環境で皆生活しているわけだから、全員下に落ちるっていうこと?

霊魂: 例えば、外の幽気がほとんど同じ、3人なら3人同じ幽気を吸っているのではないかと思うだろう。

さて、同じ幽気なら「みんな同じ幽気を吸うのかどうか?」当然同じ幽気を吸う。

それでも、同じ幽気を吸ったのに幽体が上下、全員変わる。
それはなぜか?

実はもうひとつ霊的な身体、幽体のように肉体と重なってはいないが、霊体というものがある。
霊体と呼ばれる身体も、霊気と呼ばれる特別な気を吸収している。

その影響がまた幽体にも出てくる。

となると地上の幽気は皆同じでも、難しい話になるが、実は霊気は地上とは重なってないので、 摂れる人しかとれないということなので、同じ幽気を吸収しても、吸収力が実は全員違ってくる。

その結果、心ではなく幽気が、実は霊体と呼ばれる別の身体と関わっていた。
その別の身体は幽気ではなく、霊気と呼ばれるところから力を引いていた。
そんなものが地上にあるのかというと、富士にあったのである。

まぁちゃん: ちょっと複雑で難しいけれども、人間というのは幽体とは別の霊的身体もあり、霊気を吸収するために霊体を発達させることも、霊的に良い影響を与えるんだね。

とにかく良い幽気を吸収することが、まずは大切なんだ。

幽気と幸福5へ続く
幽気と幸福2からの続き

まぁちゃん: 仏教やキリスト教とは違って、神道には教えのようなものがないように思えるけど。

霊魂: 昔から神社などでは教えというのは、ないと言われてきた。
なぜなら、どんな風に生きようと本当は自由なのである。

どうでも良いというと語弊があるが、どんな生き方をしようと倫理道徳の教えは、時代と共に変わるものである。

まぁちゃん: 最近じゃぁ、倫理道徳などどうでも良くて「法律に触れなければ何でもあり」のような感じがするよ。

価値観多様などと言って、 自分さえ良ければ、というような考えを持つ人が多くなったし、人のことを、あれこれ言う割には自分を正そうとはしないからね。

霊魂: 昔は男尊女卑、今は男女平等。
昔の尺度で言えば、今の人は全員地獄へ落ちねばならん。

それがもし、時代と共に変わるのであれば、絶対的な基準など、はじめからないと言うことになる。

とすれば、大切なのは、そこにきれいな幽気があって、それを吸収することにあった。

まぁちゃん: つまり、霊的な真実とは別に、教えというもは所詮、時代と共に変化し得る流動的な部分が強いものだね。

それが普遍的なものでないとすれば、霊的にはあまり価値ないものだったりするけれども、神社やお寺、教会などに人が集まり、 そこに良い幽気が降りて来て、その幽気を吸収することが大切だったんだね。

霊魂: ところが、神様のおうちになってみたり、「ご神体は像にしないとダメだ!」と言ってみたり、神主さんからオーラが出ていなかったり、集まってくる人も誰も信じていない。

これだと、近くまで高い霊魂が来ても、目印もない、神を祈る念もない。
つまり念があればそれに作用できた。
しかし、その念もあまりない。

まぁちゃん: 高い霊魂が「地上の人間はどうしているかな?」なんて、地上近くまで来ても、目印もなければ、真面目に祈る人もいないとなれば、 良い幽気を降ろしてあげたくても、求める人がいないってことで、何も出来ないんだね。

霊魂: ご神木というのがあるだろう。
こうしたものも大切に扱い、霊的だとすれば当然目印になる。

いわゆる高い霊魂が来るための目印にもなる。
ただし、今はそうした力も失ってしまった。

まぁちゃん: 必ずしも、霊的な目印となるのは「これじゃないとダメ!」というもなのではなく、大切なことは確実に高い霊魂から見て、目印となることだったんだ。

霊魂: 「幽気を、いわば上から来る幽気を吸えるかどうか?」
「なぜ幽気が上から来るか?」当然、高級霊は上から見ているからである。

幽気と幸福4へ続く
幽気と幸福1の続き

まぁちゃん: 幽体に活力があると、そこからオーラという光のようなものを発して、そのオーラが上に伸びていると、高級霊の目に止まりやすくなるって言うけど、本当かな??

霊魂: 例えば、宮があって多数の人が集まっていたとする。

これら多数の人達に我々霊魂が、何か力を与えたいとする時、人間と同じ視点で見ると、もともと物質の世界にいる人間ですら、誰が何処にいるやら、 夜になるとさっぱりわからない。

が、「高い木の上から見たらどうか?」

ここに誰かいる。こっちで誰か太鼓を叩いている。
ここで子供が遊んでいる。これが全て見える。

つまり、人が大勢いて、それぞれにオーラを発していて、だれか一人だけ例えば、神主さんが強い、特別強いオーラを発していれば、この人がいわば神主、この神主を中心に「皆がきれいな幽気を吸えば良いのかな?」と判断する。

まぁちゃん: 高い霊魂が良い気を降ろそうとしても、神主さんのような人が、幽体を強化して強いオーラを出していないと、目印がないってことだね。

霊魂: ところが、最近はこの神主さんが霊的なものを認めなかったりするので、どこにいるのかさっぱりわからない。

つまり、横から見るのだと「遠くにちょっと上に伸びているのがあるな~」という感じで、人ごみの中にいるとなかなかわからないが、上から見るとすぐわかる。

そこで、神社などでは、玉、鏡、剣などをいわばアンテナのごとし、神から見て見えやすいような目印と決めて、そこに人が集まるのである。

まぁちゃん: 神社に行くと祭壇に鏡とかが置いてあるよ。
三種の神器というやつだ。

霊魂: ところが最近では「こんな鏡とか剣に神様が住んでいるわけがない」と言う。
このおうちに神様が住んでいるのか否か、「いない!」と言う。

まぁちゃん: やっぱり鏡の中に神様がいるとは、考えにくいけど…

霊魂: つまり、あくまでも霊魂からこれを目印として見るだけのものなのに、神様のおうちだと考えている。

そこで「神様の像を作ってみたら?」そんなことを考える人までいるので、あきれてものが言えない。

まぁちゃん: リカちゃんハウスじゃないんだからねー。そのうち神様のパパとかママを作っちゃうよ。

霊魂: これが神社が機能しなくなった原因。
つまりあくまでもご神体と呼ばれるものは、高級な世界からいわば目印とするためにある。

それを大切にし、人々がこのご神体よりも低いところに頭を、つまりお辞儀をして力を乞う、頂こうということであれば、そこに良い幽気が沢山おりる。

その結果、村の祭りなど行い、人々が沢山来れば、ここで自然に良い幽気を吸収する。
その結果幽体は活力を増し、オーラは大きくなり守護、指導の霊魂から見やすくなり、死ぬ時には当然導きやすくなる。

死後も下の世界には入らない!


まぁちゃん: 今の人は、こういったことは単なる伝統文化としか考えていないようだけど、昔の人は当たり前のことのように行っていたことが、 実は良い幽気を吸収するために、霊的な意味でとても大切なことだったんだね。

幽気と幸福3へ続く
講演会は、対話形式ではありません。

まぁちゃん: 霊的な気、幽気というものについて教えて下さい。

霊魂: 地上に空気あり。人の肉体はそれを得ることにより生存しうる。
が、仮にあの世に行けば、すぐに空気は要らなくなる。

それは肉体が無いためである。
では、人があの世に行くのに肉が消えて脳も消えて、それでも生命として生き長らえるならば別の体がいる。

仮に今、自分が死ねば記憶は全部消えるはず。
が、それから新しい身体を得ていては、過去の記憶は戻らない。

おのれを持ちながらあの世に行くのであれば、今ここに幽の体を持っていなければならない。

まぁちゃん: 幽気というものを語るとき、幽体という霊的な身体を無視しては意味がないってことだね。

霊魂: 肉体とダブっている幽体が、今ここにあるからこそ、記憶をあの世にまで持って行ける。

もし、先祖に記憶あるというのなら、 当然おのれに幽の身あり、そして幽の気あり。
その気が良ければ、空気のごとし栄養になる。

無論、物質の世界にない身体なので、物質の世界にない空気がいる。

いわば、次元の異なる栄養のごとし。これが幽気というものである。

まぁちゃん: いま肉体で生活していて、霊的なことは全く関係ないようでも、幽体というものは幽気を必要としているんだ。

霊魂: 幽体という身体があり、肉体と接着が外れれば、霊魂の世界に入る。
つまり、人間が地上で死を迎えた時、 肉体とダブっていた幽体が独立して、あの世と言われる世界、幽界に入り生活することになる。

その幽体という身体が幽界と呼ばれる世界で、どうして生きて行けるのか?
それは基本的に、幽体がそこで馴染みやすい身体だからといえる。

まぁちゃん: あの世は、地獄とか天国のように分かれているって聞くけど、なぜ分かれるの?

善い事をすると天国に行って、悪いことをした人は地獄に落ちるのは、心の違いなのかな~。

霊魂: 心、心ももちろん違うが、残念ながら本当は幽気である。
これが分ける。

例えば映画館に入ったとする。真っ暗で何にも見えない。
しばらく経つと慣れてしまう。
しかし、そこでばかり暮らしていると、全然暗くなどない。

まぶしい世界も同じ。まぶしい所へ行くと、もう目が見えない。
そこにばかり暮らしていると全然大丈夫。

つまり、幽気の上下は、まぶしいか、暗いかと同じ。
目が慣れるかどうか?
この幽界の質、つまり幽気が、そこに馴染むかどうかである。

まぁちゃん: つまり日陰のじめじめしたところで育った植物が、突然、強い日差しの中では枯れてしまうよね。

元気のない幽体の人は、 あまり日の当たらないような所で生活しなければならないし、日差しが好きな元気な幽体は、日がさんさんと降り注ぐような所に行けるんだ。

自分の幽体が馴染みやすいところに行くってわけだね。

霊魂:ゆえに今この霊言の場の幽気が下がってしまうと、我々は、いわば息苦しいがごとし。
この場に満ち溢れんがごとし気が集まれば、活動がたやすくなる。

まぁちゃん: 地上のような所は、低い気を好む霊魂は過ごしやすいけど、高い霊魂というのは、高い気がたくさんある所でないと、ダメなんだね。

霊魂: 幽気について、さらに詳しく言うと、地上の人は皆、肉体と幽体が重なっている。

さて、空気を吸うがごとし幽気も吸う。肉は活力を増し、幽も活力を増してくる。

まぁちゃん: 幽体の調子が良ければ、ダブっている肉体も当然良い影響があるんだね。

幽気と幸福2へ続く
信仰と霊的法則5の続き

まぁちゃん: たとえば、人が集まり、幽的に良くなるというのはどういう状態なの?

霊魂: 幽気が良くなるということは、そこにいる人達の幽体がお風呂に入っているがごとし、シャワーを浴びているがごとし、森林浴をしているがごとし。
幽気が爽やかに広がっている。

それが人が集まるという意味。だから神社がいる。だから教会がいる。

そこに常に自分だけでは得られない、力があるからそれを皆が受けに行く。
無論、立派なお説教も大変結構である。
そのために幽気が必要である。だから、宮もいるし、寺もいる。

まぁちゃん: 人々が思っている以上に、教会やお寺、神社に集まる事は大切なことなんだ。

霊魂: 我々霊魂は、唯一地上に霊的な事実を示せると自負している。

はっきり言って、我々だけが霊魂を示せる、あとは誰も示せないと思っている。
そうでなかったら、世に出る必要はない。

人間がひとりでいくら瞑想して偉そうなことを言ってみても、決して本当の力は得られない。

なぜなら、我々霊魂は他の第三者に何らかの力を示して欲しい、幽的に誰かを救って欲しい。
そう思うから霊魂達は力をかけてくる。

自分だけ修行して救われればいいのなら、その程度。
その人の守護霊で終わり。それ以上どうということはない。

まぁちゃん: 霊的なことは多くの人が知らないことなのだし、それがとても大切なことだと考えているから、霊魂が協力してくれるんだね。

霊魂: どんな立派な人でも関係がない。
その人が他に何らかの影響を及ぼしてくれると思うから、大勢霊魂が降りてくる。

それまでの平安仏教で救われるなら、鎌倉期に親鸞が出る必要がない。
日蓮も出なくてもいい。

それで、救われていれば・・・。

それではだめだと思うから、迫害されても世に出た。
それは自分の主張以外に人は救えないと信念を持っているから。

だからどれだけ迫害されても、引かない。
そういう信念さえあれば当然そうなる。
だからカルト教祖と区別がつかない。それが困る。

我々も人前でものを言うのは、ほかに誰も示してくれないと思うからである。

どこかの誰かが示しているというなら、その名前を伝えればそれでいい。
その本を紹介すればそれでいい。
それで役割は終わり。

が、他に事実を示しているものない。そう断言するから、だから、霊言を行う。

まぁちゃん: 霊魂は物質の身体がないから何も伝えることができない。
やはり地上の人間を使う霊言という手段だけなんだね。

霊魂: 世界中探しても、絶対真実の霊言はない。

なぜなら、霊言というのは長いトレーニング(参考:「霊媒」by霊的情報館 霊をさぐる)を踏まえないと絶対にできない。
そのためには、必ず人間の集団がいる。

つまり、五人でも十人でも幽を清める人達がいないと霊言のレベルが上がっていかない。

ひとりでどんなに立派な先生がいても、法則上、正しい霊言など絶対にない。
必ず、グループをつくっている。

グループをつくっていれば、世間でいえば宗教であるから、すぐ嫌われる。
が、事実はそこにしかない。

あの世にいる先輩が言うには、
「人はこの世にいるうちに、あの世の位置をつくってしまう。そして人間には過去世があり、そして今がある」

「それが今、これからの人生、これまでの人生に影響している」

その上で守護の霊魂は「皆、とにかく霊魂がある以上、外野席が何を言おうと、人は正しい道を生きるべし

どんなに偉い人が何を言っても霊魂があるのは事実であって、その事実は変わらない以上、いかなる迫害に負けることはない。
事実は何よりも重い。

【参考:「宗教と霊の関係」 by霊的情報館 霊をさぐる】



まぁちゃんの一言

神や仏を求める、信仰するということは、霊的世界から見ると、世の中の人達が考える以上に大切なことのようです。

それを真剣に、また命がけで伝えようとした人がいたことさえ、忘れ去られてしまう世の中なのでしょうか?
信仰と霊的法則4の続き

まぁちゃん: たしかに宗教を名乗り犯罪や詐欺行為が増えれば、宗教に対して警戒心や嫌悪感を持つ人が増えると思う。

いっその事、宗教なんて全て無くなれば良いと考えてしまうと、具体的にどうなってしまうの?

霊魂: 誰も守護の霊魂の目には止まらない。
皆、止まるのは悪い霊魂の目に止まるだけ。

人がどれだけ、神や仏を無視しても悪い霊魂は寄ってくる。高い霊魂は寄れない。

人が自由意思で「ヤダ!」と言っているのに強引にその意思を無視などできない。
が、悪い霊魂は平気で寄ってくる。となるとどうなるのか。

それはもう、世の中邪霊だらけで、高貴な霊魂は寄るはずもなく、世界中邪霊に満ちてしまう。

皆、幽体が汚くなる。
ということは人類の歴史上始まって以来、全員で地獄へ落ちる。そうなる。

まぁちゃん: それじゃぁ、今まではどうだったの?

霊魂: どの国でもたとえ聖職者といわれる人達が、裏でインチキをしていても、教会もあった、寺もあった、宮もあった。真面目な信仰者もいた。

その上で、そうでない人もいた。

が、今は全部消してしまうという時代なので、高級な存在が何か力を与えたいと思っても、与える機会がひとつもない。
たとえ、裏でどっかの神主が金儲けや、悪い事をしていても、そこに神社があれば、次の神主がちょっとまともなら、真面目な人が来て、真面目な力が降りる可能性がある。

それなのに、それを消してしまったら、何もない。

信仰と霊的法則6へ続く
信仰と霊的法則3の続き

まぁちゃん: そうそう!!
現代人は特に、「ただ神を信じろ」とか言われたってピンとこないんだから、事実と法則を知るべきなんだよ。

霊魂: 人々がもっとも間違えているのは、ただ自分を信じれば救われますという、まさに自分を神格化するとんでもない奴。

まぁちゃん: たまに、こういった変なやつがいるんだよ。

霊魂: 実はこれが最も大事。
一番正しいのは私だけが神で、あとはみんなアホだ。
これが正しい。

まぁちゃん: エッ、なんでー!!

霊魂: なぜなら、みんな正しいということなどあり得ない。こっちは、死後の世界は心の中にあると言っている。

神は心の中に存在する。死後の世界は三つに分かれている。

人間の体は五つある、霊的な身体が五つある。
いや、幽体しかない。

まぁちゃん: 考えてみれば、世の中にはいろんな宗教があるし、同じ宗教でも宗派によっても言っている事が違うからね。

霊魂: さて、みんな考えが違うが、1個正しければ、あとは全部間違っている。
全部正しいわけがない。
よって信念を持つ宗教家は必ずいる。

「私を信じよ」、あとはみんなクズ。これが本当である。

カルト宗教と呼ばれるような教祖は大変立派である。
あんな立派な先生はいない。
実はそこに難しさがある。

つまり、皆がなぜそれを言わないかというと、間違えれば刑務所行きになってしまう。
まさしくそうなる。

イエスキリストもカルト教祖も自分ばっかりが偉いという。

その区別がほとんどつかない。それで困る。自分のところで修行すると理想社会になってくる。
他に道がないと言う。何にも変わらない。

偉い人や、専門家は違いがわかる。
しかし、初心者はよくわからない。

だから、できれば全部消してしまった方が、何もわからないで消してしまった方がよい。
これが、今の世の中の流れ。

千あれば、百はまとも。あとの九百だめかもしれない。

が、百のまともの為に、九百の異常は困る。
なら全部消してしまった方が楽だ。これが世の中の流れ。

しかし、それでも、事実はひとつしかない。
もしそうやって消せば、誰も想いを出さず、誰も幽気を受け取らない。

信仰と霊的法則5へ続く
信仰と霊的法則2の続き

まぁちゃん: どんな指導者のもとで修行するか、その指導者の力量がとても大切なことなんだね。

霊魂: 霊的世界の法則さえ知らない指導者のもとで、何十年修行しても入るのは邪気ばっかり。
それが現実!

同じようにイエスの下で1日中泣いていた人は、死後かならず上にいる。
なぜなら、あの世に行くと地上のことは何も通用しない。

食べずにすむ。寝ることもなく、仕事もしない。

さて、地上のどんな知識も、医学の知識も政治の知識も関係がない。
もう役にたたない。

世界が違う。

役に立つのは神を求めて出した念だけ。それしかない!!
それが本当だった。

私は昔、いちばん以外に思ったのは、ヨーガ、仙道とか、そうした修行の人達には非常に偉大な人がたくさんいると考えたが、ではなぜ、その中でも一番偉大だと思ったイエスが、そうした霊的なトレーニングを行わずに、ただ神ばかり語ったのか疑問だった。

まぁちゃん: キリスト教の霊的なトレーニングなんてあまり聞かないよね。

霊魂: 無論、時代がそれを必要としたからではあろうが、その訳は霊魂に聞いてはじめてわかった。

幽気、幽体、これらはすべて事実として法則をもって流れている。
誰が何と言おうと事実は変えられない。

親孝行するか、あるいは殿様に孝行するか、社長に孝行するか、「これのどれが一番いいことでしょうか?」といえば、偉いお坊さんが親孝行だとか、殿様の孝行が正しいとか、いろいろ立派な説教をして下さる。

が、そこに法則はない!

まぁちゃん: そういったことを教えてくれるのは、間違いだとは思わないけど、それは地上での生き方の問題だよね。

大切なのは霊的なことを含めてどう生きればいいかでしょう。
そういったことを教えてくれるのは宗教的世界しかないのだから。

霊魂: 霊魂の世界ははっきりとした法則がある。どうすれば上に上がるか、どうすれば下に下がるか。

あるいは人間は幽体を持っている。
幽体はどうなるか、肉は将来どうなるか。

意識の中で過去世の記憶がある。それがいつ出てくるか。

それによってこの人はどんな人生を送るか。

これは全部、事実として詰まっている。

無論いつ、どんな意識が過去からよみがえってくるか、それは不確定。
決定はしていない。

しかし、年を取るに従い、必ずそういった意識が出てくれば、どんな行為をするかは予測はできる。
そしてほとんど外れない。

それを考えるならば、大切なのは事実と法則を知ること。
教えはその次でいい。

信仰と霊的法則4へ続く
信仰と霊的法則1の続き

まぁちゃん: ところで、幽体の栄養になるっていうけど、栄養がないとどうなるの?

霊魂: 幽体に栄養を与える、これが人が死んだ時、上に上がるか下に下がるかを決めてしまいます。
つまり下がってしまうとなかなか幸福になれない。
これは皆知っています。とりあえず上へ行かないとなかなか幸福にはなれません。

現実の問題として、たとえ偏見のかたまりで、キリスト教以外は頭がガチガチでどうにもならない人と、寛容で人格のある立派な人、ただし宗教など信じない。

さて、どちらが上に行くか?

まぁちゃん: あまり狂信的になり、考えが柔軟じゃないのは良くないと思う。
たとえ信仰などなくても、人格のある人だろうね。

霊魂: いざ死んでしまうと、キリストのことになると、まるで頭をかき乱して怒って他人に怒鳴りちらす。

なんと、心の狭い人だと思えるような人が上に行きます。
死後人格者は下にいて、信仰者は上にいます。

現実の問題として、どんなに心が狭くても信仰者は上にいる。この事実を私が知ったとき、本当はビックリしました。

なぜなら、イエスキリストとたまたま一緒の時に生まれて側にいたという人と、そうでない国に生まれた大変な修行をして、大変な人格者であった、座禅を朝から晩まで繰り返し、大勢の人を助けた。

その人と死んだ時にどっちが上にいるかと言うと、何も知らずに、ただキリストの後をくっついていた人が上にいます。
本当はショックでした。

まぁちゃん: そりゃ、世の中の人はみんなショックだよ。
すごく不公平な感じがするけど。

霊魂: 私などは日本の古い修行などをしておりましたので、大変馬鹿げていると感じました。

しかし、考えてみると当然でした。
霊魂の世界は地上と同じように法則があって、その法則は万人に平等だったのです。
物質の世界では「物は上から下に落ちる」ように、人はその事実を知った上でものを語るべきです。

どんなに偉い先生が「物が上にいった方が良いよ」と言っても、上には行かない。
この事実を知った上で語らねばならなかった。

朝から晩まで瞑想していても、イエスの側にいてただ泣いていた信者にも勝てなかった。私はそれが分かった時、やっとひとつ進歩しました。

まぁちゃん: 人間は霊的世界のことはわからないから、どうしても地上的観念で物事を考えてしまうけど・・・。

霊魂: つまり大切なのは法則を知ることだったのです。
考えてみると、いつもイエスの側にいた人は、たとえ間違った考えをしていても、念を出し、幽気を受けています。

この幽気が他の地上の誰よりもレベルが高い。
である以上、自然に気がついた時には他の人より上にいます。
これが現実です。

千年瞑想し、千年座禅した人でも全然かなわない。

考えてみると瞑想しようと座禅しようと、念がどの程度出ているかはともかくとして、イエスのまわりには、こんなにものすごい幽気があっても、この人の関係ない所で瞑想していた人には実は何も入っていない。

意識は自分では「神になった」と言ってはみても、どうにもならない。

信仰と霊的法則3へ続く
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 神や仏という高い存在が仮にいるとするなら、そういった存在を信仰する意味はなんでしょう?

霊魂: 大切なことは人が想い、を発する時、その念というものには力があります。

肉体の目に見えなくても確実に幽的世界では人を攻撃します。
それほど力を持っています。
大事なことは物質界に法則があるように、霊魂の世界にも法則があります。
法則を知らなければ何を語っても正しくはありません。

仮に大勢の人が正しい道徳的人生を送っていれば、「神はいらない、仏はいらない」といったとしてもそれはウソです。

なぜなら霊的な世界に、霊魂がいて成長した霊魂、未熟な霊魂がいる時、もっともっと成長した霊魂、それを神や、仏とか呼ぶとすれば、それは必ずいます。
ただ地上には関わってきません。また、来る必要もありません。

その結果、どれだけ人々が呼んでも、仮に十字架に誰かがかけられて「神様助けて下さい」と信者が1万人祈っても神は何もしません。

まぁちゃん: それだったら、神様に祈ることは意味がないんじゃないかなー。

霊魂: だからといって、神はないのか、あるいはそれを信じることは間違いなのか?
それは違います。

なぜなら人々が念を出します。
「神にキリストを助けて下さい」と盛んに念を出します。念は力です。

もちろん神になどには届きません。
しかし、仮に神、仏が低い存在とするなら届きます。

まぁちゃん: 人は神や仏についていろいろ語るけど、もともとその存在を知らない人間が考えていることだから、その定義が難しいよね。

霊魂: 霊魂の世界には上下があって、上の方を神、仏と呼び、下の方を悪い霊魂、真ん中の方に人間がいるとするなら、上の方を神と呼んでいる限りは、上に届く訳がありません。

せいぜい先輩の霊魂の霊魂にしか届かない、これが念の法則です。

つまり、熱心な信者が1万人で呼んでも絶対に神には届かない。
これが法則です。

まぁちゃん: それなら、はじめから神を祈らず先輩の霊魂呼べばいいのに。

霊魂: いやそれでも神を呼べとある方はいいます。
それはなぜか?

思いが届かなくても上に向いていると、念の法則は、仮に高い霊魂達が何か霊的な力を降ろしたという時、この念を利用します。
つまり物質の世界には霊的世界との接点がありません。
接点がないのに何を祈ってもほとんど何もできません。

それでも念を出していれば、この自由意思による念、その跳ねかえりとしての幽気と呼ばれる空気のごとしが降りていきます。
これが幽体の栄養になります。

まぁちゃん: 人間の神や仏を求めるという自由な意思が、霊的な身体の栄養になるのか。

霊魂: だからイエスは言うのです。
「汝の神を愛せよ」

これが一番大切であり、「汝の隣人を愛せよ」よりも大切であると。

どこかの人は「こういう宗教がなくなれば世界は平和になる」と言います。

が、世界など平和にならずとも「汝の隣人を愛せよ」よりもより大切なのは「汝の神を愛せよ」なぜそう言うか?
念、想いこれが法則として力を生むからであります。

まぁちゃん: 霊的に考えると、信仰とは大事なことだったんだ。
だから、イエスキリストは強く主張したんだね。

信仰と霊的法則2へ続く
霊的進化4の続き

まぁちゃん: 確かに最近、宗教的な集団による詐欺行為や犯罪などが目立っているし、当然それは悪いことで、批判されても仕方のないことだけど。

例えば、一部の警官が犯罪を犯したからといって、それで警察官はみんな犯罪者であるような見方をしているのと同じだと思うよ。

人間だから悪い人もいれば、真面目な人もいる。
そういった一面的なもので、霊的なことを判断し遠ざけてしまうことは、残念な気がするけど。

霊魂: 例えて言えば、低い霊魂につかれている人がいる。
本当に入られている人もいれば、そうでない人もいよう。

しかし、大多数の人はそれを認めたがらない。

認めないということは、低い霊魂の側から見たとき、つまり、いたずらな霊魂の側から見た時、認めない人の方が絶対に入りやすい。
とにかく、どれたけいたずらをしても、悪さをしても本人が認めない。


「霊魂など存在しないのだから、そんなことは絶対ない」と言う。
これは楽である。

インチキな霊能者の所に行っておかしくなる人も多数いよう。
しかし、絶対に認めない人の側にいて、永遠にイタズラを繰り返しても絶対に捕まることはない。

もし我らが邪悪な霊魂になったら、誰に憑依するか?

決まっている、無論絶対に認めない者の所へ行く。

認める者の所へ行くと、ひとつ間違えば、除霊されるかも知れないし、火あぶりにされるかもしれない。
そんな危険を犯すバカはどこにもいない。

昔は、確かに宗教者にそうした憑依が多かった。
しかし、それは一般に宗教者が多かったからである。

今は、無神論者が多いのだから、霊魂は確実にそちらに行くしかない。

まぁちゃん: 霊魂がイタズラしやすい人のことは分かったけど、霊的なことに関心を持っても、何が正しくて、何が間違っているのか、なかなかわかないことだよね。

それでも、 霊魂の主張によって高低の見分け方みたいなものはある?

霊魂: 霊的に高い個性は、邪悪なことを言う。
霊的に低い個性はもっともなお説教をする。

それは、もっともなことを言うと人の心が安定し、落ち着くからである。
落ち着くと人は喜ぶ。

が、我々霊魂はそれを喜ばない。
今どうしても改善して欲しいと思っているのに、安心させてしまったら何にもならない。

まぁちゃん: ちょっと良くわからないけど、具体的に言うと?

霊魂: 受験でいえば、本人はAという大学へ行きたいが、実力ははるかに低い。
受験が良いか悪いかは別として、仮にどうしてもAへ行きたいのなら、ここで徹底的に変えないと到底無理。

となれば、そこで「A大学は絶対に受かります」というような安心を得てしまったら、「信じていれば必ずA大学に入学できます」と言われてしまったら、その人は絶対に通らない。

もし本当に合格させたければ、徹底的な変革がいる。
徹底的な改善がいる。

それを考えると、まずもって大切なことは、多少ショッキングでも良いから、今までをひっくり返すような発言をする必要がある。

まぁちゃん: そうだよな~。人間なんておだてられれば、何の努力もしないからね。

霊魂: 愛は良いに決まっている。

しかし、ただ「愛すれば世界は平和になります」では、今まで2千年、3千年の間、一度も平和は来ていない。
毎年どこかで戦争をしている。

まぁちゃん: 人は都合の良い時だけ綺麗ごとを言うけど、自分に都合が悪くなれば、黙っちゃうんだ。

霊魂: 全員宗教者は「愛」を叫んできた。
人々もやはり「愛」を言うが、一度もそれが現実してこない。

つまり、それではダメだから愛はダメという。

まぁちゃん: 必ずしも愛を無視することが良いことじゃないよね!

霊魂: 愛がいけない訳ではないが、いつまで、「愛」「愛」と言ってもどうにもならない。

とすると突飛なことを言わねばならい。
人がこっちを振り向くように、まるで逆転したことを言わねばならない。

それが正しい。いつもと同じなら、何も変わるはずがない。

変革はいつもひっくり返すことを言わねばならない。

それを考えたら、我らが一にも二にも言うのは、「霊的進化を経なければ、人は生きる値打ちもないからどうにでもなれ!」である。

まぁちゃん: そんなに簡単に見捨てちゃうの?

霊魂: 本当にどうにでもなれと思ったら、我らが人の口を借りて、何かを主張しようとしない。

しかし、そう言わないと誰も目覚めないとき、我らは邪悪とも呼ばれても良いから、本当のことを主張しようとする。

この国はこのままだと霊的にどんどん下がる。
「もっと下がればどうなるか?」

邪霊は山ほど寄ってくる。
そうすれば凶悪犯罪も起きようし、当然災害も多数起きる。

人は死ぬべきして死ぬだけである。
それを阻止するのは唯一霊的進化のみである。

【参考:「わるいれいこん???」 by 霊的情報館 霊をさぐる】



まぁちゃんの一言

人が物質の身体を持っている以上、盲目状態なのかも知れません。

だから、何が正しいのか、間違っているのか、わからなくて当然といえます。
それでも人は、ひとつひとつ選択し判断しながら生きて行かなければなりません。

人が霊的生命体であるなら、たとえ霊魂など見えなくても、誰でもかすかな霊的感性、直感を持っているはずです。

それを生かすことが、霊的な進化につながるのだと思います。
霊的進化3からの続き

まぁちゃん: 見えない、確信のないものを判断しようとしているのだから、間違っても当然かも知れないね。

霊魂: つまり人は何が正しいかなど、わかるはずがない。
「仏教とキリスト教のどちらが高度なのか?」これをわかるのは、一部の高貴な人だけで、大多数の人は、仏典を全て読めるでなし、聖書の隅から隅まで読める訳ではない。

まず読まずに終わる。
それでもどちらかを判断するしかないのだから、わかる訳がない。

わからなくても人生は確実に動いている以上、本当は何も知らない人より、おかしなおかしな宗教にだまされた人の方が、はるかに霊的であったし、はるかに正しい人生であった。

まぁちゃん: いずれにしても人は死ぬのだから、そういった人達が実際死んでしまうと、どのような違いがあるの?

霊魂: 何もわからずとも、地上で霊的なものに意識が向いているということは、死後そうした人達は必ず神を求めようとするし、仏を求めようとする。

が、無神論者は、今生きているということを幻としか見ない。
夢の中としか見ない。あり得ないと考える。

上がるわけがない。

つまり、人がこの世に生まれて、幽体を用いている以上、どう間違っても答えは、ただひとつ。

「霊魂を知れ!」それだけである。
人における救いも、幸福も進化も全て、そこからしか始まらない。

ところが、科学ではそれを解明しない。わかる訳がない。

人は、物理的な目と耳と鼻と口しか使わないのに、それ以外の知覚はなくて普通。
無くて当たり前なら、わからなくて普通。

まぁちゃん: 人というものは、世の中の流れや常識にとらわれてしまうけど・・・

霊魂: しかし、あるものはあるし、無いものはない。

キリストとブッタのどちらが良いのか分からない様に、科学的には、やはり永遠に議論して行くだけで何の解決もない。

それでも、人はクリスチャンになったり仏教徒になったりしている。

つまり、人は霊魂であるから、それを直感する以外に道がない。
正しくても間違っていても、己の直感に責任を持って、たとえ己が狂って死んでも、それが正しかったのである。

まぁちゃん: もし世の中の大多数の人が「霊的なものなど存在しない」って言っても、実際にあれば、少数派が正しいということになるね。

霊魂: 何もせずに外野から笑うことは誰にも出来よう。
ある野球選手が三振した。皆で笑い者にする。

「あんな最低の選手はいない」と飲み屋でボロボロに言われよう。
「早く首にしろ!」と言われる。

しかし、こと野球なら、野球に関して言えば、どんな三振をするプロも、飲み屋で怒っている一般の人よりはるかに野球はうまい。

間違いなくプロ選手の方がうまいに決まっている。
それを勘違いしてはいけない。

まぁちゃん: 人はあれこれ他人のことを批判したりするのが好きだからね~。

霊魂: 人に多少批判されようとも何をしようと、それで不幸になろうと、外野で笑うことは誰にでも出来る。

何かをすれば、仮に政治であれば、ある政策をとる。
それがうまく行くかどうかは、やってみないことにはわからない。
それなのに失敗すれば袋だたきになる。

しかし、一般の人が総理大臣になれば、もっと悪かったに決まっている。

やらずに外野から見ていれば、何とでも言えようが「お前がやってみろ!」と言いたい。
そんなに立派に出来るかどうか?
誰も出来はしない。

まぁちゃん: もともと人は完全ではないのだから、失敗や間違いがあって当然だし、結果だけを見て揚げ足を取られたんじゃ~、たまらないよ!

よって、人は何が正しいのかわからぬのが前提である以上、とにかくやっている者の文句を言ってはならない。
それが地獄へのパスポートになろう。

霊的進化5へ続く
霊的進化2からの続き

まぁちゃん: それじゃぁ、なぜ霊的なことを無視していると下がってしまうのかな~?

霊魂: 簡単に人が今、どうすればあの世で下がるか教えよう!

ひとつ「霊魂を無視すること」これに尽きる。

つまり、霊魂はその人そのものであり、幽体を用いている以上、無視すると絶対に上がって行かない。
それは、肉体の所持者が肉体を無視して暮らしているようなもの。

食事をすべきなのに食事をしない。休むべきなのに休まない。
体は多少動かすべきなのに動かさない。

これでは肉体は必ず早く滅びる。これは当たり前のこと。

同様に、幽的身体の霊魂であるおのれが、それを無視して生きれば、下がるに決まっている。

どんな人格者も、脳による性質が、若干寛大だとか、大らかであるとかに過ぎぬのだから、別に霊的にどうというものでもない。

まぁちゃん: 肉体とダブっている幽体があるのに、それでも「霊魂など存在しない!」などと かたくなになっている人には、霊魂は何も出来ないよね。

多少、立派そうに見える人でも、死んじまえば霊的には、あまり変わらないってことか。

霊魂: 霊魂を意識して生きれば、呼吸ひとつをとっても、それを霊的技術の呼吸法として正しく行えば、幽的な身体の栄養となる。

霊的なトレーニングをすれば、霊的でいう、ご飯を食べたことになる。

まぁちゃん: 呼吸法や霊的なトレーニングというものは「自分は霊的な存在である」、 「高貴な霊魂から協力を得たい」そういった気持ちがないと意味がないんだね。

霊魂: つまり、霊魂を意識し何かを行うということは、大前提である。

仮に、食品でいえば、よりよい食品と、悪い食品がある。
しかし何も食べなければ、確実に死んでしまう。

体に良くないからといっても、食べないよりは良い。

それを考えるなら、幽的に多少あまり良くないものであっても、何もないよりは実は良い。

つまり、世に沢山いる、だまされたと呼ばれる人たちの方が、何も信じない人よりも、はるかに良い。
何も信じない人達は、だまされもしないが、確実に食品を食べていない。
だまされた人達は悪いものを食べたが、死んでいる訳ではない。

まぁちゃん: だまされた人達って、けっこう真面目な人が多いよ。
きっと心の中に、目には見えないけれども、物質的ではないものが存在すると考えているからこそ、だまされたりもするんだよね。

それを見て「バカなやつだ!」なんて言う人は、初めからそんなものは存在しないと決め付けているんでしょう。
だまされることもないだろうけど…

霊魂: つまり、より霊的な方面に意識が向いたのだから、その人の守護もしくは指導の霊魂が、何らかの活動をはじめる。

まぁちゃん: 守護、指導霊というのは、霊的なことに関心を持つその時に、やっと活動することが出来るんだね。
頭から否定している人には、その機会がないってことか。

霊魂: それは、仮におかしげな新宗教に入って、人格が崩壊した場合でも、 無論それは良くないが、意識がそちらに向いた段階で、守護、指導の霊魂を確実に一歩動かしている。

とすれば、毒に当たって死なない限りは、多少お腹をこわす程度なら、やはり知った方が良かった。

ということは、霊的な意味での人の進化は、良くても悪くても、霊魂を知ること。
邪教でボロボロになって、世の中から無茶苦茶に言われても、それを否定する人よりは、まし。

まぁちゃん: 世間の人達は「なんと哀れな人生だ」と思うかもしれないけど、人間が霊的存在であるなら、「霊的なことを知ろうとする、求める」それはごく当たり前の心情なのかも。

霊魂: つまり、霊魂の身体を持つ以上、どんな言い訳をしても無視したことは全く愚かであり、確実に他界後は下がって行くのである。

世に最悪の宗教といわれてボロボロになった人達も、下がりはするかもしれぬが、無神論者ほどではないに違いない。
それは、良い部分も確実に動いているからである。

霊的進化4へ続く
霊的進化1の続き

まぁちゃん: 「人間に対しそんなに言いたいことがある?」

霊魂: それというのも、人がこの世で幸福になろうとして、もがけばもがくほど、我らから見ると下がるからである。

人々の幸福は、物質を身につけることなので、我らの世界に来ると通用しない。
まぁちゃん: ということは、いま肉体を持って生活していながらも良くも悪くも霊的に変化してるんだ。

でも、幸福になろうと考えることは、ごく当たり前の心情じゃないかな?
そういった欲求があるからこそ、生き続けることが出来ると思うけど・・・

霊魂: 無論、人は肉の身を維持することを考えなければ生きられないので、 我々は人がごく当たり前に生きながらも、霊的に進化して欲しいと考えるのである。

例えば、水を一杯かぶるとしよう。
それだけで、我らの主張は、かなり多く入る。

水をかぶる瞬間に、我らは、その水により身体がどういう反応を示すか覚えている。
その覚えたことにより、その瞬間、その人の間気を調整し得るのである。

まぁちゃん: 禊法という霊的なトレーニングの初伝で水を使うよね。

霊魂: 間気とは、中国等でよく「気」と呼ばれるものである。
しかるに、これは間気であって幽気ではない。

間気は肉体と幽体の接着であり、幽気は幽体内の気である。

そのために霊魂は、その両者を見うるため複数でかかっている。

この複数の霊魂が、何かしら現象を起こすと、ようやく水をかぶることが霊現象になる。
それがないと、ただ単に水を入れた器をおのれの身体にかけて、シャワーになっている。

まぁちゃん: 人間が霊的な技法を行うと、たくさんの霊魂が協力してくれるんだ。

でも、霊魂が関与しなければ当然霊的な現象とはならないから、「オレは修行している!」なんて一生懸命になって水をかぶっても意味がないね。

霊魂: つまり水の一杯が実は霊的な進化の根元となる。

その霊魂の間気、もしくは幽気への作用は、確実に幽的な身体を変化させ、オーラを変えている。

これが、我らから見ると、より高貴な気をその人に降ろすための技術になる。

やがて、本人の幽的な質が上がるから、他界後は、いやでも上の世界に行くことになる。

まぁちゃん: 人間にとって霊的に良い影響を起こしうる霊魂の協力を得ることが、とても大切なことなんだ。

霊的修行法には作法があるけど、そのひとつひとつが霊魂との約束ごとになっているんだね。

霊魂: 死後の世界が本当に実在し、霊魂が本当にあるのなら、我らは確実にそれを知り、それを行うのだから、霊的技術があれば、人は誰しも進化できる。
が、知らぬから、人はただの物のみを見て下がっている。

霊的進化3へ続く
講演会は、対話形式ではありません。

まぁちゃん: 人が霊的な進歩をするためには、どうすれば良いでしょうか?

霊魂: その前に知っておかねばならぬ大切なことがある。

霊魂としての人間は、肉の身でありつつも、幽的な霊的身体を内に秘めている。常に人はダブっているがごとし。

そうでないと、今すぐ死んだとすれば、あの世に行く身体がない。

常に生まれてからずっと持ち続けているからこそ、死後すぐに移動できる。
よって幽の体を知ることが大切。

まぁちゃん: まず人間というものは、肉体とダブっている幽体という霊的身体があるということだね。

霊魂: そこで、幽の身を知らねばならない。幽の身は肉体の脳にもダブるはず。
そうでないと死後、肉の脳が消滅した時、記憶がすでにない。
脳の細胞が消去したら、何も意識が残るわけでもなし。

が、仮に他界があり、次の世があるなら、必ず幽の脳が一緒に他界している。

まぁちゃん: 幽体にも肉体の脳のような意識をつかさどるものがあって、肉体と連動しているから意識とか記憶が残るっていうわけか!

霊魂: 霊的な進歩は、人の世ではかなり難しい。

つまり、赤ちゃんが歩いたといって、それは一定の年齢になれば誰でも歩くこと。
それを進化とは言わない。ただの通常の過程である。

同様に、霊魂として人が進化するとは、普通の変化ではない。
確実な変化でないといけない。

つまり、猿が立つがごとしでないと進化と呼べない。
その進化は、実に幽の身を無視しては語れない。
まぁちゃん: 世の中では幽体という霊的な身体について、あまり語られることがないから、 もっとも身近である「心」というものが人間の本質などと考えてしまい、その心の変化や成長ばかりにこだわっていても、 幽体が進歩、成長しなければ霊的な進歩につながらないってことだね。

霊魂: 「私どもの申すことを信頼なさった方は、幸いかな」というのは、所詮人の身は、この世の目、この世の耳しかついていないから、死後の者を見ることがない。

まぁちゃん: つまり物質の肉体というものは、次元の違う幽体という存在を見ることも、その声を聞くということもできないんだね。

霊魂: 見えないで判断出来る範囲は、どこまでも推測にとどまっている。
我ら霊魂が声を大にして主張しても伝わるはずもなく、死の前の者にはなかなか分からぬが必然。

が、仮に死後の世界が無いとしたら、我らは全てまやかしである。
仮に、死後の世界があれば、我らの主張はどうせなら、なるべく沢山の人に伝えたい。

まぁちゃん: 霊魂は肉体がないから、直接人間に何かを伝えるということが難しい。

そこで唯一、人間の側と霊魂双方がトレーニングを積むことにより、霊魂の主張を正確に霊媒を通じて地上に表現できる「霊言」を行うんだね。

霊的進化2へ続く
死んでから生きるための準備1の続き

まぁちゃん: よく「信じるものは救われる」っていうけど、それは単なる気休めみたいなもののような気がする。
神や仏を、ただ信じるだけで何かが変化するとは、思えないけどなー。

霊魂: イワシは実にご神体である。

まぁちゃん: イワシって魚でしょう。

霊魂: なぜなら、仏教がどうとか、キリスト教がどうとか、何もわからなくてもイワシを神、つまり神棚に飾り、「これが私にとって神との交流の唯一の手段」と考える。

そして、日々感情をそれによって動かしていれば、それがアンテナになっている。

まぁちゃん: アンテナということは、それが何かの目印になること?

霊魂: つまり死んだ時、イワシの頭の信仰者は、普段からイワシを目印として流れてきた別の力を得ている。

これが必ず、上の世界へと向かわせる。

まぁちゃん: 幽体という霊的身体の成長、状態によって死後の世界の位置が決まるっていうことだよね。

霊魂: 例えて言えば、人の肉体は良い事をしても、悪いことをしても、善人でも悪人でも、関係ない。

まぁちゃん: 憎まれっ子世にはびこるって言うよ。

霊魂: 善とか悪とか関係がなく、健康に良い食品を食べて、適度に運動すれば体によい。

良い人でも悪い人でもなし。悪い人だけ悪くはならない。

霊的な身体も肉体とダブっているから同じ。
あの世では幽体という霊的身体を使用するから、幽体が良いか悪いかは非常に大きな問題である。

そして、幽とは何か?

肉ではない、物質ではない。
物質ではないということは、物的な次元と違うものに振動している。

つまり、どんな馬鹿でも、アホでも、真剣にイワシを信じていると、イワシを目印として幽体に良い刺激、それが入ってくる。

まぁちゃん: 幽体に良い栄養みたいなものだ。

霊魂: 彼ら彼女らは上に行ける。

ところが、立派な立派な無神論者はイワシを見て笑う。

「こんな原始人が今時いるなんて、馬鹿もいいとこだ」

しかし、その原始人が、全員神を信仰していて、なんらかの幽的なトレーニングができていたことなど、まるで知らない。

まぁちゃん: 信仰というものは押し付けであっては意味がないね。
自らが求めてこそ価値があるんだ。

霊魂: つまり、さなぎが成虫になるように、人の死は肉体の衰えと共にやってくる。
つまり、特殊な事情で、途中で切れる場合はともかくとして、普通は肉が落ちてゆく。

それに伴って肉ではないものが伸びてくる。それが脱皮である。
そして、さなぎから成虫になるのだから、肉の衰えと同時に、幽的成長がなければならない。

それが原始人には皆あった。
どんなに知性がなくても、何が善であるかわからなくても、神を信じ少しずつ幽的になって他界した。
迎えが来たら無論受け入れた。

我々霊魂は、死に際してこう言う。

新しき身体による再生なればそれも良し。
なれど、どうあっても、たとえ何があっても、最後に一言呼んで欲しい。

呼ばれれば必ずそばに行く。

それまでに、その呼びかけが届く自分になって欲しい。
違う世界であれば、普通に会話しても届くわけがない。
霊的な距離がある。

「届かない・・・」

しかし、電話すれば通じる。無線があれば通じる。
死ぬまでに無線をつくって欲しい。
それは、決して超能力や霊能力の開発ではない。

「霊力をつける」そうすれば、必ず恐くなくなる。

人食い人種のいる島に、たった一人で残されたら、みな戸惑うが、そこに別の島へ行く案内人がいたら何も恐くない。
そっちへ行ける。

霊的なものや、宗教的なものは、信じるも信じないも自由。
誰も干渉できない。

が、人が何と言おうと事実はいつも一つしかない。
もしも仮に、ひとつ事実が正しければ、すべての理論はそれで終わってしまう。
あらゆる理論がそれを否定しても、千にひとつ、万にひとつ事実があれば、あらゆるものはある。
それがすべてである。



まぁちゃんの一言

大昔の人は、現代人から見ると意識が低いように思われがちですが、果たしてそうなのでしょうか?

現代は古代の人に比べ知性もあるし、科学や文化が発達しています。

それが決して悪いことではないと思いますが、そういったものが逆に本来の信仰から遠ざけてしまうのではないでしょうか。

大昔の人は、神や仏、霊魂という見えないものへの確信、つまり霊的な感性のようなものが今の人達に比べると発達していて、もっと人間というものを良く知っていたのかも知れません。

人々が神や仏、信仰、宗教について議論している時、大昔の霊魂はため息をついていることでしょう。
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 人は必ず死んでしまいますが、人間の「死」とはどのようなものなのでしょうか?

霊魂: 死を霊的な次元、つまり我々霊魂から見ると、さなぎが成虫になるがごとしである。

人は、次の世に脱皮する。
それは、すべてではないが、大多数の人にとって新たな苦しみといえよう。

まぁちゃん: 苦しみっていうことは、何か原因があるのでしょう?

霊魂: それは、虫がさなぎから成虫になるがごとし。
蚕がマユを破るがごとし。彼らは、準備ができている。

人は一度も準備していない。
一度もそれを語らず、何も考えず脱皮するが、脱皮した次の身体が完成していない。

まぁちゃん: 次の身体とは、幽体という霊的なあの世で使う身体のことだね。

霊魂: まるで、成虫が弱っているがごとしである。

今の人達は立派すぎて、科学なるものを信仰しているので、さなぎの中で成長していない。
未だ成虫になる段階ではない。

幼虫の段階でいきなり、さなぎを飛び出してしまっている。
これでは、次の世界で使う身体は全然成長していない。

まぁちゃん: 幽体も成長が必要ということは、適応力みたいなもの?

霊魂: つまり、耐えられる次元になっていない。

赤ちゃんで言えば、十ヶ月経って生まれれば、まともに育つが、六ヶ月で外に出てしまっては、育たない。
八ヶ月や九ヶ月なら何とかなるかも知れない。

同じことが言える。十ヶ月であの世に行けば良いに違いない。
しかし、九ヶ月や八ヶ月なら、何とか手を添えてやれば何とかなる。

五ヶ月や六ヶ月でいきなり出てしまっても、まだ人間の赤ちゃんとしての機能を備えていない。
彼らは助からない。

まぁちゃん: つまり、肉体を持って地上で生活しているうちから、幽体のトレーニングみたいなことをしなければならないということだ。

霊魂: 今の人は、大多数の人が五ヶ月で出てしまう。

誰ひとり、医者の言うことを聞かない。保健所の言うことも聞かない。
助産婦の言うことも聞かない。五ヶ月みんな出てしまう。

助けられるわけがない。

しかし、みな言う。「五ヶ月で十分!」だと・・・

それは、確かに自由である。
信仰するのも自由。信じなのも自由。
しかし、死はやはり、あらたなる苦である。

死んでから生きるための準備2へ続く
死後の世界1の続き
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 死後の世界に行っても記憶が残るのなら、肉体の脳と同じ霊的な脳が必要ってわけか!

霊魂: もしそれがあれば、人は記憶をそのまま持ってあの世に行ける。

ということは、腕を振るひとつの動作。ペンを持つ。
これも全て脳なしには語れないのだから、その脳とすべて同様の機能を霊的な別の次元の脳が持つということは、同時に同じ霊的な身体を持っていなければならない。

まぁちゃん: ちょっと難しいぞー!!
霊的な脳が記憶しているということは、肉体と同様の機能を持った身体ではなければならないってことか。

霊魂: つまり、手や足にあたる幽的な部分もなければ意味がない。
なければ同じ脳ができるわけがない。

とすれば、人はこのまま死後の世界へ行くことになる。

このまま他界したらどうなるか?

肉は物質で生きよい。霊的身体は霊的な環境で生きよい。
ところが肉の感覚がある。さて戸惑う。

ところが、その戸惑いは人の心には、ノイローゼをもたらすくらい大きいはず。
しかるに、道案内は誰がする?

まぁちゃん: お迎えが来てくれるって言うよ。

霊魂: 一度でも道案内を頼んだ者がいたか?
誰もいない。勝手に来てくれると信じているだけではないか!
ましてや、本当に道案内をしてくれるべきの天使だの、仏だの神だの、お遣い等が仮に来たとする。

それを初めて見たとき、従うであろうか?

一人も従わない。

つまり、あの世にすら認めていなかった者が、突然目の前に天使なる者が来ても、素直に受け入れられるものは誰もいない。

皆、夢かどうかと疑うが、夢ではないことにすぐ気がつく。
いずれ気が狂っていく。
死後の世界はそんなに甘くない。

まぁちゃん: 地上に生きている間に、霊的なことを学んでいくことも大切なんだね。

霊魂: 西洋で夢なるもので、いろいろあの世を語ったスウェーデンボルグなる者がいる。

これを日本では、教科書のごとしに本を書いている。
無論、何の根拠もない。
例えば、人が死ぬと、いかなる年寄りでも突如として、若い身体を持つ等という。

だが、考えてもわかる通り、この肉と同じ幽体を持ってあの世へ行った時、しわはそのままだし、肉の衰えもそのままである。

そうしなければ、幽的脳が機能しない。
そんなことは絶対ない!

まぁちゃん: 全部うそっぱち?

霊魂: と思うとそうでもない。

つまり、未熟なうちはそうなのである。もし仮に、徐々に霊的な世界にもし慣れたら、物質がなければ物質を食べない。

となればどうなる?

まぁちゃん: 食中毒にならない。

霊魂: そんなことを言っているのでない!!

地上のように引力がなければ手も足も同じようには使わないだろう。
とすれば、そうした機能はいらなくなる。

つまり、霊は変化するに従って若くなることあり得るのである。
彼らは一部真実を持っている。

が、大部分の虚構にまみれている。そろそろ真実を世に出すべし。



まぁちゃんの一言

多くの場合、「死」というものは孤独なものです。
突然知らない環境に放り出されたらどうなってしまうのでしょう?

死後の世界は、地上の感覚では想像もつかない所のようです。

違う環境に適応するためにも、良き先輩である霊魂に手を引いてもうらうことが必要といえます。

そのためには、先輩の霊魂の目に止まっていなければならないし、呼びかけが届く自分にならないとダメみたいです。
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 死後の世界についていろいろ語られていますが、本当に正しくとらえているのでしょうか?

霊魂: 最近では、科学なるもが幅をきかせ真実を探ろうとしない。

例えて言えば、「死後の世界があるのか、無いのか?」と語るとき科学なるものを出してくる。

考えてみればわかる通り、科学なるは物質の動きを連鎖し、どのように変化するかを分析したる図でしかない。

所詮、物質の動きから一歩も出られない。

しかるに、人の死はその物質以外があるのか、無いのかと問うている。

「あるのか、無いのか?」を問い始めていながら、物質の学のみで語ろうとしている。

まぁちゃん: 「物質以外のものが存在するのか?」と悩んでいるのに、いろんな測定器で調べたってわかるわけないよねー。

霊魂: 人々はまるで海を渡ることのできない時代に、アメリカ大陸が絶対ないと主張しているがごとし。

事実あるのに、おのれが見えないからと言ってすべて退ける。

が、まれにそのアメリカなる大陸を見て漂流したなどという者あり。
それを皆、信じないが、その主張に一部裏づけがある。

まぁちゃん: 精神世界のというような分野で語られているものの中に、アメリカ大陸、つまりあの世までは行っていないけれども、それに近いものを語ったものがあるということだね。

霊魂: それがまさに死の意味である。

世にインチキ霊能者や錯覚の類は多い。
されど、万にひとつ、憶にひとつ事実があればあらゆる哲学も思想も科学もすべて消える。

なぜなら、ひとつ事実があれば、確実に死の次があることになり、いわゆる理論は全部吹き飛んでしまう。

まぁちゃん: 人は必ず死ぬのだから、もうちょっと真面目に考えても良いと思うよ。
それがわかれば、人の生きる目的や、なぜ生まれてくるのか?といったことが少しずつ見えてくるはずじゃないかな?

霊魂: ゆえにひとつの事実を探りたい。

人が生まれること、死ぬことは、別の世より観察しないと見えてこない。
世に臨死なる体験を言う者多し。
なれど、何の参考にもならない。


つまり、「また生きかえった」、「あるいは死の直前で戻った」ということは、完全に次の世に移行していないのである。

まぁちゃん: そうか!仮に医学的に死んだとしても、肉体と霊的な身体の接点が完全に切れていないから、肉体に戻って来ることができるんだね。

霊魂: それらの体験に共通項があろうと、なかろうと真の意味で、次の世を意味しているのか、限りなく疑問である。

意識の中でそうした現象が出たからといって、それがあの世の本質を語るはずがない。

科学というものは、それを何とか脳の機能で説明しようとする。

が、考えてみればわかる通り、物質の脳に血液が流れなくなれば、脳の機能は停止し、意識は完全になくなる。

そこにもし、何らかの意識状態があるとすれば、すでに脳を離れた心の発見になる。

彼らは、臨死なるものを何も知らず、肯定する側も、否定する者もかなり低い。

つまり、自分で体験せずに語っているからである。

まぁちゃん: まず大事なことは、肉体の活動が停止しているということは、意識活動しているはずの脳が機能しなくなっている状態でしょう。

それなのに生き返った人の体験は、その間意識が遮断されていなかったし、肉体が再び活動し始めてもその記憶が残るということは、人間の意識の中には、肉体の脳とは別の意識があるということだよね。

それなのに、一生懸命に肉体の脳を調べても結論が出てくるわけがないよ。

霊魂: よく霊魂を語る者は、死が新しい誕生であり、あたかも夢のごとしと教える。
が、誰も見ていなのにそう語っている。

なぜそんなことが言える!!

その理由は、「何らかの霊魂との交信をした」という者の主張を鵜呑みにしているためである。

また、いくつかある霊魂からの交信なるものを、仮に共通項が限りなく多いと称し、それらを集めても、臨死同様、それらが共通に同じミスをしやすい状況なら、みな同じに間違える。

例えば、インドに行き、ここはアメリカ大陸だと主張する。

それをアメリカだと最初の一人が思い込むと、その人と同じ航路をたどって海に船を出した人は、全員そこがアメリカだという報告を持って帰る。

少し場所がずれても共通点が多い。
しかし、そこは断じてアメリカ大陸ではない。

まぁちゃん: 残念なことに霊魂からの通信というものが非常に少ないのが現実だよ。

そういったことを研究している人も自分で調べようがないから、文献をいじくりまわしているだけでしょう。

霊魂: つまり、皆何も知らずに語っている。それらは事実がほとんどない。
ただし一部ある。

一部ある事実と大部分の間違えである。
それは、霊魂や死後の世界を語る時、地上の目で観察するからである。

アリが人間を観察するがごとし。アリに人間の脳はわからない。
人間はアリの生態が読める。

それは、上から下を見ているからであって、下では上を見ることができない。

まぁちゃん: 霊魂は地上で生活したことがあるから、その様子もわかるし、死後の世界のことも両方知っている。
でも、人間は霊的世界のことは無知に等しいから、広い視野では見ることはできないね。

霊魂: つまり、人は、脳によって意識活動なるものをしている。
熱いとか、冷たいとか、手を動かすとなど、全て脳が知覚している。
その脳によって行為する。

言葉を出す、思いを発する。
つまり、肉体の脳によって仕切られている以上、仮に人の脳が機能を停止したらどうなる?

記憶もすべて脳に入っていたらどうなるか?

まぁちゃん: なくなる。

霊魂: その脳を失った時、仮にあの世があって、霊魂なるものがあの世に行きえたとして、これまでの記憶はどこにある?

まぁちゃん: ない。

霊魂:つまり、霊魂を語る者達がいつも言うのは、死後の世界には、同じ身体で行く、同じ感覚で行く、これらをもし事実とするなら、肉の脳と全くダブった同じ別のものを持って、それがそのままあの世に行くしかない。

死後の世界2へ続く
ハイレベルな霊媒である水波一郎師の霊言講演の内容がHP「まぁちゃんのれいこんに聞いてみよう!」に掲載されています。

このHPは10年以上前に作られたもので、パソコンで見ることを前提としております。
最近では、携帯やスマホといった情報端末を使いWebをご覧になる方が増えていますので、このブログでもご紹介することにしました。

霊言とは、霊魂が人を使って意念を伝えます。

一般的に言うと、霊魂が人に入って言葉を話すことですが、実際にはそんなに単純ではありません。

霊魂が講演者に思想を発して、それを感知した講演者がそのまま伝えるといった霊感講話といえるものから、霊魂が講演者の脳の一部を支配して講演するといったもの、または、霊魂が人間の身体を自由に使用して行うものまであります。

水波一郎師の場合は、主に、霊魂が全面的に身体を支配することなく、身体の一部を使用する形態をとっています。

この霊媒現象というのは、非常に複雑でデリケートなものといえます。

詳しくは、霊的情報館 霊をさぐる「霊媒」のコーナーをご覧下さい。

霊言講演の内容は、霊魂の個性や思考をなるべく損なわず表現しております。
そのため刺激的な箇所もありますのでご了承下さい。

高級霊魂は人々に真実を知って欲しい、そして多くの人が霊魂としての幸福を得られることを願っています。

また、実際の霊言講演は対話形式で行っておりません。
霊言講演は高度な内容となりますので、なるべく理解しやすいように、まぁちゃんと霊魂の対話という形になっております。

霊魂が何を思っているのか、人間に何を伝えたいのか、どんなことをしゃべるのか、みなさんもご興味ある内容だと思います。

霊言はとても深い内容ですので、じっくり読んで頂くことをお勧めします。
人間は死というものを避けて通ることは出来ません。好きだった人との別れは大変辛いものです。

亡くなられた方に逢いたいと思うのが人情でしょう。

亡くなった方を呼び出し、霊媒を通じて話しが出来るという人もいます。
しかし、他界した特定の人を呼び寄せることはできないようです。

薄情なことを言うようですが、出来ないものは出来ないと言うべきに違いありません。
出来ないことを、あたかも出来るというのであれば、ある意味、真面目な依頼者をバカにしているとしか思えません。

説明すると長くなりますので、霊的情報館 霊をさぐる「亡くなった家族を呼び出す霊媒」をご覧ください。

それでは死後の世界から、特定の霊魂を地上に呼び出すことはできないのなら、「自分が死んでから好きだった人に逢えるのか」というわずかな希望が残ります。

これは、微妙です。
なぜなら、霊的な法則というものが存在します。

タイトル「霊魂に教えてもらった この世の常識がくつがえる あの世とは」でお話したように、我々が死後行くべき世界は、上下というか高低に分かれてしまうのです。
同じ幽界ではあるのですが、離れているだけでなく、行き交うことすら難しい世界なのです。

好きだった人が上に行き、自分が下に入る、またはその逆の場合でも、巡り会うことは無理です。

しかし両者とも、上の世界に入れば、その可能性が残されます。
霊的な成長度合いが近いのであれば、先輩の霊魂に探してもらえる場合もあるようです。

また、霊的な成長に違いはあっても、とりあえず上の世界に入ったならば、相手に成長度合いを近づけることで逢えることが出来そうです。

本来、皆が上の世界に入れれば良いのですが、現実は甘くないようです。

とりあえず、好きな人だけとでも、あの世の上の世界に入れる準備をしておくことが必要でしょう。
そうすれば幽体という霊的身体は、肉体のように死にませんので、ずっと一緒にいることも出来ます。

本当は、辛い思いばかりするような物質の世界など生まれて来なければ良かったのですが、生まれてしまった以上、仕方がないので、霊的に成長することにより霊魂としての自分自身に喜びや満足を与えてくれるのではないかと思います。
プロフィール

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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