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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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動物と人間では、魂の仕組みが違うと「人間から動物への生まれ変わり」でお話しましたが、人が物質の世界に生まれたことにより、肉体を保持して行くために、霊魂としての質を下げてしまうことにつながったようです。

本来、幽界という霊的世界は物質の世界と異なり、食べたり寝る必要もない身体で、とても自由な世界です。

ところが、肉体を持つことにより霊的に盲目となり、動物や植物を食べることが必然とされ、様々な欲望が人間同士の争いや対立を生み、死という霊的世界ではない現象を経験し、それに伴う痛みや苦しみを味わう破目になってしまいました。

人間は本来霊魂であるため、こうした影響が霊的身体や心理まで歪めてしまったといえます。

肉体を持つ以上、物質的な生き方は仕方がないのだけれども、霊的存在でもあることを見失ってしまうと霊魂となった時、思わぬ事態に気が付きます。

地上で生きていた頃の対立や争いを、そのまま霊的世界に持ち込んでしまうのです。

肉体を持つ人間であれば、身体を保持するために食べることや寝ることも必要なので、四六時中争っているわけにも行かず、疲れたり、いつか終えんを迎えます。

ところが幽界という世界、幽体という身体は肉体と異なりますので、際限なく争いが続くような、恐ろしい世界だそうです。

自由な世界であるがゆえ、物質の世界以上に残酷さを増してしまうのでしょう。

そうした世界に入らないように、死ぬまでに準備しておく必要が人間にはあったのです。

そうしたものを怠ってしまった結果が、そうした世界を作ってしまったようです。

いつの時代も誰かが死後について語っていたし、人は必ず死を迎えるのだから、真面目に捉えていれば不幸は避けられたようにも思えます。

ご参考になるページをリンクしました。
霊的情報館 霊をさぐる 「幽界での喧嘩」
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生まれ変わりについて様々な思想がありますが、霊魂学では再生と呼んでいるような人間が動物に生まれ変わったり、動物が人に生まれ変わることはないようです。

これは人類の誕生という難解な内容につながりますので、ご興味のある方は霊魂通信「ムーの大神人」を読まれることをお勧めします。(販売中止 2014年3月現在)

動物にとっては地上に誕生し生きることは自然なことなのですが、本来人間は幽界というあの世で生活していた霊魂だったのです。

人間は動物と異質な存在なのです。

僕も反省しなければなりませんが、人とは地球上において実に身勝手な生き物です。

動物たちは、ただ自然に生きているだけなのに、人間にとって都合が悪ければ害虫や害獣にされ、数が少なくなれば保護したり、反対に増えてしまえば、どんどん殺してしまうのです。

動物も環境も人が生まれたことにより、自然の営みを大きく崩してしまいました。

近年、科学技術が発達したことにより、大きく加速度を増したように思えます。

かといって、人間の生活も一度便利になってしまうと、昔のような生活に戻ることも出来ません。

これからも人間の欲望はさらに膨らんで行くことでしょう。

また、同時に霊的環境も悪化して、人類は大きな転換期に差しかかっているようにも思えます。

こうした時代に生まれた我々は、ただ成り行きに任せるだけしかないのでしょうか。

今、自分が何をすれば良いのか、どう生きれば良いのか。
こうしたことを深く考える時期でもあると感じます。
僕もずっと犬を飼い続けていますが、可愛がっていたペットとの別れは辛いものがあります。

人間と同じく動物にも幽体という霊的身体があります。
死後は霊魂の世界に入ります。

うちでオールドイングリッシュという犬を飼っていましたが、不思議なことがありました。

オーラと呼んで良いのかわかりませんが、僕はそういったものを感じやすかったこともあると思います。

霊的に変化があったようなので、興味があればHP「犬も霊的に向上する!?」で紹介していますので読んでみて下さい。

人間と動物では、霊的メカニズムの違いから人から動物へ、または動物から人間に生まれ変わることはありませんが、動物も霊的生命体である以上、霊的影響を受けるようです。

ご自身が霊的成長を遂げることで、家族やペットにも良い影響につながることもあります。

人間とペットの絆が出来ているので、さらに霊的向上が得られれば、他界後、桃太郎の家来の動物のように、眷属と呼ばれ、霊的な仕事を任せられるようなこともあるようです。

参考になるページをリンクしておきます。
霊的情報館 霊をさぐる 「ペットは霊的に進化することができるのか」、
霊魂学というものは、宗教的な教えのようなものではありません。

人間の本質である霊魂というものを分析したり、霊的世界の法則や実態を解明するものです。

一般的な宗教教義とは異なっています。

例えば、善いことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に行くといった抽象的なものではなく、まず霊的世界はどうなっているか。
そこに上下があるのなら、どういった法則で成り立っているのか。

人間はどう対処すれば良いのかを追及するのです。

善いことを行うとか、自分を律するといった行為により、心を変えることが霊的成長であると考える人もいますが、霊魂学では心の成長がイコール霊的成長につながるものではないと主張しています。

まず、霊的成長がどういったものであるかを考える必要があると思います。

ところが霊的なことなので、人間には見えないし頭で考えてわからないのです。

しかし、霊的世界には霊的に成長した霊魂と未熟な霊魂がいるのです。

その違いを探ることで、霊的成長やその必要性も明確になります。

気象学において、昔の天気予報は外れることが多く占いのようなものでしたが、統計学に加えコンピューターによる解析、雨雲レーダーや気象衛星という技術革新により、詳細なデータが得られることで飛躍的に進歩したように感じます。

地上から空の様子を判断していたものが、視点を変え上空から眺めることが可能になったことが大きいと思います。

霊的、宗教的分野においても、こうした技術革新があって良いのではないでしょうか。

人間目線ではなく霊魂目線で視る。

それが霊的なトレーニングから生まれた霊魂学のように思えます。
このブログで紹介している霊魂学は、水波一郎師が直接霊魂に聞くという手法により成り立っています。

人間の頭で考えても決して分かることのない霊的事柄を探求します。

世の中には、霊魂と交流できるという人は確かにいますが、霊魂も様々です。
人間でも、子供から大人までいますし、さらには専門的知識を持つ人もいます。

そこで、どんな霊魂に聞くかがポイントとなります。

タイトル「真実を解明するための霊的なトレーニング」でお話したように、霊的に成長している霊魂と直接交流するためには、霊的なトレーニングが欠かせません。

こうして高度な霊的トレーニングを行い、霊魂から直接聞くことが出来るようになると、今までわからなかったことまで解明されてきます。

例えば、世の中には霊魂を語る人はたくさんいますが、肉体とダブっている幽体の状態など、ほとんど触れられないのが現状です。

霊的身体や気の種類などは、心霊研究において発表されておりますので、参考にする人は多いと思います。

ところが、そうした研究もまだまだ漠然としたもので「こうしたものが存在しているようだ」という段階だったのです。

水波霊魂学ではさらに踏み込み、気というものには種類があり、こうしたものが霊的身体にとってどのような役割りを果たし、どのような影響があるのか。

また、人や霊魂の発する念という霊的エネルギーには、どのような力があり、どういった作用や関わりを持つのか。
こうした点にもメスが入っています。

一般的な学者さんなどは、様々な過去の文献や既存情報を調べて検証するのでしょうが、どうしても肉体の頭で考え判断してしまいます。

すると物質的な発想による妥当性という偏った結果につながることも考えられます。

水波霊魂学の場合は、直接霊魂に聞くことが出来るので「とにかく霊魂に聞いてみる!」それを検証することが可能なのです。

臨死体験、幽体離脱の証言を集め、死後の世界を解明するより、他界した霊魂に聞くことが出来れば、信憑性は明らかです。

世の中「霊魂などと交流できるわけがない」と考えてしまうから、いつまで経っても堂々巡りになってしまうのです。

霊魂同士が想念、インスピレーションで会話しているのだから、人間にも霊魂と同じ霊的な身体が備わっています。

これを使わない手はないでしょう。

あとは、肉体にどう伝わるか、伝えるかです。
これが整い可能となった時、高貴な霊魂の思想をも表現できるようになるのです。

困難であるけれども、決して不可能というものではないことを多くの方に知って頂きたいと思います。
タイトル「死後の世界について霊魂から証言を得るには」でお話したように、日本は大昔から霊的なトレーニングの国だったのです。

いつの時代でも、この国にはどこかに達人がいたようです。

もちろん、求める強い気持ちがあれば力を得られる、そういった霊的環境にあったと思います。

最近スピリチュアリズムという言葉をよく聞くと思いますが、今から100年以上前に西洋で心霊研究というものが盛んに行われていました。

霊魂の思想を表現する霊媒現象や霊的な物理現象を学者なども加わり検証していました。
その頃の思想が現代にも引き継がれています。

同時期、日本においても幕末から昭和にかけて、既存の伝統的宗教というものから逸脱し、独自の観点、新しい宗教思想を持つ、いわゆる新興宗教がたくさん登場しました。

西洋のように、霊媒現象を研究する試みもあったようです。

人間の神秘や霊魂の実在、死後の世界の探求に拍車がかかったことは、大きな価値があったと思います。

それでも、西洋や日本においての研究に一貫性があり、霊的世界について皆同じ意見や見解を持つというのであれば良かったのですが、比較してしまうと相違点が生じ、結局は集約されずに分散して、それぞれ一思想ということになってしまい、客観的な説得力につながらなくなってしまっているように感じます。

皆真面目に取り組んだと思いますが、欠けていたものがあったのです。

それが霊的なトレーニングです。

高級な霊魂の思想のみを表現するような、霊的な身体の強化発達という基礎がなかったために、様々な見識や見解が生まれてしまったのでしょう。

霊媒現象も一度でも低い霊魂を憑依させてしまえば、もう二度と高級霊はかかって来ません。

低い霊魂の幽気にどっぶりつかってしまうのです。
基礎を怠り技ばかりに走ってしまうと、こうしたことが起ります。

霊媒現象はとても危険な行為なのです。

この時期に唯一、日本において霊的なトレーニングを行い、独自の霊魂学や修行体系をつくられた、川面凡児先生がおりました。

あまり一般的に有名ではありませんが、川面先生が作成した水の禊というトレーニングは神社神道で採用され広まったようです。

古事記に記されている禊法といういにしえのトレーニングを復活させた立役者といえます。

こうした霊的なトレーニングの勃興が、太古に輝いた日本の霊的文明を蘇らせることが可能となるのです。
タイトル「死後の世界のことは霊魂に聞くしかない!」にありますように、人の身では、死後の世界のことは良くわかりません。

そうなると霊魂から聞くしかないのですが、それには様々な問題があるのです。

皆さんご存知ですが、人と霊魂では人間同士のようなコミュニケーションはとれません。

では、どうすれば交流が持てるのか?

こうしたことは、太古より大きなテーマであったし、試みられてきました。

人間の神秘、霊的真実を知りたいとう思いは、人間として自然な発想だったのでしょう。

現代においては、こうしたことを否定する傾向にありますが、人が肉体のみ生きているというのは思い違いでしかなく、人間が霊魂でもあることは、人類誕生以来なにも変わっていないのです。

多くの方に霊的な探求心を持って頂きたたいと思います。

霊魂にも霊的に低い霊魂と高い霊魂がいます。

地上をさまよっているような低い霊魂であれば、やれ先祖霊がどうしたとか、昔の宗教格言でも引っ張り出し、もっともらしいことを言うのが関の山です。

それは、低級霊は物質界に執着し、全く修行もしていないので、難しいことは良くわからないからです。

高級霊とされる守護霊ですら、幽体の存在なので難解なことは知りません。

そこで、もっと高級というか高貴な霊魂に聞くことが、より真実といえます。

こうした霊魂は、霊体という高級な霊的身体で活動しています。

霊魂との交流は物質的な肉体を使うのではなく、肉体と共存している霊的な身体を使うのです。

人間にも霊体という霊的身体もありますが、あってないようなものです。

そのまま交流することなど不可能です。

我々人間の霊的身体は未熟です。
そのままでは低い霊魂としか交流し得ません。

お釈迦様やイエスキリストといった特別な魂でも、人間として地上に生まれてしまうと、霊的身体は未発達となってしまいます。

こうした達人も実は、霊的なトレーニングを行ったのです。

そこで高貴な存在と交流が持てるように、人間の側が意図的に霊的身体を強化発達させることが、まず基本です。

それが出来てから初めて古神道にある「帰神法」というような、高度な技を行うのです。

日本という国は、大昔からこうした高度な霊的なトレーニングが存在していたのです。

歴史に残っているところでは、「魏志倭人伝」の記述にある邪馬台国の卑弥呼という神がかりの達人がいたようです。

何でもかんでも霊魂からの通信が正しいとは限りませんし、霊魂の思想を表現する人間の側も特別な訓練をしないと、本当のことはわからないのです。
霊魂の存在を信じる方であれば、死後の世界はどんな所なのか気になるでしょう。我々もいずれ他界することになりますので、出来ることなら知りたいものです。
世の中には、「死後の世界を見た」という証言もあります。臨死体験や体外離脱、夢の中で見たとかいろいろあるでしょう。

しかし、こうしたものは人間の証言です。
肉体と幽体はダブっています。幽体が完全に分離してしまうのが霊的な意味での死というものです。

生き返ったということは、完全に分離したとはいえません。仮死状態、間気というものでつながっているからこそ、蘇生が起ります。
あくまで“死後”というのであるからには、生き返ったのなら霊的な意味で死んでいないということになってしまいます。

人間は霊的存在である以上、多少不思議なことがあってもおかしくありませんが、死後の世界を見たとか行って来たとか、ほとんどそんな気持ちになっているだけです。

どんなに科学や技術が発達した現代においても、ちっとも前進しないのが霊的分野です。むしろ、無神論や唯物論が増え、霊的世界も商業主義に走り後退しているかのように思えます。

死後の世界があるのか無いのか、議論しているのは肉体を持つ人間だけです。
それは、肉体を持ち生きていることにより、霊的なことが良くわからないようになっています。

こうしたことを前提とせず、頭で考えてしまうからこそ、あの世に対する見方が物質的であったり、都合よく解釈されてしてしまうのです。
このような考えが蔓延してしまっているのが現実です。

やはり、死後の世界の住人である霊魂に聞くのが、何より信用できる証言ではないでしょうか。
もう、これしかありません。
人間は肉体を持っているので、霊的なことがわかりづらく霊魂の姿も見えません。
低級霊は、困ったことに人間の争いや犯罪といったものにも加担しているのです。

もちろん、霊魂ですから直接行うことはできません。人間に想念を飛ばし「もっとやれ! もっとやれ! 」とけしかけたり、思いを助長させたりしているのです。

確かに、我々人間も反省しなければなりません。
悪いことは全て低級霊の仕業と考えるのは間違いです。

やはり、きっかけは我々人間の持つ未熟な部分があるからです。

人が思い通りになったり、慌てふためく姿がおもしろくてたまらないようです。
こんなことを生きがい(霊魂だから死んでいますが)にしているのは、人間にとって非常に迷惑な話です。

それでも、哀れな霊魂であるようにも感じます。
物質界に未練や郷愁があるのかも知れません。

地上で生きていた時は決して極悪人ではなく、ごく普通の人もいるのです。

もっと、上の世界に入れたなら、霊魂本来の自由で楽しい生活となっていたのでしょう。
死後の世界が幸福に満ちていれば、わざわざ地上に降りてくる理由などないからです。

低い霊魂を高級霊は諭したいと思っているようですが、霊的な法則がネックとなっていたり、人間の自由意思を尊重すれば、そうした霊魂と仲の良い人間を無理やり離すわけにもいかないのが実状のようです。

人類の歴史において、こうしたことが繰り返され、さらに不幸な霊魂が生まれてしまうのです。

今生きている人間の想いや意志、これが重要のように思えます。
低い霊魂の対処について、悲しいお知らせばかりで大変恐縮でございますが、こんなもので終わらないのが霊魂学です。

低級霊にビクビクしているようでは、何も始まりません。
こうした存在は「恐れず、あなどらず」が肝心です。

そのような低級霊が傍若無人に振る舞うのなら、さらなる一手を打つのです。

盛り塩やお守りもあてにならない、お経も呪文もあまり効果がない。
心の変革も期待できない。

物質的な作用は望みが薄く相手は見えない存在です。

しかし、我々にも霊魂と同じ幽体があります。
もうお分かりと思いますが、霊的な力、霊力で対抗するのです。

人間には肉体を持っているというハンデがあります。

それでも、霊的な進歩向上という正しい道を歩む者には、高級霊が手を差し延べてくれます。正しい道を阻む者は、邪な道です。

低い霊魂は、人間を間違った方向に進ませようとしています。

何も知らない、気が付けないことを幸いに、やりたい放題です。
人間は、もっといきどおりを感じても良いと思うのです。

もちろん、高級霊も人間の自由意思を尊重しているので、黙っていても力になれません。

まずはオーラを強く発し高級霊と交流することが大切です。

そうすれば、高級霊も力になってくれることでしょう。強いオーラを発していれは、低級霊からは見えにくくなってしまいます。

霊的世界は、霊力が物をいいます。たとえ肉体を持っているというハンデがあったとしても、霊力次第で対抗できるのです。

上級の霊的なトレーニングをこなした人になると、霊縛(れいばく)といって、一時的に霊魂の自由を奪ってしまう霊術さえ行使できるのです。

求めるべきものは、霊能力ではなく霊力です。霊力があれば低級霊になど負けないのです。

参考リンク 霊をさぐる 霊縛
タイトル「心の成長」でお話したように、心を変えることにより霊的な面が変化したり、霊的な成長につながるものではありません。

もちろん、心の成長は大切なことでもありますが、低い霊魂が寄りにくくなる要素がありません。

心の強さや清らかさなど基準があいまいで、見方によっても大きく変わります。

低い霊魂が人間に寄ってくる目的は、人間の心構えや状態とは関係なく、いたずらや思い通りに操りたいなどの影響力を持ちたいのです。

心の基準で判断するのではなく、取り込みやすいか、楽しめるかです。

高級霊は人間の自由意思を尊重しますが、低級霊はおかまいないしです。

こうしたことを考えると、どんな方でも寄られてしまう可能性はありますし、世の中に影響力を持つ人ほど、やり甲斐が出てくることでしょう。

低い霊魂の執念は、人間など比べ物にならないほどです。

この世で肉体を持ち生活する中で、低い霊魂からの干渉を避けることは、人間には難しいことのように思えます。

その実態すら良くわからない状況です。

霊的な存在には霊的な対応策が必要になります。
人間と霊魂の違いは、肉体があるかないかです。

低い霊魂は霊的なものや人間の幽体がわかりますが、肉体がないので、物質は見えないのです。
当然ながら、物質に対する影響力は、ほとんどありません。

こうしたことを考えると、盛り塩やお守りなどはあくまで物質です。

霊魂が嫌がるとか、逃げるとは到底思えません。

物品に霊的な力を持たせない限り難しいのです。

霊は水場を好むともいわれていますが、幽体の霊魂が水を欲するはずもなく、あくまで水は物質なのだからわかりません。

例えば、その場が霊的に特殊な状態であれば、近寄ってくることは考えられます。

また、お経や呪文も同様なことが言えます。

人間の言葉は霊魂には聞こえません。
心を入れ替えるとか、成仏するとかさせるなど、あり得ないことです。

同じ人間でさえ他人を説得するのは大変なことです。

そうしたことを考えれば、次元の違う霊魂を諭したり、霊的に向上させるなど人間にできるわけがないのです。

低級霊が興味を持つ人間とは、超能力や霊能力を求めている人です。

少しでも好奇心をくすぐってしまえば、取り込むことが容易だからです。また、タイトル「幽霊はいない!?」でお話したように、間気が漏れてしまっている人は、低い霊魂がいたずらしやすい状況です。

霊的状態を健全にさせることも、霊から身を守る方法といえます。
どなたでも、低い霊魂には寄って欲しくないと思っていることでしょう。

「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」ということわざにあるように、そうした霊魂がどういった存在なのかを知る必要があります。

人間というものは、霊魂という存在を甘く見てしまうように感じます。

人間に助けてもらいたいとか、頼るとか、すがろうとなど思っていません。

考えてみれば分かると思いますが、人間は肉体に制約されて生きています。

霊魂から見れば、なんて不自由で可哀そうなんだろうと思っていることでしょう。
もちろん、低い霊魂は哀れむどころか、人間をもてあそぶことに喜びを感じています。

幽霊現象などは、まだ駆け出しの低い霊魂の仕業のように思います。

人間が怖がるのを楽しんでいるだけなのでしょう。

確かに、人間にとっては迷惑な話ですが、自分の存在を気づかせてしまっています。
霊能者に除霊されてしまう危険を伴っていることに気づいてないのかも知れません。

さらに悪い霊魂になれば、一時的な遊びなどでなく、とことん追い詰めて人生をメチャクチャしてしまいます。

困ったことに、人間の弱さや心に潜む様々な性質を知っています。

甘い言葉で近づき、食らいついたら絶対離しません。

人間には霊魂は見えませんので、どなたでも接触している可能性は十分あるのです。

地上をうろつく低い霊魂の数も半端ではなく、霊的環境が悪化すればするほど力を増します。

こうした状況の中「国家という規模で霊的環境の改善を期待します」こんなことを言うと、笑い飛ばされてしまうあたりが心配なのです。

「霊魂の存在なんて認めない」といった人が増えれば、何をしても自分の存在など気づくこともないから、低い霊魂にとって好都合になってしまいます。

それでも、いかに環境が悪くとも強いオーラを発していれば、低い霊魂の目に止まりづらくなります。

これが霊魂学の見解です。
肉体と同時に存在している霊的な身体である幽体には、過去何度も地上に生まれ、様々な経験や記憶が、今の人生に影響を与えているのですが、タイトル「これで納得!?生まれ変わりと過去の記憶」で申し上げたように、その記憶は自分を思い出すことはできません。

「何の手立てもないのか、無責任すぎるぞー!」と思われるでしょうが、守護霊はすでに調査済みなのです。

守護霊の仕事は、担当する人の霊的進歩向上にあります。

となれば、過去世においてどのような人生を送り、どういった心情が潜んでいるのかを知る必要があります。

霊魂によれば、過去世を調査すると将来が見えてくるようです。

ただ、時期を明確にすることは難しいようですが、ほとんど当たるそうです。

今回の人生に過去世の記憶が影響しているわけですから、それを知ることで対応策も考えられるし、自分を変えることにもつながります。

本物の過去世調査は大きな価値があります。

なぜ“本物”という言葉を付け加えたかというと、世の中には過去世、前世鑑定を行う人はたくさんいるようです。

ところが高級霊である守護霊に直接聞くことになるので、それほどの高級霊媒がそんなにいるわけがないと思えるからです。

真面目に、過去の自分を知りたいという方は下記のリンクへどうぞ。僕の師が直接行いますので、大変信頼のおけるものです。

過去世というものは膨大ですが、今あなたが知るべきと判断される過去を調べてくれます。
また、守護霊や指導霊の調査なども行っています。

霊をさぐる 霊査(霊的調査)
生まれ変わりがあるのかないのか、様々な見解があって良くわからないと思います。

生まれる以前の記憶をしっかり持っていれば納得できると思うのですが、誰でも思い起こすことができません。
こうしたことにより、霊的なことに否定的な方は、生まれ変わりなどないと考えしまうのでしょう。

それでも、人間には持って生まれた個性があるのでないかとか、霊的な感性から自分が肉体のみの存在ではないと感じている人もいると思います。

それでも、確信にたどり着くことはできません。

人間は肉体を有していることにより、霊的なことが解りづらいようになっています。

肉体というものを考えてみますと、親の遺伝を受け継ぎ子供が生まれて来ます。
記憶は脳に残されています。

その脳は今回生まれたものです。
そこには、生まれて来てから現在の記憶しかありません。

親からの肉体的な遺伝的による影響はあったとしても、見ず知らずの過去の人生の記憶が入るわけがないのです。

肉体にとらわれてしまうと、こうした結論になってしまうのでしょう。

人が誕生する時、霊的な面においては特殊なことが起っていたのです。

母親のお腹の中で、小さな生命が生まれると同時に、あの世の霊魂の幽体の一部が入って来るのです。

あの世の霊魂はあの世にいますから、霊魂学においては生まれ変わりではなく、再生という呼び方をしています。

肉体が親の遺伝を引き継ぐように、幽体のほんの一部なのですが、あの世の霊魂の遺伝子情報が詰まっているのです。

あの世の霊魂も同じく地上に誕生した時、こうした現象を伴い生まれて来ています。
このようなことが何度も繰り返されているのです。

過去の記憶というものは、一回でなく複数回あるので、霊魂学では過去世(かこせ)といっています。

あの世の霊魂もそれ以前の霊魂の記憶に影響され人生を送り、それ以前の霊魂もさらに以前の記憶の影響を受け人生を過ごしていたのです。

幽体の意識は、長い魂の歴史の蓄積であり、様々な記憶が眠っています。
こうした意識が肉体とダブっているために、幽体の影響を受けてしまうのです。

今回、肉体においては初めての人生なのですが、幽体にとっては様々な人生の局面で過去の記憶が呼び起されてきます。

肉体の脳は幽体の脳とは別なので、肉体の脳でいくら考えても過去の人生の記憶を明確に思い起こすことができないのです。

それでも意識がつながっているので、心の中で訴えかけてきます。

人間の人生というものは、幽体の意識と共に歩んでいます。
この幽体の意識が変わらないと、人生を大きく変えることは難しいのです。
人生というものは人間が霊魂である以上、霊的な関わりなくして、語ることはできないものです。

人間には幽体という身体がダブっています。
自分では良くわからないけれども、人生に様々な影響を及ぼします。

死後の世界は、幽体の質や状態で行くべき世界が決まってしまうのですが、そればかりでなく今、この世で生きている間も肉体にも、人生にも大きく関わりを持っています。

霊的な事柄というものは、人により様々で一律には語ることが難しいですが、いろいろな影響があることを知って頂きたいと感じます。

人間社会で生きる上で欠くことができないのが、人間関係です。

人間関係によって人生に影響を与えることは皆さんご存知ですが、そこには幽体の意識や人間の霊魂からの想念なども影響しているのです。

霊魂も良くも悪くも人と縁をつけることで、人生を変えようと試みます。
このブログをご覧になったもの、何かの縁かもしれませんね。

霊的な状態も人間関係に影響を持っています。

霊的な状態が悪くなってしまうと、霊的な状態の悪い人に親近感を持ったり、霊的に成長している人を何となく避けたくなったりすることもあります。

さらに人は念を発します。

恨み、憎しみといった強い念、これが幽体を損傷させてしまいます。

普通に生活していれば、誰でも他人と対立したりトラブルとなったりすると思いますので、大なり小なり損傷している可能性があります。

逆恨みだとしても同様となりますので、人間関係を持つ以上、避けられないものではないかと感じます。

また、霊魂も念を発しますので無関係ではありません。

こうした幽体の傷が、幽体の力を弱めてしまうことがあります。

幽体が弱くなってしまうと、その影響が肉体も現れ、病気やケガなどにつながってしまいます。

幽体が弱いとオーラが出にくくなり、低い霊魂の影響を受けやすくなります。

低い霊魂の多くは、人間の幸福など願っていません。
他人の不幸は蜜の味とばかり、人間をもてあそんでいます。

このような霊魂が側にいると、霊的な低い影響を強く受けますので、残念ながら幸福が遠のいてしまいます。

また、霊的カルマというものが、人生に大きく影響を与えています。

人生は様々な状況において、選択や判断してつくられて行きます。ところが自分で判断しているようでも、深い意識、幽体の意識が大きく関わっているのです。

過去世という何度も地上に生まれた時の記憶や経験があり、こうしたものが選択基準や判断、行動に影響を与えています。知らず知らずに、霊的カルマというものに動かされてしまっているのです。

人間というものは、将来のことが良くわかりませんので、悩んだり迷ったりしますが、「何となくこっちがいいかな?」と選択した時、幽体の意識の強い思いがあったりします。

こうした場合、さらに低い霊魂に影響されてしまうと、悪い方向へどんどん行ってしまう可能性があります。

そうした霊魂とは別に、守護霊と交流が持てれば想念を発し、不幸につながらないよう軌道修正をかけてきます。

「なんだか難しいな~」と思われることでしょう。

しか~し、複雑で難解であるけれども、1日10分程度の霊的なトレーニングを行えば、理屈は良くわからなくても、これまでお話したことが解決できるのです。

もちろん一朝一夕とは行きませんが、それが修行というものであり、霊的なトレーニングのすばらしさを感じて頂けたらと思います。
幸福というものに対する考え方、捉え方も人それぞれでしょう。

皆、幸せになりたいと思いながら生きていると思いますが、それでもなかなか満たされないというのが現実だと思います。

こうした時、幸福とは心の満足であるから「この世の現実のあらゆるものは変化し姿を変え、とどまることはないのだから、こだわりは捨てなさい」「身の程わきまえて、高望みはせず現状に満足せよ」という考え方も生まれて来るのでしょう。

確かに、有限な物質世界において欲を出せば出すほど、その陰で苦しむ人が増えるのも事実です。

霊的に見ても、人が争えば争うほど下がってしまいます。
いくら「人間みな平等、仲良くしましょう」といっても、そうできないのも人間ではないでしょうか。

昔から、立派な教えはたくさんあるけれども、理想と現実では大きくかけ離れてしまっているように感じます。

心を変えても社会が変わらなければ、心の満足は得にくいように思えます。

人が肉体のみでなく霊的な生命体であるとすれば、幸福とは霊魂を抜きにしては語れないことになります。

霊的側面からも考えて行かなければ、幸福に到達することは難しいように思えます。

そこには人間関係、霊魂関係幽気霊的カルマなどの影響も含めて考える必要があります。

こうしたものが、様々に絡み合い人生を送っています。

その結果が幽体という身体、意識に影響を与え、死後の生活につながってしまうのです。

世の中の流れは、無神論や無宗教、物質主義、唯物論そうした傾向にありますが、人類の誕生から霊的には何も変わっていないのです。人々の考えが変わってしまっただけなのです。

とにかく、今が大事です。
このブログは「大きく人生を変える」と言っているのに、幸福という言葉が出てこないことに、違和感があるかもしれませんが、これには理由があります。

願いを叶える、運気が上がるなどのうたい文句は、心ひかれるものがあると思いますが、仮に願いが叶ったとしても一時的な満足にとどまってしまうと考えられます。

これは人生という大きな視点から見れば、変えたとは言いにくいし、必ずしも幸福であるとは限りません。

それは、不幸となる原因や要因があるなら、そうしたものを払拭しなければ不幸が訪れてしまうからです。

人生を大きく変えるには、やはり自分で新しいことを行う、始めるということが必要になります。

そのためには、人間というものがどういった存在なのか、そして自分を知ることが大切だと思います。
人が肉体だけでなく、霊的存在でもあることを含めると、幸福の捉え方も大きく変わってきます。

肉体で生きている間と幽体で活動する世界では、身体を含め環境が全く違います。

あの世にお金を持って行けないように、霊魂になってしまえば、知識や地位も名誉も何の役にも立たなくなってしまいます。

確かに人間であれば老後の心配も考えなくてはなりませんが、さらに死を越えた人生が待っているのです。

肉体とダブった幽体が、どなたにも備わっています。この幽体で死後の世界のスタートが決まってしまいます。

今、幽体に関心を向けるか、無視するかは自由であるけれども、確実に将来は廻ってくるし、人はもともと霊魂なのです。

霊的なことは、ないがしろになりがちですが、一時的にこの世に生まれ、肉体を持つことで何も見えなくなってしまっているだけなのです。

霊魂である以上、霊的なことを含めた幸福を追求しなければならないと思うので、霊魂を認めない方の幸福の観念と異なることを考え、あえて前面に出していないのです。
霊的なトレーニングを習っていない方などは、気の不調を改善したい思われることでしょう。

ここで問題が出るのです。

間気と幽気の違いや意味もわからないままに、気の技を行っているのが現実なのです。

となれば、施術する人の霊的状態も気になるところです。
自分の間気や幽気を送っているようではダメなのです。

間気については、タイトル「間気(かんき)」でお話ししたように、他人の間気を取り込んでしまうと血液型の違う血液を輸血してしまうようなもので、霊的不調につながってしまいます。

また、幽気もタイトル「幽気(ゆうき)」にありますように、幽体の栄養となる高い幽気でないと、意味がありません。

昔、僕が霊術を行っている時、師に「自分の幽気を送っちゃダメだよ」と言われました。

もちろん、霊的トレーニングを行ってない方は、指導霊からの高い幽気が馴染まない場合があります。

そういった時は、施術者を経由させることがあります。それでも常に指導霊に、お任せなのです。

正しい霊術を行い得る人とは、基礎的な霊力がある人になります。

霊的な力を持つことにより、高級霊と交流できることが条件です。
そして、霊術の作法という約束事があり、そこに専門の指導霊が働くことにより、ようやく成果につながります。

さらに高度な霊術となれば、それに応じた資格も必要になります。
霊術の作成は、霊能力的なものがどうしても必要になりますが、霊術の作法があれば、指導の霊魂も把握していますので、たとえ霊能力がなくても霊力があれば効力を発揮するのです。

霊的な知識も霊力もなく、見よう見まねの技では危険を伴ってしまうのです。
2013.11.07
タイトル「祈りの力」にありますように、人が発する念には幽的エネルギーがあります。

一方では霊魂と交流し霊的な栄養を取るために有効でありますが、強い念は相手の幽体に衝撃を与えてしまうほど恐ろしいもので、想いや念は、まさにもろ刃の剣といえます。

いろんな人の霊的調査を聞くと、多くの方の幽体がそうした念により損傷しているようです。

複雑な人間関係、様々な意見や考えを持っている人が同じ社会の中で生活しているわけですから、むしろ当然のことかもしれません。

ただ、死後の世界は幽体の質や状態で行くべき世界が決まってしまうので、お互い気付かないうちに、足の引っ張り合いとなっているようにも思えます。

強い怒りや憎しみ、恨みの念を出さないように心がけることが大事なのでしょうが、腹が立てば、怒りたくもなるし恨むなと言われても、どうしても恨んでしまうものです。

忘れたくても憎いアイツの顔が脳裏に浮かんでくるし、考えたくないと思っても執着してしまうのが人間ではないでしょうか。

僕も偉そうに他の人に、どうのこうの言えるほどの人格でもないし、寛容でもありません。
ただ、対応策は理解しています。幽体は修復可能で強くもなり、念の質さえ変えることもできるのです。

有限な肉体と違い、幽体は柔軟性を持っています。幽体の傷は霊術で対応することもできますし、幽体を強化すれば、同じ念を受けても影響は小さくなってしまうのです。

幽体に力があるとは、肉体の体力と同じで抵抗力や免疫力がアップし病気にかかりにくくなったり、自然治癒力が増すのと同様に、幽体の損傷が自然と修復されてしまうのです。

念がなぜ人の幽体をそこまで損傷させてしてしまうかといえば、念の質が荒い、低いという点にあるのです。
念の質は幽体そのものにあるのです。幽体を成長させることで念の質も変わってきます。

幽体を成長させれば、高級霊と交流できるように、念の質も高く変わってきます。逆に低級な霊魂からは、想念が読み取りにくくなってしまうのです。

行き着くところが、やはり幽体を強く成長させることが、何よりもの対策ではないかと思います。
契山館においては、神伝鎮魂法、神伝禊法というトレーニングを主に指導しています。

その他に、神伝振魂法(しんでんふるたまほう)、幽育(ゆういく)などがあります。

神伝の法とは、霊魂学における神霊、その存在に仕える高貴な霊魂団との契約により水波一郎師が作成された技法です。

神伝鎮魂法(しんでんちんこんほう)
今、肉体とダブっている死後の世界で用いる霊的な身体である幽体、さらにもっと高級な身体である霊体を強化、発達させること主な目的とした技法です。

神伝禊法(しんでんみそぎほう)
潜在意識とか深層心理と呼ばれるような深い意識である幽体の意識は、何度もこの地上に生まれた過去世(かこせ)があり、その経験や記憶を持っており霊的カルマと呼びます。

こうした心理は今回の人生において良くも悪くも影響します。

不幸や苦しみを招いてしまう心情をうまく処理し、霊的に良い方向へ向かう心情を生かして更に進歩させ、魂という大きな自分を成長させる技法です。
タイトル「祈りの力」にありますように、人間が霊的なエネルギーをどう自分に取り込むことが出来るか。それが大きなテーマとなります。

信仰や祈りも大事なのですが、やはり個人で祈っても力は小さいものです。

それでは集団で祈ったら良いのではないか?

そこにもっと高貴な霊魂とつながる人がいれば、さらに力を増すことができるのではないか?

では、どうしたら人間が高貴な霊魂と交流が可能になるか?

霊的なトレーニングをすれば良いのではないか !!

本来はヨーガや仙道、この日本の古神道において、いかに高貴な霊魂に近づけるか、交流することが出来るか、これがトレーニングの大きなテーマでした。

時代は流れ、いつの間にか神通力だとか霊能力といった見せかけの力、技ばかり注目されるようになってしまったのです。
古くから正しいトレーニングは存在していましたが、大衆化しにくい欠点もありました。

現代人のように忙しく霊的に悪環境の中、もっと確実に危険がなく短時間でどなたでも成果の出る手段として、生み出されたのが現代向けのトレーニング法なのです。
2013.11.05
人間は肉体のみでなく幽体という身体があります。

人が想いを発する時、幽体から幽的なエネルギーとなり発せられます。

霊魂も同じく幽体がありますから、想いを発すれば、幽的エネルギーが出ます。

霊魂は物質の世界と環境も全く違い肉体がないので、人間が会話するようなコミュニケーションではありません。

言葉など発しなくても、以心伝心いわゆるテレパシーで交流しているのです。

「そんなのウソだろー」と思われるでしょうが、何となく相手の想いを感じたことはありませんか?

霊魂同士のようにはいきませんが、人間にも幽体があり、相手が強い想念を発すると、確実に伝わっています。

ただ、幽体から肉体の脳に上手く伝わらないから、何となくという感じになるのです。

古来より信仰や祈りによって、神様に願いが届くと考えられています。

もちろん、神様は霊的に遠い存在なので届きませんが、霊魂には伝わるのです。

現代人から見れば「何くだらないことやってんだ!」と思えるでしょうが、理にかなっていたのです。

イエスキリストが信仰とか祈りの大切さを説いたかというと、霊的な法則により高級霊には直接届きませんが、人間の幽体の質に近い高級霊の部下に伝わることで、それを上位の霊魂に伝えることができます。

高級霊も人間に力を与えたいと思っていれば、高い幽的エネルギーを取り入れることができたのです。

想いが上に向いているかが大事なのです。

日本には、古来より修行法、霊的なトレーニングがありましたので、神主さんなどのトレーニングを積み重ねた人は直接高級霊に想念が届きますし、オーラが見えます。

そこに人々が集まり、幽体の栄養となる高い幽気を得ることができたのです。

祈りとか信仰は、決して無意味なことではなかったのです。

人間の幽体はもともと未熟ですので、低級霊や守護霊の部下である補助霊にしか伝わらないのが現実です。

補助霊ならまだしも、悪意をもった霊魂に想念を読まれてしまうのは困ります。

ご自身の守護霊に直接想念を発して頂けるよう、幽体の栄養を取り入れて頂きたいと思っています。
2013.11.05
最近では、あまり念力という言葉は聞かなくなりました。
僕が子供の頃は超能力ブームであったこともあり、テレビ番組でも頻繁に取り上げていました。

今はあまり語られないだけで、実は念力は存在しています。
こんなことを言うと、時代に逆行していると思われてしまいますが、スプーン曲げもテレパシーも肯定しています。

もちろん、やらせやトリックも多くあった事でしょうが、霊魂学の観点から可能と考えています。ただ、肯定はしますが興味はないのです。

スプーン曲げも念力で曲がるというよりも、念の力によって間気を操作するのです。念というものは幽質なので物質には直接作用しません。

ところが間気は物質と幽質の中間的存在なので、これを利用すると物質に変化を与えたり、物を動かしたりすることができる場合があります。

さらに霊魂が加担すると、さらに不思議なことが起こります。
反面、こうしたことを行うと霊的不調になるばかりか、超能力とか霊能力を求めている人を低い霊魂が物色していて、かっ好のえじきとなってしまうのです。

霊的な意味で考えると、暗い方向に人生を大きく変えてしまいます。

念の力というものは幽質なので物質に直接影響はなくとも、幽体に影響を与え、それが肉体にも現れてしまうことがあります。念の力は、実に人生に大きく関わってくることなのです。

今の時代、いわゆる超能力をつけても人は信用しないし、間気の技などあまりにも地味すぎて、物理学で別のやり方でも簡単に出来てしまえば、笑い者になるだけです。

そうであれば、もっと意味や価値のある霊魂を探求した方が、より良い方に人生を変えることができるように思えます。
幽気というものは、空気中にも肉体とダブっている幽体という霊的身体の中にも存在します。

幽気には高い幽気や低い幽気があります。

高い幽気は特別な行為をしないと、取り込むことはできませんが、低い幽気は日常的に接触してしまいます。
高い幽気はあまりないけれども、低い幽気はどこにでもあるのです。

こうした幽気の影響が幽体の質に関わってきます。
あの世といわれる死後の世界である幽界にも幽気が存在し、高い世界には高い幽気があり、低い世界には低い幽気が満ちています。

死後の世界の高低は幽気の質、環境が分けていたのです。
そこに相応しい、馴染やすい霊魂がそこにいるだけなのです。

今の自分の幽体の状態が、死後入る世界を分けてしまうことになるので、低い幽気を排除し、いかに高い幽気を取り込むかがポイントになります。

「霊的環境が悪いというなら、怖くって外も歩けないじゃないか!」と思わることでしょう。
もちろん社会に文句を言ってもどうにもならないので、悪い環境に影響されない予防策や対処を行えば良いのです。

肉体の体力が抵抗力や免疫力アップにつながり、根本的な病気の予防になるように、霊力をつけることが大事といえます。

さらに家に帰ったら、うがいや手洗の心がけのように、汚れた幽気を洗いながしてしまえば良いのです。
力があれば特殊加工されたフライパンのように、低い幽気が付着したとしても、さっと落ちてしまいます。

霊的なトレーニングは継続して行くことが大事といえます。汚れを放置し、こびり付いてしまうと幽体からのオーラも出にくくなるので、小まめに洗って良い状態を保つことが大事です。

もちろん、最適なトレーニングも用意されております。神伝禊法の初伝を行っていれば、霊的な力を持ったお祓いの効果もあるのです。
人の肉体と幽体の間を取り持つ気、それを間気と呼んでいます。

肉体と霊的身体である幽体はダブっていますが、肉体は物質であり幽体は幽質です。
その異なる両者をつなぎ止めるものが必要になります。

幽質でありながら物質にも作用する中間的な気がなければ、肉体と幽体をくっ付けておくことができません。
それだけに肉体にとても身近で関係の深い気といえます。

間気というものは、人により異なっています。
それを知らずに、他人に与えたり補充したりすることは良くありません。

例えば、間気が不足して体調がすぐれないとか病気であった場合、その方に間気を補充すると一時的な改善もみられます。

ところが他人の間気が入ったことで、次第に不調和を起こし更なる不調につながってしまうことが考えられます。

間気が不足しているのであれば、漏れている所はないだろうか、生産がしっかり出来ているのか、滞りはないだろうか、原因を突き止め改善することが望まれるのです。

肉体が生命活動する上で間気は消費され、その生産を自分で常に補って行かなければならないものです。
そうしたことを考えれば超能力、霊能力開発などといって無駄に使ってはいけないのです。

間気が漏れていたり不足すると、病気やケガにつながることがありますし、悪意を持った霊魂に干渉されてしまう危険もあるのです。

こうしたことを考えると、ご自身で霊的な力をつけることが大事となります。
そのためには、霊的なトレーニング行って頂き、間気がどんどん生産して頂きたいと思っています。

もちろん、最適なトレーニングも用意されています。
それが神伝禊法の初伝というものです。
2013.11.03
霊魂学において『気』というものは間気や幽気、更に高級な気である霊気や神気というものもあります。

どれも気なのですが、それぞれ異なっています。

昔から霊的な修行法において気は扱われてきました。
気を知ること、そして人が霊的に成長するために不可欠なものとして考えられていました。

ところが、本来霊的なトレーニングの体系の一部だけを抜き取られ、技だけが広まってしまったような感じです。
霊魂と人間との関わり、肉体と幽体との関連、霊的な気を正しく理解していることが何より重要です。

間気とは自分で生産するもので、それを促進させることが大切であるのです。
また、高い気をどうやって取り込むことができるか、これが正しい霊的なトレーニングのテーマです。

霊的な好影響や成長をうながすのが本来の霊的なトレーニングですし、高級な霊魂の力が流れていない技術は、正しい霊術とは呼べないのです。

霊的な修行体系は、まず霊魂の存在や霊的前提を踏まえて成り立っているのに、こうしたことが置き去りになってしまっています。

何だか良くわかないけど、修行体系の一部を行ってみたら肉体に変化が出たので、これはすばらしいと勘違いしてしまうのです。

霊術というものは霊的なトレーニングの積み重ねを経た人が、霊魂の力添えにより霊的な技術として力を発揮するのです。

今、気を正しくとらえている方は、非常に少ないように思えます。
気の意味や役割、そうした認識を持たずに気を操ってみたり、手のひら療法を行っているのが現実のようです。

気を正しく知ることは非常に大事なことですし、間違った行為は霊的な不調につながり、肉体の健康にも影響してきます。

どなたにも関係することなので、ぜひとも気について関心を深め、正しい知識と認識を得て頂きたいと感じます。
霊気とか神気というものは話が複雑になりますので、そうした高級な気も存在するという認識を持って頂ければ十分かと思います。

このブログでは皆さんに身近で重要な間気と幽気について触れて行きます。
マイナスとか負のオーラが出ている。という言葉を聞くことがありますが、そうしたオーラというのはないのです。

もし他の人に対し、何となく感じるものがあるとすれば、表情や容姿、態度や言葉使い、臭いといった五感で感じるもの、そして霊的であれば幽気とか念といったものが考えられます。

確かに、オーラがほとんど出ていない方もいるようです。
オーラが出ていないと、いたずらな霊魂の目に止まり干渉されやすくなってしまいます。

逆にオーラを強く発していれば、質の高い霊魂と交流しやすくなります。
未熟な霊魂にとって幽体からオーラが強く出ていると、目がくらんでしまうような感じで幽体が見にくくなってしまうのです。

こうしたことを考えると、どなたでも幽体に力をつけ健全なオーラを発して頂くことが望まれます。

ご参考になるページをリンクしておきます。

霊的情報館 霊をさぐる 「霊魂学 オーラの強化」
霊魂学においてもオーラを重視しています。

異なるものをオーラと呼んでみたり、色を指摘することに意味がないのであって、その出方や強弱が霊的状態や成長に関わっているのです。

幽体そのものに力があればオーラを強く発し、力が弱いとあまり出ていないのです。

また、人から強い念を受けると幽体が傷ついてしまったり、低い幽気が付着している場合などオーラが出にくくなってしまいます。

オーラからも幽体の状態がわかるのです。

オーラの鑑定とか診断というのであれば、こうしたものなのです。

あくまで、幽体という身体の状態が把握できるのであって、人格などを表すものではありません。

霊的なトレーニングを行う時、高級霊はオーラの動きを注視しているのです。

肉体と幽体はダブっていますから、作法にある動作を行うと、幽体から発しているオーラも同時に動きます。
これが約束事になっていて、トレーニングが成り立ちます。

オーラを強く発していることも大事ですし、作法を正しく行う必要もあるのです。
誠にせん越ながら、ここでもわたくしオーラを誤認しておりました。

霊魂学を知る以前に「オーラには色があり、職業や性格によってその色が異なる」とあったのです。
これは多くの本に書かれていたと記憶しています。

ただし色については、本により異なっていたりするのです。正しく知覚するのであれば、共通しても良いのではないでしょうか。

人間の目は、本来霊的、幽的なものを視覚することはできません。もし実際に映像として見えているとしたら、霊魂に見せられていたという可能性が強いように思えます。

本人は赤外線カメラの映像のようなものが見えたのかもしれませんが、霊魂が操作したに過ぎないものであったりするのです。
見えているのだけれども、事実ではないということです。霊能力者の発言が共通しないのも、こうした点が考えられると思います。

未熟な霊魂による霊能力は、手を替え品を替え登場するのです。今、世の中でこうしたことが流行っていることが分かれば、それに応じた霊能力、いわゆる人間操作を行うのです。


ご参考となるページをリンクしました。
霊的情報館 霊をさぐる 「霊魂学 オーラを見る」
プロフィール

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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