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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 人間の人生における霊的な目的とは何でしょうか?

霊魂: 人の一生はひとりひとり異なり、死亡の時期すらばらばらであるが、それは取りも直さず、人々の人生の目的が、まさに色々な形であることを意味する。

つまり、飢えて仕方がないような国民のひとりとして生まれ、2才にもならぬうちに飢え死にして行く。

そうした人は、その人生に何の目的があったのか?

その国に生まれれば、1才ともたず、何割も死ぬも百も承知で産み、生まれ、その目的とは何か?

人が生きる上での目的は、人の考えではあらず、人がいかに頭をひねっても、己が生存していることすらわからない。

まぁちゃん: 自分の人生の目的を考えるとよくわからない。
自分にとっての満足じゃないのかな?

人それぞれだけど、やっぱり長生き!

霊魂: 仮に、人が寝ている。
人は夢を見るが、生きているつもりだし、起きているつもりで活動したと思う。

が、起きてみるとただ寝ていただけ。

人は肉を持ちうる意識体に過ぎず、生きていると本人が思っているだけ。

仮に、肉体を捨てて死んだとする。

本人の意識があれば生きているつもり。

家族が仮に集まっていたら、死んだと言って泣いている。

間違って肉体が蘇生し再び活動を始めたとする。

再び意識が戻ったら、人は死んでいたのか、生きていたのか??

人は己が生きているのかすら、正確にわかっているや否や。

まして、肉体の脳で、人が生きる目的などわかるはずがない。

仮に、3才の子供がいる。

この子が「ご飯がほしい、遊びたい」と言って泣く時、その目的は何か?

肉体の保持のみである。

が、生きる目的が、仮に肉体の保持なら、死ねば何の価値もない。

人の個性が死後も存続することがあるなら、人の価値は肉体の存続のみではない。

つまり、良い暮らしをするのであれ、地位を持つであれ、肉体の欲求に付随した思いは、これすべて肉体あっての話し。

となれば、食欲であれ、性欲であれ、肉体あってのこと。
仮に、人の胃が決して空腹をもたらさないとしたら、今ほど人は食を求めない。

腹が減るから人は食べたい。
絶対腹が減らないのなら、「そのうち食べてみよう」で終わってしまう。

よって、人は肉体の欲に伴う欲望は、どれだけ満たされたにせよ、人生の目的を持つほどのことではない。

スポーツ選手や、タレントになり頂点まで登ったにせよ、だからどうしたである。

まぁちゃん: たとえばお金持ちになろうとして一生懸命貯めたとしても、いざ使おうとしたら死んでしまった。

これじゃぁ、むなしいよね。
あの世にはお金を持って行けないの?

霊魂: 我々霊魂は、肉体が滅んでも、なおかつ意識は存続し、やがて別の世界には入ると思っている。
そうであるとすれば、人生の目的は、霊魂ぬきには語れないことになる。


神もしくは死後の世界を無視して、人生に意味はない。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ2に続く
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霊魂としての人生の目的 霊的カルマ1からの続き

霊魂: 仮に、死後の世界があれば、2才で死んだとしても別に問題はない。

必要があれば、また生まれるやもしれず、物質の世界がすべてなら、2才で死んだ子は何の価値もない。

まぁちゃん: そうだよな~
生きることに価値があるとするなら、好きで死んだわけでもない赤ちゃんはかわいそうだよ。

霊魂: もしも、人に価値ありとすれば、霊的な生命を無視しては成り立たない。
つまり、人生とは何かと悩む時、人は霊魂を知る以外に救いがないのである。


それを知らずに、いかに頭をひねっても、明日死ぬかもしれないのに何を悩む。

本当に死後の世界がないなら、高校生がいくら悩んでみても、大学へ行く前に死んでいるのかもしれない。

30年先の人生設計は無意味である。

まぁちゃん: それは結果論であるけれども、自分がいつ死ぬかわかったとしても、何をやって良いのか戸惑ってしまう。

残される家族のこととか恋人のことが、気になるなー
人は先々が見えないからこそ、なるべくなら不自由がないようにと貯蓄を考えるし、保険にも入る。

それはすべて不安だから。

霊魂: つまり、今のこの世が小学校だとした時、人は小学校を出れば中学に行く。

が、中学校に行くことを知っていれば、小学校で学ぶことの意味がわかる。

中学が絶対ないと思っていたら、小学校でどう生きるかは全然違ってくる。

つまり中学がないはずなのに、中学へ無理やり行かされれば、ついていけない。
苦しむだけである。

まぁちゃん: 死後の世界が存在するなら、自分は天国に行くのか地獄に行くのか、すごく気になるよ。

霊魂: 死後の世界がもしあるとすれば、それを語らずして人生は、一切なにもわからないであろう。

そのうえで霊魂としての己がなぜ地上で生きるのか?

それを少しずつ明らかにする。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ3に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ2からの続き

霊魂: 年をとり、あと2年で死ぬとする。

その人は何をすべきか?
もう人生は大半終えてしまっている。

何をすべきか?

答えはただひとつ、「すべてを捨てるべし」己は、すでに肉体をやめる。

肉を止めるのが決まったら、「肉体を持っているからこそ出てくるあらゆる思考をやめよ」である。

まぁちゃん: 人は霊魂になるにしたがい、どうなるの?

霊魂: 言うまでもなく霊魂としての本性を表現してゆく。

そのため肉体から、霊的身体へのなだらかな変換がいる。

そのために最も大切なのは、食欲や性欲はあっても良いが、肉体を保持する基本以外の諸々の物的な側面は外さねばならない。

その意味は、人が生まれた時にさかのぼる。

そして、そのまた深い意味は、地上に人類が、なぜ生まれたかにまでさかのぼる。

死んで間もないある個性が、こういった体験をした。

まず絶対に、この世しかないと思っていたらが、たまたまあの世があった。

そのために深い傷を負った。

なぜなら、死後の生命体は、自分を認めぬ者を認めないからである。

彼らの世界は、はっきりしている。

想念と想念で互いに通じ合う。地上の言葉はいらない。

が、レベルが違うと通じない。
よって、より上の存在と通信を保つには、己が必死に相手を認めないと通じない。

つまり、己より一歩でも先に行った方に手を引いてもらおうとすれば、己が頭を下げて、手を引いてもらわないことには話しにならない。

つまり、霊的個性を認めないと、人には救いが来ない。

あらゆる書物の中で、臨死なる体験が言われる。

が、人は正確には幽界になど行ったなら、戻って来ない。

彼が見ているのは、肉体の脳の延長であるし、我らの言う冥界の入り口である。

つまり、妄想の世界である。

彼らが共通した体験を持つということは、共通した妄想を持つ脳があるからである。

人が行く世界が同じ訳がない。

アメリカで死んでも、日本で死んでも、同じ幽界になど行く訳がない。

幽界はもっと遠い。

まぁちゃん: 幽界というのは死後行く世界でしょう。
臨死体験して幽界に行って来たって言う人がいるけど、違うんだ!

その前にも冥界というところがあって、その手前までしか行っていないとすると、肉体をちょっと離れただけじゃないの?

よく守護霊が迎えに来てくれるって言うよね。

でも、守護霊もひとりの個性であるから、生きている時に交流がないばかりか、守護霊という存在を馬鹿にしていたら「迎えに行ってやるもんか!」ってなるよ。

困った時だけ助けてくれなんて、やっぱり虫が良すぎるね。

霊魂: つまり、人々の実験から真実は絶対に得られない。

光の天使など迎えには来ない。
来るわけもなし。

己が認めないものを、相手もどうコミュニケーションとやらを取りようがない。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ4に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ3からの続き

霊魂: そこで、人、死を迎えたら霊的になるべし。

食欲、性欲その他もろもろはやむを得ず。

が、それ以外に関しては、霊魂のみを見るべし。
それは、人が誕生してからのテーマであった。


人がこの世に生まれた唯一の目的は、2千年前にイエスが言ったごとし。

「汝の神を愛せよ」ただそれだけである。

人はそれだけのために生き、それだけのために死ぬ。
それしかない。

人は大きな心得違いをしている。

2千年も前の古代の言葉など、何の価値があろうか。

が、古代だからこそ、その程度のことしか言えなかったに過ぎない。

古代の人の知的レベルが低いからこそ、その程度の言葉しか表現できなかった。

今なら何と言う。

神イザナギの大神、禊の大神、富士の大神、これがすべてである。

つまり、地上に生まれて生きる目的は、霊魂を語らねば出てこないのは確か。
霊魂を語ると、その延長に神がある。


それを無視して何を語っても意味がない。

まぁちゃん: 自分の未熟さを思えばこそ、より高い存在に向いていないといけないんだ。

だから、守護霊も霊的な向上を目しているわけだから、地上の人間が神を求めていれば、よろこんで迎えに来てくれるんだ。

霊魂: 例えて言えば、人には過去がある。

つまり、何度か人は、生まれ変わっている。

もちろん、人の個性がそのまま生まれるのではないが、〈これは難しいので置いておいて、一部が生まれているが〉、まぁ、とにかく過去世がある。

その時に仮に大きなテーマを作ったとする。

例えて言えば、大失恋をして自殺した。

そのままあの世に行っても、その傷は忘れているが、霊魂としての進化のマイナスになる。

なぜなら、この世の肉体と肉体を持つ人がいるからこそ起きた欲望である。

失恋やその他は、あの世の肉体のない世界では経験できない。
そのためにその部分だけが、心の中にしっかりと残ってしまい、いつまでたっても消化していかない。


向上していかない。

幸いにして地上では、自分たちの子孫が延々生きている。

その子孫として、誰かの子供の中に、その意識の一部が入ってくる。

まぁちゃん: 一部が入ってくると言うなら、過去世本人は幽界に残っているんだね。

生まれ変わりっていうけど全部が生まれ変わるわけではないんだ。
再生っていうやつだね。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ5に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ4からの続き

霊魂: さて、はじめてそこで生まれた新しい生命とされるが、実は過去を持つその子は、地上で仮に、17なら17才になった時、同じような体験に遭遇する。

言うまでもない事ながら、己の肉体がどんどん大きくなるにしたがい、肉体の脳がそうした経験をする状態を作っていくから、意識の奥にある失恋して自殺したなら、自殺した心情が表現し得る状況が生まれてくる。

そしてそれが、はじめて出てくる。

そのとき人は、また同じことを繰り返したら、生まれた意味はない。

それをカルマという。

が、なぜかまた死んでしまったり、今度はその反動で全く逆のことをしてしまったり、様々な結果を出す。

「その霊的なカルマをどうするのか?」という。

まぁちゃん: 自分では気がつかないけれども、年頃になって同じような状況になってくると、その過去世の心情になってしまい「もう、死んでしまいたい」と考えたりもするんだ。

霊魂: 我々霊魂は、それをどうすれば良いのか知っている。

無論、禊なる秘儀をもっているのでなんとかするが、しかし多くの人達は、そのまま死んでいく。

何度も生まれても、生まれた目的など一度もない。

つまり、とにかく霊的に進化するには、そうしたカルマを解消しなければならんのに、誰ひとりとして、そんなことを考えていない。

が、昔むかし、インドでクリシュナとか釈迦とか呼ばれた方々は、そうした問題をテーマにしていた。

日本でも古代から禊があったということは、そうした問題がテーマになっていた。

つまり、人類にはカルマを解消する方法はもたらされていたが、まったく気づかず数千年過ぎている。

そのうえにそうしたカルマをどう解消するかなど何も考えずに、いきなり誰か救世主人を救ってくれるなどと、勘違いしたりもしている。

所詮は、己の力でカルマを抜くしかない。

それには我らで言えば、禊をするしかないのであるが、では、そのカルマが人生のテーマであるかと言うと、必ずしもそれだけではない。

人々の浅知恵は単純に、「良い事をせよ」で終わる。

が、その個性の中の深い心情の中にどうしても、止めろと言われても、これだけは止められない。

あるいはこうしたものを見ると、どうしても手が出る。

そうした深い深い心情が眠っている場合がある。
簡単には解消できない。

だから「生まれてこない方が良い人間だ」というイエスの言葉がよーくわかる。

まぁちゃん: たとえば、人を殺したくなるような心情をもっている人もいるわけでしょう。

その人の心情が爆発してしまうと、殺人を犯してしまう可能性もあるわけだ。

そうなると、また生まれて多くの人を殺してしまった。

これじゃぁ、やっぱり生まれてこない方が良かったに違いない。

自分だけがおかしくなるならともかく、他人の自由を奪ってしまうことだからね。

霊魂: 人生の目的はカルマの解消は当然だが、もうひとつ大事なのは、そのカルマの解消がどうせ無理なら、どうせなら「神のために死ね」である。

それが「汝の神を愛せよ」である。

すべてにおいて人には限界がある。

いちばん大事なことを忘れて、人は肉体の脳で議論している。
明日どうなるか見えないのに、明日の対策がどちらが正しいのか議論している。


愚かしい。

絶対にどちらも正しくはない。
より正しい可能性を探っているのである。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ6に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ5からの続き

霊魂: そこで、人はなぜ生まれて、なぜ死ぬのか?

ある個性はこう言った。

人々がエデンの園から脱出できた時、人々は生殖する存在になった。

つまり、物質の世に幽質界から下がってきた時、人々は肉の身を着た。
そのために、肉体がなければ起きない様々な殺りくが起きた。


食品を食べるためである。

その結果、ありとあらゆる格差が現れ、生活の差、地位と名誉の差が現れた。

スターとただの人を生んだ。
それがやがて激しい殺し合いになる。

そして、何も見えなくなった。

もともとあったはずの神も霊魂も消えてしまい、いつの間にやら、偽りの神と霊魂ばかりになった。

まぁちゃん: 現代の人達が神に祈るとすれば、商売繁盛、家内安全、受験合格とかそんのご利益ばかり求める人が多いよ。

小銭払ってさー。

霊魂: 人は、「神が人を殺せ」と言うはずがないと思い込む。

が、神は人を殺したいわけなどない。

なぜなら人は死ぬのが怖いし、殺されるのはいやだし、望んでもいない。

人に自由があるから、神はそんなことは望まない。

が、どうせ死ぬのなら安らかに死なせてやりたい。

皆は神に対して、おのれ自身の勝手な欲望をいつも要求している。

「神は愛ではければならない」とか「人を救ってくれなければならない」そんな馬鹿なことがあるはずがない。

別々の存在に対して、別々の個性に対して何か願うなら、代償を求めずである。

それが当たり前なのに、神はなぜ、己の心を理解しないと言っている。

つまり、神は代償など、もちろん求めていないが、代償がなければ神に祈れないというような真剣なまなざしを求めている。

病を治してくれというが、治したらすぐ忘れてしまう人間よりも、「自分は好物のこれを断つから治して欲しい」というなら、治してあげたいと思うのである。

そういう気持ちもまるで持たないのに、私に神は何もしてくれなかったという。

昔から、神そして霊魂を正しく求める人間を疎外してみたり、妨害してみたり。

それでは、人が生きる目的は、何も達成できないばかりが、誰ひとりカルマを抜くことも出来ない。

そうなれば延々、何千年地上にいても、人々のカルマは永遠に軽くはならない。

誰ひとりとして、人殺しのカルマを脱することが出来ない。

地上の人間は数千年来、ずーっと戦争してきた。

戦争までいかなくても、さんざんに人を踏みつけてきたに違いない。

まぁちゃん: 人間って今の自分しかわからないから、「法律にも触れてないし、刑務所に入ってない」だから、死後の世界が仮にあったとしも自分だけは天国に行くと思ってるよ。

霊魂: そういった歴史が人類にはある。男も女も同じ。

女であっても過去は男だったかも知れないし、その逆もある。

となれば、みんな何かやってきたから地上にいる。

霊魂としての人生の目的 霊的カルマ7に続く
霊魂としての人生の目的 霊的カルマ6からの続き

霊魂: その罪はなんとか抜かないと、あの世に行っても向上できないのであるから、そうした技をなんとか広げなければならないに決まっている。

が、それを妨害しておいて、それでもなおかつ、なぜ自分は救われないのかといって文句を言っている。

これでは、まさに、真の神がもし本当にいれば、「そういった者をまず最初に、地上から消してしまわないと仕方ありませんね」となってしまう。

それがまずいのなら、せめて人の妨害をしないことである。

ところが人は、それぞれに自由があるのにもかかわらず、他人の人生に干渉したがる。

何か霊的なことを言えば、またおかしな宗教が出現し、またおかしな信仰に入っていると言う。

大きなお世話である。

人がどう生きようと、犯罪を犯すのではなければ、他人にとやかく言われる筋合いはある訳がない。

まぁちゃん: 昔は神を真剣に求めるということは立派なことだったけど、今じゃぁ、変人扱いだから。

現実からの逃避とか、心が弱いとか言われてしまう。
まいったよー。

うっかり霊魂なんて言葉は言えないんだ。

霊魂: 邪教に入った信者はまだましである。

それは方向が間違っているだけだからである。

教義がやや間違っている、また、その教祖が間違ったことを言っているというだけのことであって、何も信じず無視している奴よりいいに決まっている。

我々霊的な人生の真の目的を「汝の神を愛せよ」と名づける。

その意味はあまりにも深いが、霊的に成長しなければ真偽はわからない。

人ひとり、「生まれて死ぬまでに、これだけはせよ」ということを己の守護霊は全員知っている。

無論、守護の霊魂クラスでは分からんこともいっぱいあるが、とりあえず、より低い人生のテーマくらいは知っている。

その霊感が降りるように生きれば、死後はとりあえず下がらない。



まぁちゃんの一言

人には自由意思というものがあります。

霊魂が言ったように、犯罪を犯すのでなければ、どう生きようと他人がとやかく言うことではありません。

霊的なことを求めるのも自由であるし、否定するのもそれぞれの自由だと思います。

だから、僕も自分の考えを押し付けるつもりはありません。

死後の世界がなければ、人間死んだらそれで終わりだし、もし死後の世界があるなら、霊的な法則にしたがって生きればいいことです。
プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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