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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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講演会は、対話形式ではありません。

まぁちゃん: 人は必ず死にます。
人間は命というものを尊ぶけれども、死に際が大切ということではないよね。

そうなると生きる価値を考えないといけないけど、これがまた個々にいろんなことを言うから、漠然としたものになってしまう。

もし、肉体の消滅が終局でないとするなら、死後のことを含めて考えることになるけど、死ぬまでの間に果たしてやるべきことは一体何なのでしょう?

人の命の値打ちとは?

霊魂: おのれ自身の将来といえる、死後の世界においてのおのれ自身の考えは、地上に生きている時とはまるで異なり、常に人の命自体が石ころのごとしである。

投げれば遠くへ飛び、蹴っても飛ぶ。ダイヤのごとしの輝きは何一つなし。
ただの石…

まぁちゃん: いま地上で生活していると、生き長らえることだけに執着しているだけだから客観視することは難しいけど、実際に死後の世界に入ってしまうと、全く異なった考えになるということだね。

霊魂: 仮に、人が死後別の世界に行けば、上がいわゆる神、仏のごとし。
下がいわゆる地獄のごとし。

もともと地上の図に表せはしないけれども、便宜上わかりやすく表現するとして、ちょうど中間的、標準的世界を位置付けした場合、人は大体それよりも下の世界に最近は入りやすくなってきている。

まぁちゃん: 「それは大変だ!」などと思っても、こういったことを真面目に考える人など少ないから、それが下の世界に向かわせるのかな~?

霊魂: この場合、人の命は大変重い。
こうした暗いおぞましい世界に住むなら、その魂はみな「人のこの世の命は、こんなに重いのか?」と感じる。

が、幸い上のあたりでそこそこ満足しうる世界に入ったならば、地上の命は石ころのごとし。

まぁちゃん: つまりあの世での生活する環境において、住んでる人というか、霊魂の考えがそれぞれ異なるということだ。

霊魂: 人々は常におのれの目で相手を見る。日本人は日本人の目で外国人を見る。
外国人もしかり。

そのため、相手の考えがわからない。

仮に、日本がまだ、ちょんまげをしている時代であった時、今の現代の日本人がさて、江戸の町にやって来たらどうなるか?

その考えはぜんぜん違っている。気狂いのごとしに弾かれてしまう。
「なぜか?」

そのまわりの環境の異なりが考え方を変える。
考え方が異なれば、おのれの常識で相手を排斥する。

まぁちゃん: ちょんまげが一番カッコイイのに、茶パツで寝ぐせみたいなボサボサじゃぁ、笑われちゃうよね。

過去の歴史を振り返ると「昔の人は何をバカなことをしていたのか?」と笑い飛ばすけど、それは現代の人達の感覚や価値感というものがあって、そこにあるより多い考えが常識というものになっているだけでしょう。

人それぞれ微妙に考えは違うとしても、それでも似たような部分もあるから、何とかやって行けるんだよ。

霊魂: つまり死後の世界においても同じ。
人がそのまま肉体の身を脱ぎ捨てあの世に行く。

行った先がたまたま、おぞましく恐ろしい世界であったら、その苦しみは今の苦しみとはまるで違う。

まぁちゃん: どんなふうに違うのかな~?

霊魂: 今なら、最後は自殺するかもしれない。
しかし死後の世界においては自殺できる体がない。

幽体という霊的な身体は物質でないので、ナイフで切ろうと死にはしない。

誰かにいじめられるとしたら、際限なくいじめられる。
まったく心が休まらない。

まぁちゃん: 仏教などでは「地獄」というような所を、身体的な苦痛を味わうような世界として表現しているけど、それは人間にとって「辛いところだよ!」と教えるには理解しやすいのかもしれないね。

人の命と霊的世界の上下2に続く
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人の命と霊的世界の上下1からの続き

まぁちゃん: 死後の世界という幽界においては、肉体がないわけだから、実際はどのような苦しみ?

霊魂: 何しろ物質の身体にあらず。寝る必要もなければ、食事もいらない。

誰かが仮にいじめるとしたら、24時間一時の余裕もなく、ただひたすら相手がやめなければ、それこそ百年でも二百年でも、どこまで行ってもいじめられる。

逃げ場は何処にもない。

そうした世界に来た時、人はしみじみ思う。
「人の命は大切だった・・・」

「こんな世界に来るなんて、もっと生きていれば良かった」

「なんで自殺なんかしてしまったのか?」

しみじみ悔しく思う。が、もうどうにもならない。

一度死んでそうした世界に入ったら最後、もう永遠に光はない。
誰も助けてはくれない。


まぁちゃん: 肉体を持って生活していると霊魂は見えないけど、人は死後、霊的世界に入り霊魂となるのだから、守護霊に頼んで助けてもらえないの?

霊魂: その人にふさわしい世界に住むのである以上、ふさわしくない存在は近くにいない。

まわり中、同レベル。
どこにも天使もいなければ、神も仏もいない。救いはこない。

まぁちゃん: 八方ふさがりってこと?

霊魂: そこから抜け得るとすれば、どこかでおのれが自分自身を叱咤し、何とかはい上がる努力をするしかない。
無論、地上の一年はあの世では百年の努力がいる。

なぜなら、己と異なる性質を持つ、ランク違いの魂には会えないのだから、まわり中同レベルでしかないもの、どこにも助言ひとつしてくれる者はいない。

百年経っても同じ所にいる。

その苦しみに比べたら、地上の何と素晴らしいことよ。

まぁちゃん: きっと自分の力だけで真実を探るようなもので、何だか気の遠くなるような話しだね。

その点、地上においては間違いも多いけど、霊的なことをいろいろ教えてくれる人もいるし、守護、指導霊という存在も力をかけてくれるから楽なんだね。

霊魂: 一方、何とか満足し得るレベルに入った人は幸いである。

なぜなら「寝なくて良い、食べなくも良い」「仕事もしなくても良い」「上司に頭も下げなくてもいいし、生殖もないので子育てもいらない」人は魂と魂で自由に付き合っている。

愛情もあれば満足もある。

つまりその環境に応じた身体が、その環境に応じた意識をつくるのだから、満足すれば十分満足できる。
不満なら不満もできる。何ら問題はない。


そして過去を振り返り
「なぜあんなくだらない世界にいたのか?」

「毎日勉強して、仕事して、洗濯ばっかりして何の意味もない」そこに喜びもない。

「欲しくもないのに子供が出来てしまって、遊びにも行けなかった」

「いや、この家に嫁に来たら、ずっと自分は不幸だった」

「景気が悪いので一方的にリストラされてしまった」

「こんな仕事、一刻も早く辞めたいが生活のために辞めるわけにもいかず、家のローンを払わねばならず、ずっとずっとただ我慢していた」
愚かしい。

「何のために生きていたのか?」

「とっとと死んでこっちに来れば良かったのに…」

「十代の時に自殺すれば良かった」みんな真面目にそう思う。

まぁちゃん: 生きるためには、苦労や我慢が多いからね。
かといって簡単に死んで良いか迷うし、残された家族のことも気になるだろうし…

霊魂: つまり親より先に死ねば親が悲しむ。

そう思うから「死ぬなよ!」と言うだけで、「天涯孤独だというなら、実は早くこっちへくれば良いのに」

別に「小学校から中学校に行くだけで、どうということない」ということになってしまう。

つまり特別霊的なトレーニングをしたという人ではなく、一般的な人で、多少運良く上の世界に上がれた霊魂たちは、みな人の命を何とも思っていない。

それが実感で、今生きている大勢の人達の中で、幸いにも上にあがった人は、死後十年も経てば確実にそうなっている。

そうした霊魂は、誰も「命を大切に」とは思っていない。

人の命と霊的世界の上下3へ続く
人の命と霊的世界の上下2からの続き

まぁちゃん: 人間は現実しか見えないし、「死」というものが理解できないから、恐れるし不安なんだろうけど、上の世界に入れば、今までのことがフッ飛んでしまうほど過ごしやすいのか…

霊魂: さてそこにギャップがある。

つまり地上の人々は神であれ仏であれ、霊魂であれ高級霊魂であれ、すべて己の希望で相手をイメージしている。

高級な霊魂、あるいは神、仏、天使は「必ず人を救って下さるものだ」

さて「自分が死にそうだ!」

「必ずかわいそうにと思って助けて下さる」
と思い込んでいる。

まぁちゃん: 人間にとっての命は大切にしようとして当然だし、死にそうであれば「助けて欲しい」「命を救って欲しい」と考えるよ。

それじゃぁ、霊魂は人間にとって、みんな冷酷と映ってしまうけど。

霊魂: 実際その苦しみ、悲しみ、その重さを感じ得る霊魂は「何とか助けてあげたい」そう感じる。

まぁちゃん: そういえば高級霊と呼ばれている霊魂は、ただ人間の言いなりにはならないと思うけど、心から幸福を願い守護霊となったり、霊的な進歩向上に力をかけてくれるよね。

霊魂: が、先輩達はそうではない。

「自分もちょっと前まで同じだったよ」

「でも、こちらへ来てごらん」

「バカバカしくて何を思い悩んでいたのか?」

「とっとみんな死ねば本当に楽だった」

「原子爆弾でも何でも落ちて、全員死んだら本当に楽園になるよ」と、本気でそう思う。

それが人間達の先輩であり、今生きている人が仮に他界し、普通の人が上にあがったとして十年後にそう思う。

まぁちゃん: ということは、まだまだ霊的なことに対しても理解が浅いし、自分のことだけを考えれば、そのような結論になるのだろうね。

もしかしたら下の世界のことなど、知っているのかな~?

霊魂: つまりは、小学生にとって中学生は大人に見える。
幼稚園児にとって、小学生は大きい大きいお兄さんに見える。

が、おのれが小学生になってみると、どうということはない。

なぜ幼稚園の時に「あんなに小さい事にこだわっていたのか?」さっぱりわからない。
まさにそのごとし。

まぁちゃん: 霊的なことを含めて考えないと、今生きている間の努力や苦労も水の泡になる可能性もあるし、「ただ生まれて死んだだけ」となって、辛い世界に落ちたら最悪だよ。

霊魂: つまり「人はなぜ人がこの世に生きるのか?」
そういったテーマ、霊的な問題、それを知って初めてこの世を生きる意味が出る。


それがないなら、実は「全員死んでくれた方よっぽど良い」それが本当に救いだと考えている。

だから、仮に某神社に火事があったとする。
人は「あんなことをする霊魂は悪霊に違いない!」と言う。

が、そうではない。

彼らはまさに「霊的にならないのなら、生きている値打ちはないよ!」とあっさりそう思っている。

まったく悪霊でもなんでもない。

まぁちゃん: 本来神社の価値は、そこに高い霊的な力が降りてきて、それを地上の人々が受け、霊的に進歩向上するための場所だよね。

本来の意味を失ってしまったんだ…

霊魂: 一方悪霊は神社を死守する。

なぜなら、人々は単にご利益を求めたり、遊ぶだけで来るが、何ら真面目な信仰心などない。
困った時にだけ、いい加減な願いを五円玉ひとつで叶えてくれとやって来る。

その念の質量たるや邪霊、悪霊と呼ばれる類には大変ありがたい。
これを利用しない手はない。
どこにいるよりも沢山人の念がある。

まぁちゃん: 真面目な信仰心などなく、目先のご利益やくだらない願いをかける。
そうした霊的な想念というものが沢山あって、低い霊魂の思うツボってわけだ。

霊魂: 真面目な信仰心などないから、霊的には、ほとんどがレベルが低く、邪悪な霊魂に利用しやすい念ばかり。

そして邪霊は言う。
「この地を排除してどうするのですか?」

「人々の人権を守らねばなりません。人々の命と人権を守るために神社を死守します」

これがいわば低い低い世界から、たまたま地上にやって来れたラッキーな霊魂たち。
その本音。

つまり地上の人達の勝手な考えは常に霊魂の世界を己の基準でみる。

「自分にとってふさわしいこと、自分にとってこうあって欲しい」そうした存在を描いて「神だ、仏だ」と言っている。

が、現実はずいぶんと違う。

だからこそ「願いを叶えてくれた」そう思っていたら、その霊魂が邪悪だったりする。
「まったく無視した」その霊魂が高級だったりもする。

人の命と霊的世界の上下4へ続く
人の命と霊的世界の上下3からの続き

まぁちゃん: 単純に目先のことだけにとらわれてしまうのが人間というものだね。

誰でも自分では良いと思い行動しているはずなのに、結果的には不運を嘆く人が多いのだから、単純に思い通りになることが、必ずしも良いこととは言えないものだし、霊的な向上につながらないのであれば、高級霊が無視しても当然かもね。

簡単に言えば、邪霊にとって人間は遊び道具のようなものだから、消えてしまうのは困るということだよね。

霊的なことを含めた大きな視点から見ると、人類がただ生き長らえることにより、その不幸、苦しみはより深くなるのがわかっているから「消えちゃった方が良い」と考えるのが上の世界へ入った霊魂ということだ。

ここに下の世界と上の世界の霊魂との意識のギャップがあるけど、人間は何も知らないから、どちらかといえば邪霊に引き込まれやすかったり、となってしまう。

霊魂: 大切なのは「人はなぜ生きるのか?」「霊的に生きるとは何なのか?」それを知ること。

それを知らなければ、この世は一刻も早く消えた方がいいし、全員殺した方がいいに決まっている。
先輩達は皆そう考えている。誰も心配していない。

心配している人達を見ながら

「今だけ!そんなことを思っているのは」

「こっちへ来てごらん。すぐに考えが変わるから」

「そんないつもいつも病気ばっかりして、五年長く生きて何になるの?」

「痛い痛いと言いながら、何で生きているの?」
「バカじゃないの??」

これが標準的な発想で、普通の人の上にあがった人達の本音。

下の世界に落ちて多くの霊魂が苦しんでいる。
その痛みを考えてどうしよう?

あるいは、どの道人類はなかなか自滅しないだろう、いっそのこと原子爆弾で自滅してくれれば良いが、自分達の自己保存の為に爆弾はなるべく使用しないようにとするに違いない。

彼らは、そうした自己保存欲のかたまりだ!
よって爆弾は使わない。だからこそ、生き延びてしまう。

とすれば、人類の悩み、苦しみ、不幸は永遠に続き、その競争社会において相手の幽体を極端に痛めつける。
死後はどんどん下の世界に入り、どんどん更なる苦しみが生まれる。


まぁちゃん: 人が霊的に目覚めることがないと何も変わることもなく、さらなる不幸につながるけど、だからといって一度に消滅してしまうと、いろいろ問題も多いと思うけど…

霊魂: これをそのまま放っておくべきか否か?
何とか変えたいと意識をかけてくるのは、ずっと上の方の霊魂。

つまり、高級な霊魂の弟子として地上に降りてくる魂は、そうした意識を持っているが、ちょっと前まで人間であったような魂では、ちっともそんなこと全く考えていない。

まぁちゃん: 霊魂でも、ちょっと先輩の霊魂と、いわゆる高級霊とされる霊魂でも、考えが異なるわけだ。

霊魂: 良い霊ほど人の命を軽く取る。

悪い霊ほどけっして軽く取らない。とことん苦しめる。
とことん遊び尽くす。とことん意地悪をする。

そしてどうせ死ぬから、そしたら下の世界へ引っ張って行く。

それだけ霊的な交流が長ければ、高級な霊魂が入り込む余地はなく、確実に下に引っ張れる。

それが「人権」や「平和」そうしたことを尊ぶ人達の背後で暗躍する邪霊である。

まぁちゃん: 人が仲良く暮らすことや、他人をいたわる気持ちは大切だけど、邪霊はある意味では賢かったりするし、人間というものを知り尽くしているから、人間が好むようなもっともらしいことを言ってそそのかしたりするんだ。

人の命と霊的世界の上下5へ続く
人の命と霊的世界の上下4からの続き

まぁちゃん: 人間から見ると、霊的世界や霊魂達の考えは納得いかないけど。

霊魂: 人々は己を中心にものを見るが、法則はそのように出来ていない。

法則は人がどう見ようと、最初から同じ。
原始時代でも今の時代でも法則はひとつも変わっていない。

人が飛行機を飛ばし、飛べるようになったのは、原始人から見れば、とんでもないこと。
法則をまるで変えたがごとし。

が、何も変わっていない。人は法則の利用の仕方を知っただけ。
昔から、ひとつも変わっていない。

物的法則も霊的法則も何も変わっていない。
変わったのは人々の考え方だけである。


まぁちゃん: 時代や環境により人々の考え方は異なるけど、普遍の霊的法則を知ることが、何より大切なんだね。

ところでこの霊的法則って、わかりやすく言うとどんな感じかな?

霊魂: 人の身体が通常、老年期になると、いずれは次の世界に行かざるを得なくなるのだから、自然に準備をはじめる。

そこで使う身体は当然、いずれそれが己の表面の身体になる。
それが幽の身体、幽体と呼んでいる。

この幽体が、仮にあの世に行ったとして、「どんな世界へ行くのか?」

例えば、肉体がそのままあの世に行けば、その肉の身体、その肉の脳、肉の意識がそれからの世界での全ての基本となる。

当然、肉体を持ったがゆえに行ってきた行為、それらの責任はすべて肉の心にあるが、肉の脳がなくなってしまった。

さて、「その責任はどこに?」
やってしまったことは、もう戻らない。

まぁちゃん: よく地上においての善悪というものを基準にして、あの世の行き先が決まるように言われているでしょう。

となれば霊魂となってもその罪を背負ってゆくことになるけど、人の考える善悪もコロコロ変わるけど?

霊魂: 仮に、生きている間に誰かを殺した。

とすれば、その罪はもうどう償うといっても、死んだ人が生き返えるでなし、仮に誰かの子供を殺してしまった。

さて、その親の悲しみが、どう償っても、刑務所に何年入ったからといって、それで悲しみが消えるわけもなし。

どうにもならない。

さて、人があの世に行った。もう、肉の脳はない。

「この人の罪と功はどう判断すべきか?」

さて「どんな裁判も何を判定して良いのやら…」

「もし肉体を持つことがなければ、この人が泥棒などしただろうか?」

「いや、しなかっただろう…」

「家族が食べられないので、やむを得ず私は殺しました」

「やむを得ず人の物を取りました」

「今は肉体がないので、もし最初から肉体などいらない世界だったら、私は決してそんなことはしませんでした」

「それはそうだ」

「食わねば生きて行けぬのだからな」

「では、生まれたのが悪かったということになる」

「そうです。私を生んだ親が悪いのです」

「さて、あなたはその親の所へ了解して生まれたのか?」

「いいえ」

「そんな人も世間にはいるらしいですが、それはよっぽど偉い人の話しで、われわれ庶民はそうではありません」

「気がついたら、生まれていたそうです」

「何しろ、私の知り合いなど、十五、六の男の子と女の子の間に出来てしまって、育てるも何も生まれてすぐ殺されてしまって捨てられてしまったそうですから、そんなもの約束などしている訳がありません」

「まぁ、それはそうだ」

「ですから、私は親が産んでしまったのでこの世に来ました」

「そうでなければ、あんな貧乏な家に生まれることはなかったし、泥棒に育つこともありませんでした」

「何しろ、家は貧乏だったので、小さい時からとにかく食べることに必死でした」
「人の足を引っ張らないで生きるなんて、初めから出来ませんでした」

「気がついた時には、もう私は普通の世界にはいませんでした」

「世間からは常に、あいつは犯罪者の息子だと言われていましたから、どこも就職などありませんでしたし、結局は私も同じように刑務所に入っていました」

「が、罪は十二分に刑務所で償いました」
「私は下の世界になど落ちるいわれはありません」

「なるほど・・・」
「ではお前は一つも悪いことはしていないということになる」

「そう思います」

そうなった時、果たして「上に向いているか?下に向いているか?」

人の命と霊的世界の上下6へ続く
人の命と霊的世界の上下5からの続き

まぁちゃん: 地上の裁判であれば、生い立ちを含め恩情判決ということもあるかもしれないね。

考えてみれば、生まれて来なけりゃ罪は犯さなかったかもしれないし、ちゃんと刑期を終えているのだから、どうなるの?

霊魂: 当然世の中とは違い、「霊魂学」ではそんなところは一つも見ていない。

「この幽体がどの世界にふさわしいか?」ただそれだけ…

まぁちゃん: ずいぶんあっさりして、場合によっては不公平というか不条理に感じるけど…

だから法則なんだ!

霊魂: ふさわしい所に、本人の幽体の質と同じ世界に行くだけ。

そこに行くと、たまたま同じような質を持った人達が一杯いる。
厳密には霊であるが。

その人達が善人なら良かったけれども、悪い人ばっかりだったら意地悪される。
それだけのこと。

上にも下にも「誰と比べて上か?誰と比べて下か?」というだけの話。

ずっと上から見れば地獄のごとし。ずっと下から見たら極楽のごとし。
一般的な人は常にこんなもの。

まぁちゃん: 幽体といっても霊的な身体のことだから、よくわからないけど、人によってどのような違いが出てくるのかな~?

霊魂: この幽体は実は大きな問題を抱えている。
なぜなら、夫婦がいて「さて、お母さんが妊娠した」そして子供がお腹の中にいる。

この時「どんな子供がやって来るか?」もちろん形は肉の遺伝でしかない。
肉体的にはいろいろな遺伝が詰まっている。

が、この段階であの世から引っ張られてきた幽的、霊的な性質、この性質が問題になる。

まぁちゃん: つまり、肉体とは別の人間の霊的部分は、実際の親から引き継ぐということではなくて、あの世の霊魂の幽体の一部が再生して肉体に入ってくるんだよね。

それじゃぁ、すでに霊的な高低は決まっているのかな?

霊魂: たしかに良い所もある。悪いところもある。
そうした性質で、幽的世界にいた細胞の一つが地上で誕生するが、この段階ではただ引っ張られただけ。

そして通常それほど低くはない。

なぜなら結構レベルが高くなっても、人間には未熟な部分、高級な部分があり、当然、より未熟な部分も若干皆あるものである。

よって地上にもかなり上の方からでも、生まれる場合は生れる。

まぁちゃん: 地上に生まれてくる人は、未熟な部分と良い部分を兼ね備え、霊的にそれほど低くはないのだから、そのまま死んで上の世界に行けないの?

霊魂: が、問題はこの幽体がもともと霊的に高くも低くもない幽体だったとしても、不調は別である。

つまり肉体で言えば、身体は「大きい小さい」「太っている、やせている」「強い弱い」はあるけれども、どんな強い人でも、たまたま胃が悪い時、たまたまカゼをひいている時、いろいろある。

まぁちゃん: もともとの性質はとりあえず別としても、霊的な状態というのは、常に変化しうるしということだね。

霊魂: では、お母さんがたまたま幽体に不調があり、特にお腹のあたりにあった。

それも当然あり得ることである。この場合、中の赤ちゃんは不調をそのまま受けて育つ。

また、母体のお腹に大切な霊的な「幽気」と呼ばれるものが全然ない。
となれば子供の「幽気」が当然不足する。

赤ん坊の肉体であれば、お母さんから物質的な栄養をもらう。
当然幽的な力ももらうはずだが、その幽体が力を持っていない。
そして誕生する。

この赤ん坊が成長してまたお母さんになると、また同じことを繰り返すことになる。

つまり、地上に引っ張られた段階では、それほどレベルの低い幽体ではない。
もちろん母親にも同じことが言える。

なのに不調があった。
すると産まれた段階で幽気がちっともない子が産まれてしまう。

まぁちゃん: そういった不調がどのようなことにつながるの?

こうなると、幽体から発するオーラが出ない。
当然、高級霊の目に止まることもないし、悪い霊魂が山のように寄って来る。

その後の数十年、当然幽体の質は明らかに落ちて行く。

まぁちゃん: じやぁ、わざわざ霊的に下がるために生まれて来たようなものだよ。

霊魂: つまり一代、二代、三代といくと、幽体のレベルと言うか、高い低いと言うか、そうしたものがどんどん落ちていく。

このままの状態で死ねば、みんなず~っと下の世界に一直線。

ということは、この不調がすべての原因。

この不調を治しておかなかったばっかりに、子々孫々に至るまで大変困ったことになる。

ここに問題がある。

人はもともと魂として、そんなに低くなくっても、その幽体は魂ではないので、その幽体は魂の質を反映しているに過ぎず、身体そのものなので、こうしたことが起きてしまう。

まぁちゃん: もともと本質的には低いとはいえなくても、幽体という身体の不調や霊的状態が悪くなれば、必然的に低い霊魂に寄られ、霊的に良い影響もなく、下の世界に落ちて苦しんでしまうのか…

幽体を健全にすることが何より大切だ。

人の命と霊的世界の上下7へ続く
人の命と霊的世界の上下6からの続き

まぁちゃん: たとえば、一緒にいる人の霊的影響ってあるのかな?

霊魂: 当然お父さんの影響も考えられる。

なぜなら、夫婦であれば常に一緒なので、幽気がお互いに影響し合う。

仮に父親の幽気が強ければ、若干の不足は自然に補えたりする。
また、逆もしかり。

つまりは、人は生まれて死んだ時に幽体の質が下がっていく。
それは現代社会では常識である。

なぜなら幽体の質が向上するようなことを、生まれてから死ぬまで一度もしないので、下がって当然。

どんどん下がる。

ということは人類は長い歴史において、長く生存すればするほど、死後入る世界が下がってゆくことになる。

つまり死後の世界では、邪霊とその一味が、どんどん増えていって、上はあまり増えない。こういうことになる。

そうすると「消えた方が良い」という説が出るのである。

早い話が、生まれてから死ぬまでに、一度も霊的に幽体が上の方に向上させていない。
何もしないのであるから、行くべき死後の世界をどんどん暗くする。

たまたま、頑張って上の方にせっかく上がって来た霊魂の一部をもらって、地上にまた引きつける。

せっかく上の方にあがって来たのに、己の一部が地上に生まれ、結局また下がっている。
順番に下がっていく。

まぁちゃん: 人間が生殖することにより、霊的に進歩した霊魂の一部が地上に引きつけられ再生し、現実問題として物質の世界は霊的に進歩向上するような環境ではなくなっているため、悪循環になってしまうのか…

そうであるなら霊的に生きなければならないけど、肉体を持つ人間が霊的に生きることは、とても難しいように思えるけど。

霊魂: 人間はどんな風に生きても、所詮サルの進化に過ぎず、食べて寝ているだけ。
そして子孫を増やしているだけ。

なぜなら肉の身体は、そんな風にしか出来ていない。
初めから…

もしも人が全く教育を受けずにただ生きていたら、必ず弱肉強食の世界となる。
「人」に成るとか言って、人という字を説明するが、「なぜか?」

まぁちゃん: それは、物質の世界に生まれるということは、動物の進化に過ぎない身体に入るからでしょう。

社会の中でお互い共存するためには、教育でもしなければ、まともにならないから。

霊魂: 自然に生きていたら赤ん坊は生きる為に、オッパイを吸うことしか絶対考えていない。

お母さんも育てることしか何にも考えない。
お父さんはそれを守るために、金を運んでくることしか考えない。

「この子が大きくなるにはどうするか?」
とにかく「食べること」「生活すること」あとは「人を押しのけること」しか考えない。

それは将来、社会を暗くすると人間は考えて教育するのである。

人の命と霊的世界の上下8へ続く
人の命と霊的世界の上下7からの続き

まぁちゃん: 何のルールや規範もなければ、みんな好き勝手に生きるだろうし、結果として強い者が勝り、弱いものが苦しむのが必然だからね。

霊魂: つまり強い子が弱い者をいじめる、これを認めてしまうと、将来は本当に力のあるものだけが幸福になる社会になる。

そこで「みんな仲良くしましょう」「道徳倫理を学びましょう」「悪いことはやめましょう」「法律は守りましょう」と教える。

まぁちゃん: 最近の教育というものは、人としての教育が希薄になって、学問重視の感じを受けるけど、ある意味では大人になってから困ってしまう人も多い気がする。

霊魂: 子供はその時点で、大人と同じような理性も育っていなければ、判断力も育っていない。
つまり肉の脳が、そんな風に進化して来なかった。

その判断力が出来るのが中学生、高校生になってから。
それまでは動物のまま。

少しずつ判断力も理解力も理性も全てついてくる。

よってそれまでに教育して行かないと、いわゆる人にはならない。

ならないということは、人の本質は実は弱肉強食「己が生きる、人は死ね」これである。

大きくなってから、理性とか頭脳とか、そうしたものを使って、おのれたちが生きやすい社会をつくろうとする。

その時に「教え」というものが出る。
その「教え」で社会を安定させる。それが人間である。

まぁちゃん: 現代では、どんどん細かなルールが増えてきてしまっているけど、単純に「教え」だけでは社会の安定が保てなくなっているからなのかな~?

ところで、どんな立派な教えも、あくまで「教え」でしかない以上、絶対ではないよね。

霊魂: もちろん、環境が変わると「教え」が変わる。

つまり男が力を持っていれば「女は男に従え」、殿様が力を持っていれば「臣は殿様に絶対忠誠」これが正義。

が、社会と環境が変わると、男女が平等で殿様も町民も平等になる。
また社会が変わると再び変わる。

たとえば「あらゆる生命は皆平等だ」と言うと、動物の生きる権利を保障することになり「人間は国土の半分だけを利用しよう。

あとの半分は動物に開放しよう」、必ずこうなる。

まぁちゃん: となれば、何が良いのかさっぱりわからないけど、人間というものは、やたらと自分を他に押し付けるところがあるけど、その根本はなんだろう?

霊魂: 要するに「人間だけが自然を壊してしまいそうだ!」つまり、おのれを守る自己保存のために「自然を守ろう。そのために動物を生かそう」それだけのことで、人間の本質は何も変わってない。

「人が生きるとは何か?」放っておいたら弱肉強食でしかない。
かならず強い者が弱い者を殺して、己が一番だというサルの社会と同じ。

それでは困るというので教育をする。

その教育をしてきたのが誰かと言うと、いわゆる宗教の教祖達である。
キリストであったりブッタであったり、いわば孔子であったり老子であったりする。

つまり人々を導く人でないと、国家が決めても誰も信じない。

なぜなら、考え方は常に反論がある。
「殿様に従いなさい」それを言うと必ず抵抗する人達が出て、これを宗教家が言うと、人は皆ついてゆく。

まぁちゃん: そういえば、国会議員の人気は長続きしないからね。

人の命と霊的世界の上下9へ続く
人の命と霊的世界の上下8からの続き

まぁちゃん: 宗教家に支持する人は、多少不評が生じたとしても政治家のそれとは異なるように思う。

説得力が違うのかな~?

霊魂: なぜなら、そこに神や仏や天や何かしら、人にはない何かを発見するがために信じるのである。

が、どこかの政治家が言っても、違う政治家が必ず反論する。

人間の脳で考えたことは所詮その程度。必ず反論がある。

そうすると国が二分して戦争につながる。
国が何を言っても、人々は決して従うことなどない。

そこで登場するのが、必ず宗教家という人達。

これが世界を変えて、ずっと現代に至っている。

もしその人達がいなかったら、人類はいまだに弱肉強食でサルの社会をつくっている。

一番強い者がエサを全部食べる。あとは残ったものを食べる。
別に強い者が出たらその人は、追い落とされておしまい。

これが人の社会。そしてそれは肉体を持つがゆえの性質。

では、「なぜ人間は、それでは嫌なのか?」

まぁちゃん: 動物と思えば人間も同じような気もするけど、やはり異なっているよね。
知能が違うと言う人もいるけど、本当かな?

霊魂: それは霊だから。
人は霊というものを本質に持っているので、それだけでは常に嫌なのである。

そこで、人はたとえどんな社会でも良いから、霊的な満足を得ないと、生きられないように本当は出来ている。

なぜなら、どんな原始社会でも人は神を崇めてきた。

「なぜか?」

その脳にそうしたものが組み込まれているからかもしれないが、そればかりではなく、霊的な感性がはじめからある。

地上に生まれた時、ただの肉の身体だけではない。
人の霊的部分が地上に入っているのだから、幽的な感性は最初からある。

まぁちゃん: そういえば、生まれた家や環境など関係なくても、宗教的なことを求める人もいるよね。

なぜか見えもしない、聞こえもしないのに高貴な存在を求めようとするのが、霊的な部分の感性か!

霊魂: それが、最初から神を求めようとする。
ということは、元々いた世界では、それが前提だったということになる。

よってどんなに科学が発達しても「なぜ宗教が滅びないか?」

それは人の本質そのものだから。

あらゆる物理法則が「神は絶対にいない」「霊は絶対にいない」と言ったとしても、それは物理的にそういう結論が出るだけで、己の霊的な部分は、常にそれが間違いであるとわかっている。

それは、それまでの宗教や霊に対して主張する人達が、残念ながら「そこまで知恵がなかった」というに過ぎない。

まぁちゃん: 現代でも、いかに科学が進歩しても、霊の存在を認めようとする人ってかなりいるみたいだし。
信仰心とは別かもしれないけど…

霊魂: 現実は常に存在していて、「霊的に生きるかどうか?」が地上に生きている意味そのものである。

つまり奴隷の社会にいても原始社会にいても、封建社会にいても、霊的に高い人は高い、低い人は低かった。

まぁちゃん: 大切なことは、たとえどんな環境であっても霊的生命体としての人間が「霊的に生きることができるか」なんだね。

人の命と霊的世界の上下10へ続く
人の命と霊的世界の上下9からの続き

まぁちゃん: 「教え」というのは、時代やその環境において人々の考えは異なって当然だから、それに即したものなんだ。

霊魂: たとえば、昔は「殿様は絶対である。私に忠誠せよ」と言っていた。
それは今の人達から見ると平等ではないから、大変悪い人となる。

「あんな悪人!」といっても、その時は一番良い人だった。
善人と呼ばれていたし、立派な殿様と呼ばれていた。

あるいは妻を虐げていても「あの人は人格者だ」と言われていた。

では「その人達が極楽に行ったのか?」

今の感覚でみると、たとえば山のようにあっちこちに奥さん以外の女性がいっぱいいて、常に泣かせていた。

が、その当時のしきたりでは、当然金持ちはみんなそうであった。

さて、この人は大変な善人として地上を去っている。
が、現代人は「そうした面が悪いところだった」と言う。

まぁちゃん: 昔であれば上の世界に行って、現代なら下に落ちるというわけでもないよね。
「難しい!」

霊魂: 今たとえば、平気で蚊を殺しているが、蚊を殺さずに生きられるような発明ができたなら、未来の人は必ず言う。

「昔の立派だと呼ばれている人達は、平気で蚊を殺していたそうだ」

「蚊が嫌がるガスをちょっと出せば、蚊が絶対寄って来ないのだから、殺さなくて済むのに…」

「あの時代は、どんなに立派と呼ばれている人も平気で虫を殺す」

「そうしたガスを出して殺していたそうだ」

「悪いねぇ~。先祖は全員悪党だ!」となる。
必ずそう言われる。

さて、原始時代は他の部族が襲ってくる前に、先に襲って全員殺して首をハネる。
そして首を神々に捧げる。

「あぁ、こんな立派な人はいない」そう言っていたのである。

「生けにえを捧げよう。村から娘を二人さらって来い」そして、生けにえとして捧げた。

それが最も立派な行為だったのである。

「本当に悪かったのだろうか?」

まぁちゃん: 現代においては、そういった行為を賞賛すれば、袋だたきに合ってしまうけど、その時は当然の行為だったのでしょう。

霊魂: 今の人は明らかに悪いと言う。
が、それは教えを説いた主が悪いと言ったから悪かった。


教えを説いた主が「いや、一夫多婦制でもかまわないよ!」そう言ってたら良いのである。
現実にイスラム社会ではどうということはない。
それだけの基準。

まぁちゃん: とりあえず人間の考える善悪など、絶対ではないというわけでしょう。
となれば善行、悪行というものがはっきりしないけど、霊的には関係なくなるのかな?

霊魂: 霊的な現実はそうではなく、霊的社会においての尺度はハッキリしている。

肉の身の人間が何をしようと、所詮肉の体を持つがゆえの行為でしかない。
善も悪も全く関わりなし。

単純に魂、幽体、「進歩向上か、退歩か」これだけ。
何ひとつ基準なし。

なぜなら、肉は弱肉強食のように、はじめから出来ていて、強い者が弱い者をいじめるように、はじめから出来ている。

そういう身体に入っておいて、今さら善も悪もあるか!
最初から、それが前提で生まれて来ているのである。

が、それでは暮らしにくい。相手の幽体を傷つけてしまうので教えが出てくる。

が、教えが違えば言うことが真反対。となると普遍の真理は絶対これではない。

これは偉い人が言ったから正しく見えるだけ。

まぁちゃん: 人が暮らしやすい安定した社会をつくろうとすることは悪いことではないよね。

ただし、霊的な真実とは別に、教えというもは所詮、時代と共に変化し得る流動的な部分が強いのであって、 それが普遍的なものでないとすれば、霊的にはあまり価値がない場合もあるということだね。

人の命と霊的世界の上下11へ続く
プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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