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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 神や仏という高い存在が仮にいるとするなら、そういった存在を信仰する意味はなんでしょう?

霊魂: 大切なことは人が想い、を発する時、その念というものには力があります。

肉体の目に見えなくても確実に幽的世界では人を攻撃します。
それほど力を持っています。
大事なことは物質界に法則があるように、霊魂の世界にも法則があります。
法則を知らなければ何を語っても正しくはありません。

仮に大勢の人が正しい道徳的人生を送っていれば、「神はいらない、仏はいらない」といったとしてもそれはウソです。

なぜなら霊的な世界に、霊魂がいて成長した霊魂、未熟な霊魂がいる時、もっともっと成長した霊魂、それを神や、仏とか呼ぶとすれば、それは必ずいます。
ただ地上には関わってきません。また、来る必要もありません。

その結果、どれだけ人々が呼んでも、仮に十字架に誰かがかけられて「神様助けて下さい」と信者が1万人祈っても神は何もしません。

まぁちゃん: それだったら、神様に祈ることは意味がないんじゃないかなー。

霊魂: だからといって、神はないのか、あるいはそれを信じることは間違いなのか?
それは違います。

なぜなら人々が念を出します。
「神にキリストを助けて下さい」と盛んに念を出します。念は力です。

もちろん神になどには届きません。
しかし、仮に神、仏が低い存在とするなら届きます。

まぁちゃん: 人は神や仏についていろいろ語るけど、もともとその存在を知らない人間が考えていることだから、その定義が難しいよね。

霊魂: 霊魂の世界には上下があって、上の方を神、仏と呼び、下の方を悪い霊魂、真ん中の方に人間がいるとするなら、上の方を神と呼んでいる限りは、上に届く訳がありません。

せいぜい先輩の霊魂の霊魂にしか届かない、これが念の法則です。

つまり、熱心な信者が1万人で呼んでも絶対に神には届かない。
これが法則です。

まぁちゃん: それなら、はじめから神を祈らず先輩の霊魂呼べばいいのに。

霊魂: いやそれでも神を呼べとある方はいいます。
それはなぜか?

思いが届かなくても上に向いていると、念の法則は、仮に高い霊魂達が何か霊的な力を降ろしたという時、この念を利用します。
つまり物質の世界には霊的世界との接点がありません。
接点がないのに何を祈ってもほとんど何もできません。

それでも念を出していれば、この自由意思による念、その跳ねかえりとしての幽気と呼ばれる空気のごとしが降りていきます。
これが幽体の栄養になります。

まぁちゃん: 人間の神や仏を求めるという自由な意思が、霊的な身体の栄養になるのか。

霊魂: だからイエスは言うのです。
「汝の神を愛せよ」

これが一番大切であり、「汝の隣人を愛せよ」よりも大切であると。

どこかの人は「こういう宗教がなくなれば世界は平和になる」と言います。

が、世界など平和にならずとも「汝の隣人を愛せよ」よりもより大切なのは「汝の神を愛せよ」なぜそう言うか?
念、想いこれが法則として力を生むからであります。

まぁちゃん: 霊的に考えると、信仰とは大事なことだったんだ。
だから、イエスキリストは強く主張したんだね。

信仰と霊的法則2へ続く
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信仰と霊的法則1の続き

まぁちゃん: ところで、幽体の栄養になるっていうけど、栄養がないとどうなるの?

霊魂: 幽体に栄養を与える、これが人が死んだ時、上に上がるか下に下がるかを決めてしまいます。
つまり下がってしまうとなかなか幸福になれない。
これは皆知っています。とりあえず上へ行かないとなかなか幸福にはなれません。

現実の問題として、たとえ偏見のかたまりで、キリスト教以外は頭がガチガチでどうにもならない人と、寛容で人格のある立派な人、ただし宗教など信じない。

さて、どちらが上に行くか?

まぁちゃん: あまり狂信的になり、考えが柔軟じゃないのは良くないと思う。
たとえ信仰などなくても、人格のある人だろうね。

霊魂: いざ死んでしまうと、キリストのことになると、まるで頭をかき乱して怒って他人に怒鳴りちらす。

なんと、心の狭い人だと思えるような人が上に行きます。
死後人格者は下にいて、信仰者は上にいます。

現実の問題として、どんなに心が狭くても信仰者は上にいる。この事実を私が知ったとき、本当はビックリしました。

なぜなら、イエスキリストとたまたま一緒の時に生まれて側にいたという人と、そうでない国に生まれた大変な修行をして、大変な人格者であった、座禅を朝から晩まで繰り返し、大勢の人を助けた。

その人と死んだ時にどっちが上にいるかと言うと、何も知らずに、ただキリストの後をくっついていた人が上にいます。
本当はショックでした。

まぁちゃん: そりゃ、世の中の人はみんなショックだよ。
すごく不公平な感じがするけど。

霊魂: 私などは日本の古い修行などをしておりましたので、大変馬鹿げていると感じました。

しかし、考えてみると当然でした。
霊魂の世界は地上と同じように法則があって、その法則は万人に平等だったのです。
物質の世界では「物は上から下に落ちる」ように、人はその事実を知った上でものを語るべきです。

どんなに偉い先生が「物が上にいった方が良いよ」と言っても、上には行かない。
この事実を知った上で語らねばならなかった。

朝から晩まで瞑想していても、イエスの側にいてただ泣いていた信者にも勝てなかった。私はそれが分かった時、やっとひとつ進歩しました。

まぁちゃん: 人間は霊的世界のことはわからないから、どうしても地上的観念で物事を考えてしまうけど・・・。

霊魂: つまり大切なのは法則を知ることだったのです。
考えてみると、いつもイエスの側にいた人は、たとえ間違った考えをしていても、念を出し、幽気を受けています。

この幽気が他の地上の誰よりもレベルが高い。
である以上、自然に気がついた時には他の人より上にいます。
これが現実です。

千年瞑想し、千年座禅した人でも全然かなわない。

考えてみると瞑想しようと座禅しようと、念がどの程度出ているかはともかくとして、イエスのまわりには、こんなにものすごい幽気があっても、この人の関係ない所で瞑想していた人には実は何も入っていない。

意識は自分では「神になった」と言ってはみても、どうにもならない。

信仰と霊的法則3へ続く
信仰と霊的法則2の続き

まぁちゃん: どんな指導者のもとで修行するか、その指導者の力量がとても大切なことなんだね。

霊魂: 霊的世界の法則さえ知らない指導者のもとで、何十年修行しても入るのは邪気ばっかり。
それが現実!

同じようにイエスの下で1日中泣いていた人は、死後かならず上にいる。
なぜなら、あの世に行くと地上のことは何も通用しない。

食べずにすむ。寝ることもなく、仕事もしない。

さて、地上のどんな知識も、医学の知識も政治の知識も関係がない。
もう役にたたない。

世界が違う。

役に立つのは神を求めて出した念だけ。それしかない!!
それが本当だった。

私は昔、いちばん以外に思ったのは、ヨーガ、仙道とか、そうした修行の人達には非常に偉大な人がたくさんいると考えたが、ではなぜ、その中でも一番偉大だと思ったイエスが、そうした霊的なトレーニングを行わずに、ただ神ばかり語ったのか疑問だった。

まぁちゃん: キリスト教の霊的なトレーニングなんてあまり聞かないよね。

霊魂: 無論、時代がそれを必要としたからではあろうが、その訳は霊魂に聞いてはじめてわかった。

幽気、幽体、これらはすべて事実として法則をもって流れている。
誰が何と言おうと事実は変えられない。

親孝行するか、あるいは殿様に孝行するか、社長に孝行するか、「これのどれが一番いいことでしょうか?」といえば、偉いお坊さんが親孝行だとか、殿様の孝行が正しいとか、いろいろ立派な説教をして下さる。

が、そこに法則はない!

まぁちゃん: そういったことを教えてくれるのは、間違いだとは思わないけど、それは地上での生き方の問題だよね。

大切なのは霊的なことを含めてどう生きればいいかでしょう。
そういったことを教えてくれるのは宗教的世界しかないのだから。

霊魂: 霊魂の世界ははっきりとした法則がある。どうすれば上に上がるか、どうすれば下に下がるか。

あるいは人間は幽体を持っている。
幽体はどうなるか、肉は将来どうなるか。

意識の中で過去世の記憶がある。それがいつ出てくるか。

それによってこの人はどんな人生を送るか。

これは全部、事実として詰まっている。

無論いつ、どんな意識が過去からよみがえってくるか、それは不確定。
決定はしていない。

しかし、年を取るに従い、必ずそういった意識が出てくれば、どんな行為をするかは予測はできる。
そしてほとんど外れない。

それを考えるならば、大切なのは事実と法則を知ること。
教えはその次でいい。

信仰と霊的法則4へ続く
信仰と霊的法則3の続き

まぁちゃん: そうそう!!
現代人は特に、「ただ神を信じろ」とか言われたってピンとこないんだから、事実と法則を知るべきなんだよ。

霊魂: 人々がもっとも間違えているのは、ただ自分を信じれば救われますという、まさに自分を神格化するとんでもない奴。

まぁちゃん: たまに、こういった変なやつがいるんだよ。

霊魂: 実はこれが最も大事。
一番正しいのは私だけが神で、あとはみんなアホだ。
これが正しい。

まぁちゃん: エッ、なんでー!!

霊魂: なぜなら、みんな正しいということなどあり得ない。こっちは、死後の世界は心の中にあると言っている。

神は心の中に存在する。死後の世界は三つに分かれている。

人間の体は五つある、霊的な身体が五つある。
いや、幽体しかない。

まぁちゃん: 考えてみれば、世の中にはいろんな宗教があるし、同じ宗教でも宗派によっても言っている事が違うからね。

霊魂: さて、みんな考えが違うが、1個正しければ、あとは全部間違っている。
全部正しいわけがない。
よって信念を持つ宗教家は必ずいる。

「私を信じよ」、あとはみんなクズ。これが本当である。

カルト宗教と呼ばれるような教祖は大変立派である。
あんな立派な先生はいない。
実はそこに難しさがある。

つまり、皆がなぜそれを言わないかというと、間違えれば刑務所行きになってしまう。
まさしくそうなる。

イエスキリストもカルト教祖も自分ばっかりが偉いという。

その区別がほとんどつかない。それで困る。自分のところで修行すると理想社会になってくる。
他に道がないと言う。何にも変わらない。

偉い人や、専門家は違いがわかる。
しかし、初心者はよくわからない。

だから、できれば全部消してしまった方が、何もわからないで消してしまった方がよい。
これが、今の世の中の流れ。

千あれば、百はまとも。あとの九百だめかもしれない。

が、百のまともの為に、九百の異常は困る。
なら全部消してしまった方が楽だ。これが世の中の流れ。

しかし、それでも、事実はひとつしかない。
もしそうやって消せば、誰も想いを出さず、誰も幽気を受け取らない。

信仰と霊的法則5へ続く
信仰と霊的法則4の続き

まぁちゃん: たしかに宗教を名乗り犯罪や詐欺行為が増えれば、宗教に対して警戒心や嫌悪感を持つ人が増えると思う。

いっその事、宗教なんて全て無くなれば良いと考えてしまうと、具体的にどうなってしまうの?

霊魂: 誰も守護の霊魂の目には止まらない。
皆、止まるのは悪い霊魂の目に止まるだけ。

人がどれだけ、神や仏を無視しても悪い霊魂は寄ってくる。高い霊魂は寄れない。

人が自由意思で「ヤダ!」と言っているのに強引にその意思を無視などできない。
が、悪い霊魂は平気で寄ってくる。となるとどうなるのか。

それはもう、世の中邪霊だらけで、高貴な霊魂は寄るはずもなく、世界中邪霊に満ちてしまう。

皆、幽体が汚くなる。
ということは人類の歴史上始まって以来、全員で地獄へ落ちる。そうなる。

まぁちゃん: それじゃぁ、今まではどうだったの?

霊魂: どの国でもたとえ聖職者といわれる人達が、裏でインチキをしていても、教会もあった、寺もあった、宮もあった。真面目な信仰者もいた。

その上で、そうでない人もいた。

が、今は全部消してしまうという時代なので、高級な存在が何か力を与えたいと思っても、与える機会がひとつもない。
たとえ、裏でどっかの神主が金儲けや、悪い事をしていても、そこに神社があれば、次の神主がちょっとまともなら、真面目な人が来て、真面目な力が降りる可能性がある。

それなのに、それを消してしまったら、何もない。

信仰と霊的法則6へ続く
信仰と霊的法則5の続き

まぁちゃん: たとえば、人が集まり、幽的に良くなるというのはどういう状態なの?

霊魂: 幽気が良くなるということは、そこにいる人達の幽体がお風呂に入っているがごとし、シャワーを浴びているがごとし、森林浴をしているがごとし。
幽気が爽やかに広がっている。

それが人が集まるという意味。だから神社がいる。だから教会がいる。

そこに常に自分だけでは得られない、力があるからそれを皆が受けに行く。
無論、立派なお説教も大変結構である。
そのために幽気が必要である。だから、宮もいるし、寺もいる。

まぁちゃん: 人々が思っている以上に、教会やお寺、神社に集まる事は大切なことなんだ。

霊魂: 我々霊魂は、唯一地上に霊的な事実を示せると自負している。

はっきり言って、我々だけが霊魂を示せる、あとは誰も示せないと思っている。
そうでなかったら、世に出る必要はない。

人間がひとりでいくら瞑想して偉そうなことを言ってみても、決して本当の力は得られない。

なぜなら、我々霊魂は他の第三者に何らかの力を示して欲しい、幽的に誰かを救って欲しい。
そう思うから霊魂達は力をかけてくる。

自分だけ修行して救われればいいのなら、その程度。
その人の守護霊で終わり。それ以上どうということはない。

まぁちゃん: 霊的なことは多くの人が知らないことなのだし、それがとても大切なことだと考えているから、霊魂が協力してくれるんだね。

霊魂: どんな立派な人でも関係がない。
その人が他に何らかの影響を及ぼしてくれると思うから、大勢霊魂が降りてくる。

それまでの平安仏教で救われるなら、鎌倉期に親鸞が出る必要がない。
日蓮も出なくてもいい。

それで、救われていれば・・・。

それではだめだと思うから、迫害されても世に出た。
それは自分の主張以外に人は救えないと信念を持っているから。

だからどれだけ迫害されても、引かない。
そういう信念さえあれば当然そうなる。
だからカルト教祖と区別がつかない。それが困る。

我々も人前でものを言うのは、ほかに誰も示してくれないと思うからである。

どこかの誰かが示しているというなら、その名前を伝えればそれでいい。
その本を紹介すればそれでいい。
それで役割は終わり。

が、他に事実を示しているものない。そう断言するから、だから、霊言を行う。

まぁちゃん: 霊魂は物質の身体がないから何も伝えることができない。
やはり地上の人間を使う霊言という手段だけなんだね。

霊魂: 世界中探しても、絶対真実の霊言はない。

なぜなら、霊言というのは長いトレーニング(参考:「霊媒」by霊的情報館 霊をさぐる)を踏まえないと絶対にできない。
そのためには、必ず人間の集団がいる。

つまり、五人でも十人でも幽を清める人達がいないと霊言のレベルが上がっていかない。

ひとりでどんなに立派な先生がいても、法則上、正しい霊言など絶対にない。
必ず、グループをつくっている。

グループをつくっていれば、世間でいえば宗教であるから、すぐ嫌われる。
が、事実はそこにしかない。

あの世にいる先輩が言うには、
「人はこの世にいるうちに、あの世の位置をつくってしまう。そして人間には過去世があり、そして今がある」

「それが今、これからの人生、これまでの人生に影響している」

その上で守護の霊魂は「皆、とにかく霊魂がある以上、外野席が何を言おうと、人は正しい道を生きるべし

どんなに偉い人が何を言っても霊魂があるのは事実であって、その事実は変わらない以上、いかなる迫害に負けることはない。
事実は何よりも重い。

【参考:「宗教と霊の関係」 by霊的情報館 霊をさぐる】



まぁちゃんの一言

神や仏を求める、信仰するということは、霊的世界から見ると、世の中の人達が考える以上に大切なことのようです。

それを真剣に、また命がけで伝えようとした人がいたことさえ、忘れ去られてしまう世の中なのでしょうか?
プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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