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トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

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ハイレベルな霊媒である水波一郎師の霊言講演の内容がHP「まぁちゃんのれいこんに聞いてみよう!」に掲載されています。

このHPは10年以上前に作られたもので、パソコンで見ることを前提としております。
最近では、携帯やスマホといった情報端末を使いWebをご覧になる方が増えていますので、このブログでもご紹介することにしました。

霊言とは、霊魂が人を使って意念を伝えます。

一般的に言うと、霊魂が人に入って言葉を話すことですが、実際にはそんなに単純ではありません。

霊魂が講演者に思想を発して、それを感知した講演者がそのまま伝えるといった霊感講話といえるものから、霊魂が講演者の脳の一部を支配して講演するといったもの、または、霊魂が人間の身体を自由に使用して行うものまであります。

水波一郎師の場合は、主に、霊魂が全面的に身体を支配することなく、身体の一部を使用する形態をとっています。

この霊媒現象というのは、非常に複雑でデリケートなものといえます。

詳しくは、霊的情報館 霊をさぐる「霊媒」のコーナーをご覧下さい。

霊言講演の内容は、霊魂の個性や思考をなるべく損なわず表現しております。
そのため刺激的な箇所もありますのでご了承下さい。

高級霊魂は人々に真実を知って欲しい、そして多くの人が霊魂としての幸福を得られることを願っています。

また、実際の霊言講演は対話形式で行っておりません。
霊言講演は高度な内容となりますので、なるべく理解しやすいように、まぁちゃんと霊魂の対話という形になっております。

霊魂が何を思っているのか、人間に何を伝えたいのか、どんなことをしゃべるのか、みなさんもご興味ある内容だと思います。

霊言はとても深い内容ですので、じっくり読んで頂くことをお勧めします。
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講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 死後の世界についていろいろ語られていますが、本当に正しくとらえているのでしょうか?

霊魂: 最近では、科学なるもが幅をきかせ真実を探ろうとしない。

例えて言えば、「死後の世界があるのか、無いのか?」と語るとき科学なるものを出してくる。

考えてみればわかる通り、科学なるは物質の動きを連鎖し、どのように変化するかを分析したる図でしかない。

所詮、物質の動きから一歩も出られない。

しかるに、人の死はその物質以外があるのか、無いのかと問うている。

「あるのか、無いのか?」を問い始めていながら、物質の学のみで語ろうとしている。

まぁちゃん: 「物質以外のものが存在するのか?」と悩んでいるのに、いろんな測定器で調べたってわかるわけないよねー。

霊魂: 人々はまるで海を渡ることのできない時代に、アメリカ大陸が絶対ないと主張しているがごとし。

事実あるのに、おのれが見えないからと言ってすべて退ける。

が、まれにそのアメリカなる大陸を見て漂流したなどという者あり。
それを皆、信じないが、その主張に一部裏づけがある。

まぁちゃん: 精神世界のというような分野で語られているものの中に、アメリカ大陸、つまりあの世までは行っていないけれども、それに近いものを語ったものがあるということだね。

霊魂: それがまさに死の意味である。

世にインチキ霊能者や錯覚の類は多い。
されど、万にひとつ、憶にひとつ事実があればあらゆる哲学も思想も科学もすべて消える。

なぜなら、ひとつ事実があれば、確実に死の次があることになり、いわゆる理論は全部吹き飛んでしまう。

まぁちゃん: 人は必ず死ぬのだから、もうちょっと真面目に考えても良いと思うよ。
それがわかれば、人の生きる目的や、なぜ生まれてくるのか?といったことが少しずつ見えてくるはずじゃないかな?

霊魂: ゆえにひとつの事実を探りたい。

人が生まれること、死ぬことは、別の世より観察しないと見えてこない。
世に臨死なる体験を言う者多し。
なれど、何の参考にもならない。


つまり、「また生きかえった」、「あるいは死の直前で戻った」ということは、完全に次の世に移行していないのである。

まぁちゃん: そうか!仮に医学的に死んだとしても、肉体と霊的な身体の接点が完全に切れていないから、肉体に戻って来ることができるんだね。

霊魂: それらの体験に共通項があろうと、なかろうと真の意味で、次の世を意味しているのか、限りなく疑問である。

意識の中でそうした現象が出たからといって、それがあの世の本質を語るはずがない。

科学というものは、それを何とか脳の機能で説明しようとする。

が、考えてみればわかる通り、物質の脳に血液が流れなくなれば、脳の機能は停止し、意識は完全になくなる。

そこにもし、何らかの意識状態があるとすれば、すでに脳を離れた心の発見になる。

彼らは、臨死なるものを何も知らず、肯定する側も、否定する者もかなり低い。

つまり、自分で体験せずに語っているからである。

まぁちゃん: まず大事なことは、肉体の活動が停止しているということは、意識活動しているはずの脳が機能しなくなっている状態でしょう。

それなのに生き返った人の体験は、その間意識が遮断されていなかったし、肉体が再び活動し始めてもその記憶が残るということは、人間の意識の中には、肉体の脳とは別の意識があるということだよね。

それなのに、一生懸命に肉体の脳を調べても結論が出てくるわけがないよ。

霊魂: よく霊魂を語る者は、死が新しい誕生であり、あたかも夢のごとしと教える。
が、誰も見ていなのにそう語っている。

なぜそんなことが言える!!

その理由は、「何らかの霊魂との交信をした」という者の主張を鵜呑みにしているためである。

また、いくつかある霊魂からの交信なるものを、仮に共通項が限りなく多いと称し、それらを集めても、臨死同様、それらが共通に同じミスをしやすい状況なら、みな同じに間違える。

例えば、インドに行き、ここはアメリカ大陸だと主張する。

それをアメリカだと最初の一人が思い込むと、その人と同じ航路をたどって海に船を出した人は、全員そこがアメリカだという報告を持って帰る。

少し場所がずれても共通点が多い。
しかし、そこは断じてアメリカ大陸ではない。

まぁちゃん: 残念なことに霊魂からの通信というものが非常に少ないのが現実だよ。

そういったことを研究している人も自分で調べようがないから、文献をいじくりまわしているだけでしょう。

霊魂: つまり、皆何も知らずに語っている。それらは事実がほとんどない。
ただし一部ある。

一部ある事実と大部分の間違えである。
それは、霊魂や死後の世界を語る時、地上の目で観察するからである。

アリが人間を観察するがごとし。アリに人間の脳はわからない。
人間はアリの生態が読める。

それは、上から下を見ているからであって、下では上を見ることができない。

まぁちゃん: 霊魂は地上で生活したことがあるから、その様子もわかるし、死後の世界のことも両方知っている。
でも、人間は霊的世界のことは無知に等しいから、広い視野では見ることはできないね。

霊魂: つまり、人は、脳によって意識活動なるものをしている。
熱いとか、冷たいとか、手を動かすとなど、全て脳が知覚している。
その脳によって行為する。

言葉を出す、思いを発する。
つまり、肉体の脳によって仕切られている以上、仮に人の脳が機能を停止したらどうなる?

記憶もすべて脳に入っていたらどうなるか?

まぁちゃん: なくなる。

霊魂: その脳を失った時、仮にあの世があって、霊魂なるものがあの世に行きえたとして、これまでの記憶はどこにある?

まぁちゃん: ない。

霊魂:つまり、霊魂を語る者達がいつも言うのは、死後の世界には、同じ身体で行く、同じ感覚で行く、これらをもし事実とするなら、肉の脳と全くダブった同じ別のものを持って、それがそのままあの世に行くしかない。

死後の世界2へ続く
死後の世界1の続き
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 死後の世界に行っても記憶が残るのなら、肉体の脳と同じ霊的な脳が必要ってわけか!

霊魂: もしそれがあれば、人は記憶をそのまま持ってあの世に行ける。

ということは、腕を振るひとつの動作。ペンを持つ。
これも全て脳なしには語れないのだから、その脳とすべて同様の機能を霊的な別の次元の脳が持つということは、同時に同じ霊的な身体を持っていなければならない。

まぁちゃん: ちょっと難しいぞー!!
霊的な脳が記憶しているということは、肉体と同様の機能を持った身体ではなければならないってことか。

霊魂: つまり、手や足にあたる幽的な部分もなければ意味がない。
なければ同じ脳ができるわけがない。

とすれば、人はこのまま死後の世界へ行くことになる。

このまま他界したらどうなるか?

肉は物質で生きよい。霊的身体は霊的な環境で生きよい。
ところが肉の感覚がある。さて戸惑う。

ところが、その戸惑いは人の心には、ノイローゼをもたらすくらい大きいはず。
しかるに、道案内は誰がする?

まぁちゃん: お迎えが来てくれるって言うよ。

霊魂: 一度でも道案内を頼んだ者がいたか?
誰もいない。勝手に来てくれると信じているだけではないか!
ましてや、本当に道案内をしてくれるべきの天使だの、仏だの神だの、お遣い等が仮に来たとする。

それを初めて見たとき、従うであろうか?

一人も従わない。

つまり、あの世にすら認めていなかった者が、突然目の前に天使なる者が来ても、素直に受け入れられるものは誰もいない。

皆、夢かどうかと疑うが、夢ではないことにすぐ気がつく。
いずれ気が狂っていく。
死後の世界はそんなに甘くない。

まぁちゃん: 地上に生きている間に、霊的なことを学んでいくことも大切なんだね。

霊魂: 西洋で夢なるもので、いろいろあの世を語ったスウェーデンボルグなる者がいる。

これを日本では、教科書のごとしに本を書いている。
無論、何の根拠もない。
例えば、人が死ぬと、いかなる年寄りでも突如として、若い身体を持つ等という。

だが、考えてもわかる通り、この肉と同じ幽体を持ってあの世へ行った時、しわはそのままだし、肉の衰えもそのままである。

そうしなければ、幽的脳が機能しない。
そんなことは絶対ない!

まぁちゃん: 全部うそっぱち?

霊魂: と思うとそうでもない。

つまり、未熟なうちはそうなのである。もし仮に、徐々に霊的な世界にもし慣れたら、物質がなければ物質を食べない。

となればどうなる?

まぁちゃん: 食中毒にならない。

霊魂: そんなことを言っているのでない!!

地上のように引力がなければ手も足も同じようには使わないだろう。
とすれば、そうした機能はいらなくなる。

つまり、霊は変化するに従って若くなることあり得るのである。
彼らは一部真実を持っている。

が、大部分の虚構にまみれている。そろそろ真実を世に出すべし。



まぁちゃんの一言

多くの場合、「死」というものは孤独なものです。
突然知らない環境に放り出されたらどうなってしまうのでしょう?

死後の世界は、地上の感覚では想像もつかない所のようです。

違う環境に適応するためにも、良き先輩である霊魂に手を引いてもうらうことが必要といえます。

そのためには、先輩の霊魂の目に止まっていなければならないし、呼びかけが届く自分にならないとダメみたいです。
講演会は、質問形式ではありません。

まぁちゃん: 人は必ず死んでしまいますが、人間の「死」とはどのようなものなのでしょうか?

霊魂: 死を霊的な次元、つまり我々霊魂から見ると、さなぎが成虫になるがごとしである。

人は、次の世に脱皮する。
それは、すべてではないが、大多数の人にとって新たな苦しみといえよう。

まぁちゃん: 苦しみっていうことは、何か原因があるのでしょう?

霊魂: それは、虫がさなぎから成虫になるがごとし。
蚕がマユを破るがごとし。彼らは、準備ができている。

人は一度も準備していない。
一度もそれを語らず、何も考えず脱皮するが、脱皮した次の身体が完成していない。

まぁちゃん: 次の身体とは、幽体という霊的なあの世で使う身体のことだね。

霊魂: まるで、成虫が弱っているがごとしである。

今の人達は立派すぎて、科学なるものを信仰しているので、さなぎの中で成長していない。
未だ成虫になる段階ではない。

幼虫の段階でいきなり、さなぎを飛び出してしまっている。
これでは、次の世界で使う身体は全然成長していない。

まぁちゃん: 幽体も成長が必要ということは、適応力みたいなもの?

霊魂: つまり、耐えられる次元になっていない。

赤ちゃんで言えば、十ヶ月経って生まれれば、まともに育つが、六ヶ月で外に出てしまっては、育たない。
八ヶ月や九ヶ月なら何とかなるかも知れない。

同じことが言える。十ヶ月であの世に行けば良いに違いない。
しかし、九ヶ月や八ヶ月なら、何とか手を添えてやれば何とかなる。

五ヶ月や六ヶ月でいきなり出てしまっても、まだ人間の赤ちゃんとしての機能を備えていない。
彼らは助からない。

まぁちゃん: つまり、肉体を持って地上で生活しているうちから、幽体のトレーニングみたいなことをしなければならないということだ。

霊魂: 今の人は、大多数の人が五ヶ月で出てしまう。

誰ひとり、医者の言うことを聞かない。保健所の言うことも聞かない。
助産婦の言うことも聞かない。五ヶ月みんな出てしまう。

助けられるわけがない。

しかし、みな言う。「五ヶ月で十分!」だと・・・

それは、確かに自由である。
信仰するのも自由。信じなのも自由。
しかし、死はやはり、あらたなる苦である。

死んでから生きるための準備2へ続く
死んでから生きるための準備1の続き

まぁちゃん: よく「信じるものは救われる」っていうけど、それは単なる気休めみたいなもののような気がする。
神や仏を、ただ信じるだけで何かが変化するとは、思えないけどなー。

霊魂: イワシは実にご神体である。

まぁちゃん: イワシって魚でしょう。

霊魂: なぜなら、仏教がどうとか、キリスト教がどうとか、何もわからなくてもイワシを神、つまり神棚に飾り、「これが私にとって神との交流の唯一の手段」と考える。

そして、日々感情をそれによって動かしていれば、それがアンテナになっている。

まぁちゃん: アンテナということは、それが何かの目印になること?

霊魂: つまり死んだ時、イワシの頭の信仰者は、普段からイワシを目印として流れてきた別の力を得ている。

これが必ず、上の世界へと向かわせる。

まぁちゃん: 幽体という霊的身体の成長、状態によって死後の世界の位置が決まるっていうことだよね。

霊魂: 例えて言えば、人の肉体は良い事をしても、悪いことをしても、善人でも悪人でも、関係ない。

まぁちゃん: 憎まれっ子世にはびこるって言うよ。

霊魂: 善とか悪とか関係がなく、健康に良い食品を食べて、適度に運動すれば体によい。

良い人でも悪い人でもなし。悪い人だけ悪くはならない。

霊的な身体も肉体とダブっているから同じ。
あの世では幽体という霊的身体を使用するから、幽体が良いか悪いかは非常に大きな問題である。

そして、幽とは何か?

肉ではない、物質ではない。
物質ではないということは、物的な次元と違うものに振動している。

つまり、どんな馬鹿でも、アホでも、真剣にイワシを信じていると、イワシを目印として幽体に良い刺激、それが入ってくる。

まぁちゃん: 幽体に良い栄養みたいなものだ。

霊魂: 彼ら彼女らは上に行ける。

ところが、立派な立派な無神論者はイワシを見て笑う。

「こんな原始人が今時いるなんて、馬鹿もいいとこだ」

しかし、その原始人が、全員神を信仰していて、なんらかの幽的なトレーニングができていたことなど、まるで知らない。

まぁちゃん: 信仰というものは押し付けであっては意味がないね。
自らが求めてこそ価値があるんだ。

霊魂: つまり、さなぎが成虫になるように、人の死は肉体の衰えと共にやってくる。
つまり、特殊な事情で、途中で切れる場合はともかくとして、普通は肉が落ちてゆく。

それに伴って肉ではないものが伸びてくる。それが脱皮である。
そして、さなぎから成虫になるのだから、肉の衰えと同時に、幽的成長がなければならない。

それが原始人には皆あった。
どんなに知性がなくても、何が善であるかわからなくても、神を信じ少しずつ幽的になって他界した。
迎えが来たら無論受け入れた。

我々霊魂は、死に際してこう言う。

新しき身体による再生なればそれも良し。
なれど、どうあっても、たとえ何があっても、最後に一言呼んで欲しい。

呼ばれれば必ずそばに行く。

それまでに、その呼びかけが届く自分になって欲しい。
違う世界であれば、普通に会話しても届くわけがない。
霊的な距離がある。

「届かない・・・」

しかし、電話すれば通じる。無線があれば通じる。
死ぬまでに無線をつくって欲しい。
それは、決して超能力や霊能力の開発ではない。

「霊力をつける」そうすれば、必ず恐くなくなる。

人食い人種のいる島に、たった一人で残されたら、みな戸惑うが、そこに別の島へ行く案内人がいたら何も恐くない。
そっちへ行ける。

霊的なものや、宗教的なものは、信じるも信じないも自由。
誰も干渉できない。

が、人が何と言おうと事実はいつも一つしかない。
もしも仮に、ひとつ事実が正しければ、すべての理論はそれで終わってしまう。
あらゆる理論がそれを否定しても、千にひとつ、万にひとつ事実があれば、あらゆるものはある。
それがすべてである。



まぁちゃんの一言

大昔の人は、現代人から見ると意識が低いように思われがちですが、果たしてそうなのでしょうか?

現代は古代の人に比べ知性もあるし、科学や文化が発達しています。

それが決して悪いことではないと思いますが、そういったものが逆に本来の信仰から遠ざけてしまうのではないでしょうか。

大昔の人は、神や仏、霊魂という見えないものへの確信、つまり霊的な感性のようなものが今の人達に比べると発達していて、もっと人間というものを良く知っていたのかも知れません。

人々が神や仏、信仰、宗教について議論している時、大昔の霊魂はため息をついていることでしょう。
講演会は、対話形式ではありません。

まぁちゃん: 人が霊的な進歩をするためには、どうすれば良いでしょうか?

霊魂: その前に知っておかねばならぬ大切なことがある。

霊魂としての人間は、肉の身でありつつも、幽的な霊的身体を内に秘めている。常に人はダブっているがごとし。

そうでないと、今すぐ死んだとすれば、あの世に行く身体がない。

常に生まれてからずっと持ち続けているからこそ、死後すぐに移動できる。
よって幽の体を知ることが大切。

まぁちゃん: まず人間というものは、肉体とダブっている幽体という霊的身体があるということだね。

霊魂: そこで、幽の身を知らねばならない。幽の身は肉体の脳にもダブるはず。
そうでないと死後、肉の脳が消滅した時、記憶がすでにない。
脳の細胞が消去したら、何も意識が残るわけでもなし。

が、仮に他界があり、次の世があるなら、必ず幽の脳が一緒に他界している。

まぁちゃん: 幽体にも肉体の脳のような意識をつかさどるものがあって、肉体と連動しているから意識とか記憶が残るっていうわけか!

霊魂: 霊的な進歩は、人の世ではかなり難しい。

つまり、赤ちゃんが歩いたといって、それは一定の年齢になれば誰でも歩くこと。
それを進化とは言わない。ただの通常の過程である。

同様に、霊魂として人が進化するとは、普通の変化ではない。
確実な変化でないといけない。

つまり、猿が立つがごとしでないと進化と呼べない。
その進化は、実に幽の身を無視しては語れない。
まぁちゃん: 世の中では幽体という霊的な身体について、あまり語られることがないから、 もっとも身近である「心」というものが人間の本質などと考えてしまい、その心の変化や成長ばかりにこだわっていても、 幽体が進歩、成長しなければ霊的な進歩につながらないってことだね。

霊魂: 「私どもの申すことを信頼なさった方は、幸いかな」というのは、所詮人の身は、この世の目、この世の耳しかついていないから、死後の者を見ることがない。

まぁちゃん: つまり物質の肉体というものは、次元の違う幽体という存在を見ることも、その声を聞くということもできないんだね。

霊魂: 見えないで判断出来る範囲は、どこまでも推測にとどまっている。
我ら霊魂が声を大にして主張しても伝わるはずもなく、死の前の者にはなかなか分からぬが必然。

が、仮に死後の世界が無いとしたら、我らは全てまやかしである。
仮に、死後の世界があれば、我らの主張はどうせなら、なるべく沢山の人に伝えたい。

まぁちゃん: 霊魂は肉体がないから、直接人間に何かを伝えるということが難しい。

そこで唯一、人間の側と霊魂双方がトレーニングを積むことにより、霊魂の主張を正確に霊媒を通じて地上に表現できる「霊言」を行うんだね。

霊的進化2へ続く
霊的進化1の続き

まぁちゃん: 「人間に対しそんなに言いたいことがある?」

霊魂: それというのも、人がこの世で幸福になろうとして、もがけばもがくほど、我らから見ると下がるからである。

人々の幸福は、物質を身につけることなので、我らの世界に来ると通用しない。
まぁちゃん: ということは、いま肉体を持って生活していながらも良くも悪くも霊的に変化してるんだ。

でも、幸福になろうと考えることは、ごく当たり前の心情じゃないかな?
そういった欲求があるからこそ、生き続けることが出来ると思うけど・・・

霊魂: 無論、人は肉の身を維持することを考えなければ生きられないので、 我々は人がごく当たり前に生きながらも、霊的に進化して欲しいと考えるのである。

例えば、水を一杯かぶるとしよう。
それだけで、我らの主張は、かなり多く入る。

水をかぶる瞬間に、我らは、その水により身体がどういう反応を示すか覚えている。
その覚えたことにより、その瞬間、その人の間気を調整し得るのである。

まぁちゃん: 禊法という霊的なトレーニングの初伝で水を使うよね。

霊魂: 間気とは、中国等でよく「気」と呼ばれるものである。
しかるに、これは間気であって幽気ではない。

間気は肉体と幽体の接着であり、幽気は幽体内の気である。

そのために霊魂は、その両者を見うるため複数でかかっている。

この複数の霊魂が、何かしら現象を起こすと、ようやく水をかぶることが霊現象になる。
それがないと、ただ単に水を入れた器をおのれの身体にかけて、シャワーになっている。

まぁちゃん: 人間が霊的な技法を行うと、たくさんの霊魂が協力してくれるんだ。

でも、霊魂が関与しなければ当然霊的な現象とはならないから、「オレは修行している!」なんて一生懸命になって水をかぶっても意味がないね。

霊魂: つまり水の一杯が実は霊的な進化の根元となる。

その霊魂の間気、もしくは幽気への作用は、確実に幽的な身体を変化させ、オーラを変えている。

これが、我らから見ると、より高貴な気をその人に降ろすための技術になる。

やがて、本人の幽的な質が上がるから、他界後は、いやでも上の世界に行くことになる。

まぁちゃん: 人間にとって霊的に良い影響を起こしうる霊魂の協力を得ることが、とても大切なことなんだ。

霊的修行法には作法があるけど、そのひとつひとつが霊魂との約束ごとになっているんだね。

霊魂: 死後の世界が本当に実在し、霊魂が本当にあるのなら、我らは確実にそれを知り、それを行うのだから、霊的技術があれば、人は誰しも進化できる。
が、知らぬから、人はただの物のみを見て下がっている。

霊的進化3へ続く
霊的進化2からの続き

まぁちゃん: それじゃぁ、なぜ霊的なことを無視していると下がってしまうのかな~?

霊魂: 簡単に人が今、どうすればあの世で下がるか教えよう!

ひとつ「霊魂を無視すること」これに尽きる。

つまり、霊魂はその人そのものであり、幽体を用いている以上、無視すると絶対に上がって行かない。
それは、肉体の所持者が肉体を無視して暮らしているようなもの。

食事をすべきなのに食事をしない。休むべきなのに休まない。
体は多少動かすべきなのに動かさない。

これでは肉体は必ず早く滅びる。これは当たり前のこと。

同様に、幽的身体の霊魂であるおのれが、それを無視して生きれば、下がるに決まっている。

どんな人格者も、脳による性質が、若干寛大だとか、大らかであるとかに過ぎぬのだから、別に霊的にどうというものでもない。

まぁちゃん: 肉体とダブっている幽体があるのに、それでも「霊魂など存在しない!」などと かたくなになっている人には、霊魂は何も出来ないよね。

多少、立派そうに見える人でも、死んじまえば霊的には、あまり変わらないってことか。

霊魂: 霊魂を意識して生きれば、呼吸ひとつをとっても、それを霊的技術の呼吸法として正しく行えば、幽的な身体の栄養となる。

霊的なトレーニングをすれば、霊的でいう、ご飯を食べたことになる。

まぁちゃん: 呼吸法や霊的なトレーニングというものは「自分は霊的な存在である」、 「高貴な霊魂から協力を得たい」そういった気持ちがないと意味がないんだね。

霊魂: つまり、霊魂を意識し何かを行うということは、大前提である。

仮に、食品でいえば、よりよい食品と、悪い食品がある。
しかし何も食べなければ、確実に死んでしまう。

体に良くないからといっても、食べないよりは良い。

それを考えるなら、幽的に多少あまり良くないものであっても、何もないよりは実は良い。

つまり、世に沢山いる、だまされたと呼ばれる人たちの方が、何も信じない人よりも、はるかに良い。
何も信じない人達は、だまされもしないが、確実に食品を食べていない。
だまされた人達は悪いものを食べたが、死んでいる訳ではない。

まぁちゃん: だまされた人達って、けっこう真面目な人が多いよ。
きっと心の中に、目には見えないけれども、物質的ではないものが存在すると考えているからこそ、だまされたりもするんだよね。

それを見て「バカなやつだ!」なんて言う人は、初めからそんなものは存在しないと決め付けているんでしょう。
だまされることもないだろうけど…

霊魂: つまり、より霊的な方面に意識が向いたのだから、その人の守護もしくは指導の霊魂が、何らかの活動をはじめる。

まぁちゃん: 守護、指導霊というのは、霊的なことに関心を持つその時に、やっと活動することが出来るんだね。
頭から否定している人には、その機会がないってことか。

霊魂: それは、仮におかしげな新宗教に入って、人格が崩壊した場合でも、 無論それは良くないが、意識がそちらに向いた段階で、守護、指導の霊魂を確実に一歩動かしている。

とすれば、毒に当たって死なない限りは、多少お腹をこわす程度なら、やはり知った方が良かった。

ということは、霊的な意味での人の進化は、良くても悪くても、霊魂を知ること。
邪教でボロボロになって、世の中から無茶苦茶に言われても、それを否定する人よりは、まし。

まぁちゃん: 世間の人達は「なんと哀れな人生だ」と思うかもしれないけど、人間が霊的存在であるなら、「霊的なことを知ろうとする、求める」それはごく当たり前の心情なのかも。

霊魂: つまり、霊魂の身体を持つ以上、どんな言い訳をしても無視したことは全く愚かであり、確実に他界後は下がって行くのである。

世に最悪の宗教といわれてボロボロになった人達も、下がりはするかもしれぬが、無神論者ほどではないに違いない。
それは、良い部分も確実に動いているからである。

霊的進化4へ続く
霊的進化3からの続き

まぁちゃん: 見えない、確信のないものを判断しようとしているのだから、間違っても当然かも知れないね。

霊魂: つまり人は何が正しいかなど、わかるはずがない。
「仏教とキリスト教のどちらが高度なのか?」これをわかるのは、一部の高貴な人だけで、大多数の人は、仏典を全て読めるでなし、聖書の隅から隅まで読める訳ではない。

まず読まずに終わる。
それでもどちらかを判断するしかないのだから、わかる訳がない。

わからなくても人生は確実に動いている以上、本当は何も知らない人より、おかしなおかしな宗教にだまされた人の方が、はるかに霊的であったし、はるかに正しい人生であった。

まぁちゃん: いずれにしても人は死ぬのだから、そういった人達が実際死んでしまうと、どのような違いがあるの?

霊魂: 何もわからずとも、地上で霊的なものに意識が向いているということは、死後そうした人達は必ず神を求めようとするし、仏を求めようとする。

が、無神論者は、今生きているということを幻としか見ない。
夢の中としか見ない。あり得ないと考える。

上がるわけがない。

つまり、人がこの世に生まれて、幽体を用いている以上、どう間違っても答えは、ただひとつ。

「霊魂を知れ!」それだけである。
人における救いも、幸福も進化も全て、そこからしか始まらない。

ところが、科学ではそれを解明しない。わかる訳がない。

人は、物理的な目と耳と鼻と口しか使わないのに、それ以外の知覚はなくて普通。
無くて当たり前なら、わからなくて普通。

まぁちゃん: 人というものは、世の中の流れや常識にとらわれてしまうけど・・・

霊魂: しかし、あるものはあるし、無いものはない。

キリストとブッタのどちらが良いのか分からない様に、科学的には、やはり永遠に議論して行くだけで何の解決もない。

それでも、人はクリスチャンになったり仏教徒になったりしている。

つまり、人は霊魂であるから、それを直感する以外に道がない。
正しくても間違っていても、己の直感に責任を持って、たとえ己が狂って死んでも、それが正しかったのである。

まぁちゃん: もし世の中の大多数の人が「霊的なものなど存在しない」って言っても、実際にあれば、少数派が正しいということになるね。

霊魂: 何もせずに外野から笑うことは誰にも出来よう。
ある野球選手が三振した。皆で笑い者にする。

「あんな最低の選手はいない」と飲み屋でボロボロに言われよう。
「早く首にしろ!」と言われる。

しかし、こと野球なら、野球に関して言えば、どんな三振をするプロも、飲み屋で怒っている一般の人よりはるかに野球はうまい。

間違いなくプロ選手の方がうまいに決まっている。
それを勘違いしてはいけない。

まぁちゃん: 人はあれこれ他人のことを批判したりするのが好きだからね~。

霊魂: 人に多少批判されようとも何をしようと、それで不幸になろうと、外野で笑うことは誰にでも出来る。

何かをすれば、仮に政治であれば、ある政策をとる。
それがうまく行くかどうかは、やってみないことにはわからない。
それなのに失敗すれば袋だたきになる。

しかし、一般の人が総理大臣になれば、もっと悪かったに決まっている。

やらずに外野から見ていれば、何とでも言えようが「お前がやってみろ!」と言いたい。
そんなに立派に出来るかどうか?
誰も出来はしない。

まぁちゃん: もともと人は完全ではないのだから、失敗や間違いがあって当然だし、結果だけを見て揚げ足を取られたんじゃ~、たまらないよ!

よって、人は何が正しいのかわからぬのが前提である以上、とにかくやっている者の文句を言ってはならない。
それが地獄へのパスポートになろう。

霊的進化5へ続く
霊的進化4の続き

まぁちゃん: 確かに最近、宗教的な集団による詐欺行為や犯罪などが目立っているし、当然それは悪いことで、批判されても仕方のないことだけど。

例えば、一部の警官が犯罪を犯したからといって、それで警察官はみんな犯罪者であるような見方をしているのと同じだと思うよ。

人間だから悪い人もいれば、真面目な人もいる。
そういった一面的なもので、霊的なことを判断し遠ざけてしまうことは、残念な気がするけど。

霊魂: 例えて言えば、低い霊魂につかれている人がいる。
本当に入られている人もいれば、そうでない人もいよう。

しかし、大多数の人はそれを認めたがらない。

認めないということは、低い霊魂の側から見たとき、つまり、いたずらな霊魂の側から見た時、認めない人の方が絶対に入りやすい。
とにかく、どれたけいたずらをしても、悪さをしても本人が認めない。


「霊魂など存在しないのだから、そんなことは絶対ない」と言う。
これは楽である。

インチキな霊能者の所に行っておかしくなる人も多数いよう。
しかし、絶対に認めない人の側にいて、永遠にイタズラを繰り返しても絶対に捕まることはない。

もし我らが邪悪な霊魂になったら、誰に憑依するか?

決まっている、無論絶対に認めない者の所へ行く。

認める者の所へ行くと、ひとつ間違えば、除霊されるかも知れないし、火あぶりにされるかもしれない。
そんな危険を犯すバカはどこにもいない。

昔は、確かに宗教者にそうした憑依が多かった。
しかし、それは一般に宗教者が多かったからである。

今は、無神論者が多いのだから、霊魂は確実にそちらに行くしかない。

まぁちゃん: 霊魂がイタズラしやすい人のことは分かったけど、霊的なことに関心を持っても、何が正しくて、何が間違っているのか、なかなかわかないことだよね。

それでも、 霊魂の主張によって高低の見分け方みたいなものはある?

霊魂: 霊的に高い個性は、邪悪なことを言う。
霊的に低い個性はもっともなお説教をする。

それは、もっともなことを言うと人の心が安定し、落ち着くからである。
落ち着くと人は喜ぶ。

が、我々霊魂はそれを喜ばない。
今どうしても改善して欲しいと思っているのに、安心させてしまったら何にもならない。

まぁちゃん: ちょっと良くわからないけど、具体的に言うと?

霊魂: 受験でいえば、本人はAという大学へ行きたいが、実力ははるかに低い。
受験が良いか悪いかは別として、仮にどうしてもAへ行きたいのなら、ここで徹底的に変えないと到底無理。

となれば、そこで「A大学は絶対に受かります」というような安心を得てしまったら、「信じていれば必ずA大学に入学できます」と言われてしまったら、その人は絶対に通らない。

もし本当に合格させたければ、徹底的な変革がいる。
徹底的な改善がいる。

それを考えると、まずもって大切なことは、多少ショッキングでも良いから、今までをひっくり返すような発言をする必要がある。

まぁちゃん: そうだよな~。人間なんておだてられれば、何の努力もしないからね。

霊魂: 愛は良いに決まっている。

しかし、ただ「愛すれば世界は平和になります」では、今まで2千年、3千年の間、一度も平和は来ていない。
毎年どこかで戦争をしている。

まぁちゃん: 人は都合の良い時だけ綺麗ごとを言うけど、自分に都合が悪くなれば、黙っちゃうんだ。

霊魂: 全員宗教者は「愛」を叫んできた。
人々もやはり「愛」を言うが、一度もそれが現実してこない。

つまり、それではダメだから愛はダメという。

まぁちゃん: 必ずしも愛を無視することが良いことじゃないよね!

霊魂: 愛がいけない訳ではないが、いつまで、「愛」「愛」と言ってもどうにもならない。

とすると突飛なことを言わねばならい。
人がこっちを振り向くように、まるで逆転したことを言わねばならない。

それが正しい。いつもと同じなら、何も変わるはずがない。

変革はいつもひっくり返すことを言わねばならない。

それを考えたら、我らが一にも二にも言うのは、「霊的進化を経なければ、人は生きる値打ちもないからどうにでもなれ!」である。

まぁちゃん: そんなに簡単に見捨てちゃうの?

霊魂: 本当にどうにでもなれと思ったら、我らが人の口を借りて、何かを主張しようとしない。

しかし、そう言わないと誰も目覚めないとき、我らは邪悪とも呼ばれても良いから、本当のことを主張しようとする。

この国はこのままだと霊的にどんどん下がる。
「もっと下がればどうなるか?」

邪霊は山ほど寄ってくる。
そうすれば凶悪犯罪も起きようし、当然災害も多数起きる。

人は死ぬべきして死ぬだけである。
それを阻止するのは唯一霊的進化のみである。

【参考:「わるいれいこん???」 by 霊的情報館 霊をさぐる】



まぁちゃんの一言

人が物質の身体を持っている以上、盲目状態なのかも知れません。

だから、何が正しいのか、間違っているのか、わからなくて当然といえます。
それでも人は、ひとつひとつ選択し判断しながら生きて行かなければなりません。

人が霊的生命体であるなら、たとえ霊魂など見えなくても、誰でもかすかな霊的感性、直感を持っているはずです。

それを生かすことが、霊的な進化につながるのだと思います。
プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



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