HOME   »  霊的なトレーニング
RSSフィード

トレーニングなんて自分には関係ない?と思っている貴方にも幽体があります。

人間そして霊魂としての人生に、この幽体は大きく関わっています。

霊的なトレーニングとは、霊能力開発などではありません。

霊的な環境は、とても悪くなっています。

今、弱っている幽体に力を与えるのです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
  ※イメージ画像

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
そうなんです。1日10分もあれば行えるのです。

霊的なトレーニングというと、難行苦行といわれるような厳しい修行を思い浮かべてしまうことでしょう。
寝ずに山の中を歩き回ったり、滝に打たれたり、断食や長時間の瞑想。
ちょっと近寄りがたいものがあります。

僕が行っている霊的トレーニングは、自宅で毎日行うことができます。

ある特定の場所でしか出来ないようなものは、年に数回といったところでしょう。
ところが、自宅なら自分の好きな時間に行えますから、一年に300回以上だって出来ないことはありません。

なぜ霊的なトレーニングで人生が変わるの?と疑問を持たれる方も多いと思います。

それは、人間というものが肉体だけでなく霊的な部分を持ち、気づきにくいところで様々に関わっているからです。

人の死とは何か?
それは霊的な身体である幽体が肉体から離れてしまった時です。

人が生まれるとは?
霊的な身体が肉体に宿ることを意味します。

つまり、肉体のみで生きている人など、何処にもいません。
こうしたことは、何千年もの昔から分かっていたことですが、それを世の中の人が、どう捉えるかだけなのです。

古代の純朴な信仰心を持った人々は、素直に受け入れ、それが常識となっていたでしょうし、現代のように文明や科学が発達した社会においては、物質科学が優先し、目に見えない物質以外のものを否定する傾向が強くなってしまうようです。
スポンサーサイト
霊的トレーニングは誰でも出来るかと聞かれれば、誰でも出来ます。

しかし、誰にでも効果が出るかといえば、そうでもありません。

作法、動作自体は決して難しいものではなく、誰でも行えると思いますが、前提が出来てはじめて力となります。

作法や動作は蛇口をひねる行為であって、水道管につながっていなければ水は出てきません。

その水は高貴な存在からの流れです。
流すに相応しいと認められることが必要です。
それが信仰心や熱意、謙虚に学ぶ姿勢などです。

薬品も薬効があるものほど、医師の処方箋が必要です。
それは患者さんの治癒や副作用を最優先に考えるのであって、裏で平気で流している人がいたら、善意ではなく金儲けを優先させているのです。

霊的な分野は見えないだけに怖い世界です。

見よう見まねで瞑想やトレーニング法を行い、悪意を持つ霊魂に目をつけられたら大変です。
それこそ悪い方向に人生を変えてしまいます。

契山館で指導する霊的トレーニングは、各種研修を修了したのち、家庭でも行えるようになります。
霊魂の家庭教師が来てくれることで力となり、危険からも守ってくれるのです。
人間が霊魂であるならば、霊的な真実を探ることはとても大事なことではないかと感じます。

ところが残念なことに霊的分野においても商業主義に走り、大きく曲げられてしまっているのが現状ではないでしょうか。

もちろん、何をするにもお金が必要な社会ですので、綺麗ごとは言わないけれども、嘘や偽りがまかり通るような世の中であって欲しくはありません。

そのためには、多くの人が正しい認識を持つことが大切に思えます。

人々が霊的なことに対し、真面目に関心を持ち真実と向き合おうというのであれば、本物が存在感を増し偽者やインチキは姿を消して行くことでしょう。

霊的な現象も恐怖体験というお盆の風物詩ばかりではありません。

もっと知っておくべき霊的なことがたくさんあります。

お坊さんは、もともと弔いだけの役割やお墓の管理人ではなく、本来神社も、どこそこに○○のご利益があるとか無いとかではなく、いずれも本来は高い幽気が降りる環境が保たれ、そこに求める人達が集っていたのです。

確かに施設を維持していくためには、お金がかかります。

だからといって何も知らない人に対してのご機嫌取りばかりでは、人間の霊的な成長を阻害し後退させてしまうことにつながります。

黄門様の歌にもあるように、♪人生幽気が必要だ~。
霊的なトレーニングをお勧めする理由は、深層心理とか潜在意識と呼ばれている過去世の記憶、心情を和らげ改善することにより、人生をより良い方向に導くとともに、魂という大きな視点での自分を成長させることにあります。

次に幽体という霊的身体を強化、発達させることにより、死後不幸にならないように備えておこうというものです。

現代人は生活を維持するだけでも大変で、慌ただしい日常を送るだけで精一杯、死後のことなど縁起でもないし、あの世に行ってからでも何とかなるだろうというお考えもあるかもしれません。

それでも死後の世界は、霊的身体の質や状態により分かれてしまいます。

これは、えん魔様が審判を下すようなものでなく、植物でも種類によって生きやすい場所や条件が限られるように、自分に相応しい、馴染みやすい所に行くしかないのです。

低い世界に入ってしまえば、なかなか上の世界に上がってくることが難しいようです。

まわりは同じような霊魂ばかりで、天使や菩薩はどこにもいないし守護霊のような霊魂は遠い世界で、新参者はいじめられ逃げ場さえない状況になります。後悔してもどうにもならないようです。

だからこそ、霊的世界を理解していたイエスキリストは自分の人生を犠牲にしてまで、真の幸福に導くために人々に強く訴えかけたのでしょう。

この物質界に生まれるということは大きなチャンスなのです。

地上でつくった辛い苦しみや傷は、この世で癒すしかありませんし、あの世では高級霊は遠い存在であっても、今なら接点を見出すことは容易なのです。
多くの高級霊が手を差し延べようと待っています。
霊的なトレーニングは自分の霊的な進歩向上の為に行いますが、それにとどまるものではありません。

今、このブログを読んでいるあなたが霊的成長を遂げることで、その霊的影響は図り知れないのです。

霊的トレーニングを積めば、様々な霊術も可能となります。

もちろん、資格を満たした上で霊術の講習を受ける必要がありますが、家族や友人等に祓いや霊的治療といったものが行えるようになるのです。

影響を与えるのは、人間に限定されたものではありません。

例えば、あなたの先祖がどうした訳か地上に戻って来て、自分の子孫が霊的に成長しているのを見たならば、心を入れ替えるきっかけとなるかもしれません。

また、この地上には道を間違えた霊魂がたくさんいますので、目覚める霊魂もいることでしょう。

高級霊とされる守護霊なども、担当する人間が霊的成長を遂げることで、同時に進歩できるのです。

そして幽界で生活している自分の過去世本人にも影響を及ぼします。

さらに、霊的カルマというものをそれぞれの人が持っています。
その集積が社会を動かしています。

こうした大きな霊的カルマでさえ、数が増せば変化させることも可能ではないかと思います。

このように、一人の人間が霊的成長することで、多くの人や霊魂にも影響が及ぶのです。
かれこれ25年くらい前になりますが、水波一郎著「大霊力」を読んで入会したのです。当時5才だったので、今は30才になります。(これは嘘です)

確かに疑ってはおりませんでしたが、盲信とも違っていたと思います。

集会や研修に参加し不思議なこともありました。

自分の変化というものはわかりにくいもので、長い月日が経つと昔の自分とは大きく変わったなと感じます。

老けたというのではく、内面的なものです。

本物に出会えて良かったと思っているのです。
それで、多くの人に体感して頂きたいと願い細々とHPやらブログをやっています。

今でも霊が見えるとか聞こえるという霊能力はありませんが、指導霊が実在し、僕の思いに働いてくれるという、ありがたい実感はあります。

以前、遠方の方から遠隔で霊術の依頼があったのです。
遠隔なんて習ってもいないし、信頼されているから依頼されるのだと思うと断るわけにも行かず、とりあえず行ってみました。

目の前に依頼者がいれば何らかの手応えもあるかと思いますが、バットを素振りしているような感じなので、自信もなく2回行ってみたのです。

そして、この次からこうした霊術は断ろうと思っていた矢先、変化が生じたようでお礼の連絡を頂いたのです。うれしいやら、戸惑いやら複雑な心境でした。

料金は僕がもらってしまうのに、どなたかは存じませぬが、指導の霊魂に心から感謝しました。
タイトル「祈りの力」にありますように、人間が霊的なエネルギーをどう自分に取り込むことが出来るか。それが大きなテーマとなります。

信仰や祈りも大事なのですが、やはり個人で祈っても力は小さいものです。

それでは集団で祈ったら良いのではないか?

そこにもっと高貴な霊魂とつながる人がいれば、さらに力を増すことができるのではないか?

では、どうしたら人間が高貴な霊魂と交流が可能になるか?

霊的なトレーニングをすれば良いのではないか !!

本来はヨーガや仙道、この日本の古神道において、いかに高貴な霊魂に近づけるか、交流することが出来るか、これがトレーニングの大きなテーマでした。

時代は流れ、いつの間にか神通力だとか霊能力といった見せかけの力、技ばかり注目されるようになってしまったのです。
古くから正しいトレーニングは存在していましたが、大衆化しにくい欠点もありました。

現代人のように忙しく霊的に悪環境の中、もっと確実に危険がなく短時間でどなたでも成果の出る手段として、生み出されたのが現代向けのトレーニング法なのです。
契山館においては、神伝鎮魂法、神伝禊法というトレーニングを主に指導しています。

その他に、神伝振魂法(しんでんふるたまほう)、幽育(ゆういく)などがあります。

神伝の法とは、霊魂学における神霊、その存在に仕える高貴な霊魂団との契約により水波一郎師が作成された技法です。

神伝鎮魂法(しんでんちんこんほう)
今、肉体とダブっている死後の世界で用いる霊的な身体である幽体、さらにもっと高級な身体である霊体を強化、発達させること主な目的とした技法です。

神伝禊法(しんでんみそぎほう)
潜在意識とか深層心理と呼ばれるような深い意識である幽体の意識は、何度もこの地上に生まれた過去世(かこせ)があり、その経験や記憶を持っており霊的カルマと呼びます。

こうした心理は今回の人生において良くも悪くも影響します。

不幸や苦しみを招いてしまう心情をうまく処理し、霊的に良い方向へ向かう心情を生かして更に進歩させ、魂という大きな自分を成長させる技法です。
最近では、宗教に対しての嫌悪感から宗教ではないと言い、瞑想を行う人達がいます。

瞑想するとリラクゼーション効果や集中力がアップするそうです。
国内外の有名人なども、瞑想を行って成功を収めたといわれています。

では、宗教的でない瞑想と霊的なトレーニングの瞑想は違うのでしょうか。
細かい点の違いはあるかもしれませんが、行っていることは一緒です。

片や肉体や精神面の為に行い、霊的なトレーニングでは肉体とダブっている幽体という霊的身体の成長を促そうとするものです。

行う人の意識がどうあれ、瞑想法は修行体系から来ているものです。

霊的トレーニングでは、霊的環境や霊魂を前提にして行いますが、単なる瞑想では、そうしたことは全く考えていません。

そのような瞑想には高級霊が関わることはないでしょうが、低い霊魂は、タイトル「気が付けなくて当然!暗躍する邪霊たち」でお話したように、人間のスキを突いてきます。

人間の側が「単なる健康法で行っていますよ」と言っても低い霊魂には関係ありません。
来るなといっても来てしまうくらいの存在です。

霊的トレーニングでは高い幽気を吸収する法であるということは、幽気を吸収しやすい状況といえます。

もしも、人間には見えませんが低級霊が近寄っていたら、低い幽気を吸収しやすくなると考えられますし、他にも特殊な状態をつくり出しているのだから、いたずらするには持って来いということになってしまいます。

現代は霊的環境も悪く、低級霊も活発に活動しています。

人間の目的など関わらず寄って来る危険があります。
心身には良いかもしれませんが、霊的な不調になってしまえば何にもなりません。

どうせ瞑想するなら、正しい霊的トレーニングで瞑想して欲しいと考えてしまいます。
そうすれば霊的不調ではなく幽体という霊的身体にも好影響をもたらしてくれます。
キリスト教などでは「救い」という言葉が使われます。では、この救いとは一体何を指すのでしょうか。
イエスキリストの生きた時代は、現代とは異なり生きるための不安も強かったと思います。
こうした時代には、イエスキリストの力強い言葉に人々は勇気づけられたことでしょう。

現代の日本においては、生活水準も高く、生きること自体が困難な人は少ないと思います。
単純に肉体を維持するための救いであるとするなら、健康で経済力があれば、わざわざ救われなくても良いと考える人もいることでしょう。

こうして宗教とは無関係な人から見ると、神にすがりご利益を求め、他力本願的という図式が出来上がってしまいます。

しかし、それだけでなく、魂としての救いというものをイエスキリストは示されています。
聖書の詳しい内容については良く知りませんが、当時の人々に対し理解しやすいように語ったと思われます。

霊的な救いとは、自分が霊魂という存在であることを無視しては考えられません。
原罪という人類の誕生までさかのぼり、魂という大きな視点としての救いというものを唱えています。

イエスキリストは、霊魂学的には大変高度な内容を示されたと考えられます。
人間は肉体を持ってしまうと霊的なことが分かりづらく、自分の存在すら見失ってしまいます。
今ある自分の不幸は、神のせいだと考えてしまう人もいます。

ところが、人は自らの意思で不自由を求め、神という高貴な存在から遠ざかってしまったのが、地上に生まれた人達です。
今のあなたも、人類の誕生から再生を重ね生まれて来ているのです。

霊的なトレーニングもイエスキリストの精神と全く変わりません。
もちろん、イエスキリストの霊的トレーニングは残っていないようですが、幽体を強化発達させる為に欠かせないのが、高級な霊的な気というものです。

この高い気は、高貴な存在からの流れでしかありません。
どうすれば、こうした力を吸収できるのか。当然、高貴な存在を無視しては受け取ることはできません。
だからタイトル「祈りの力」にあるように「汝の神を愛せよ」と示すことで、守護霊と交流を持てたのでしょう。

当時は、霊的環境も現代に比べ良かったのではないかと思います。
今のように霊的環境が悪い時代には、確立された霊的なトレーニングが力を持ちます。

いつの時代も変わらないのが、霊的な法則です。
こうした法則を理解していたイエスキリストやお釈迦様も同様に訴えかけていたものが、霊的身体の強化発達、そして霊的カルマの解消です。

霊的な救いとは、神というような高貴な存在から遠ざかってしまったものを引き戻す、近づくことを意味します。
その手段が霊的なトレーニングというものです。

宗教という言葉が嫌がられるような昨今でありますが、霊的なトレーニングの会である契山館は宗教団体の定義には入りませんが、真面目に霊的なことを捉え、宗教的な姿勢でトレーニングを行っています。
プロフィール

イクラマン

Author:イクラマン
「契山館」という小さな会で昭和63年から霊魂学、霊的修行法を学んでおります。
このブログの内容は、修行中の未熟な会員によるものです。未熟さゆえの間違いや解釈も含まれますので、どうかご理解下さい。

◆不許無断複写転載◆



みずば霊魂学 新刊のご案内






































検索フォーム
天気予報
ブロとも申請フォーム
QRコード
カウンター

PAGE TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。